私の世界はこんなにも遠い
「前々から思ってたんだけどよ、オメーのその異常な身体能力は何なんだよ。」
「異常とかコナンくんそんなに私を傷つけたいの?」
「そんくらいで傷つくタマじゃねーだろ。」
「蘭お姉ちゃぁぁん!コナンくんがタマとか卑猥なこと言ってるぅぅ!」
「っだぁぁぁ!悪かった!俺が悪かったからやめろォォォ!」

ちょっとした悪戯なのに、コナンくんは慌ててその冷や汗のせいでべっしょりとした手で私の口を塞いできた。とても不快であります。言葉が発せない為に、止めろと言う意思表示として軽く後ろ足でコナンくんの脛を蹴り飛ばせば思いのほかジャストミートした様で、コナンくんはいっだー!なんて叫びながら床をゴロゴロと転がっていた。因みに蘭お姉ちゃんは夕飯のお買い物、小五郎おじさんはパチンコへと行っている為に、私とコナンくんは事務所にてお留守番だ。そんなことも忘れて慌てるくらいに、私の発言は地雷だったらしい。何て言うか、本当にゴメン

「と言うかまぁ、身体能力云々はやっぱり世界の違いなんじゃないかな?」

私が元いたあっちの世界じゃ、私の身体能力なんて中の上くらいだ。私なんかよりもよっぽど化け物染みた人間は、それこそ沢山いた。悪魔の実なんて食べてなくても空中を走る人や、刺されたり打たれたりしても倒れない人、指で身体に穴開けちゃう人、建物の屋上から落ちてもピンピンしている人。正直、此方の世界と比べさせてもらえばビックリ人間ショー。人間って何だっけってそこから議論しなくちゃいけないんじゃないかな

「なんて言うか、探偵いらずの世界だよね。」

ふは、と笑いながら言えば、今まで複雑そうな表情を浮かべていたコナンくんの顔にはサッと陰りが入り、何やら思案するかの様に俯いてしまった。そのせいで彼のメガネのレンズは光に反射してしまい、その瞳が今どんな色をしているのか私には分からなくなってしまった。どうしたの、コナンくん。そう声をかけるよりも早く、ポツリとコナンくんは私の名前を呼んだ

「夢も…、人を……殺したこと、あんのか…?」
「あるよ。軽蔑した?」

ギュっとコナンくんの膝の上で握りしめられていた拳に、力が入った。唐突に尋ねられた言葉に、私は偽りなく肯定して、それでいて彼の気持ちを聞いた。軽蔑すると言われれば確かに辛いし悲しいけど、きっと私は受け止めるだろう。私は海賊だけど、コナンくんは探偵だ。人を殺した人間を許しはしないだろうから。だから、コナンくんが私を軽蔑するのは仕方がないことだと言うのに、それなのにコナンくんは緩く首を横に振って否定した

「別に、軽蔑なんてしてねぇよ。」
「海賊になったからには覚悟してた。あの世界では殺らないと、自分が殺られてしまうから…。」

だけど殺したいか?と問われたら私は迷わず首を横に振るだろう。本当は殺したくないし、傷つけたくない。それでも私は船長に捧げたこの命を、無駄にすることなんて出来ないから。共に誓い合った仲間が傷つくのを、黙って見てることなんて出来ないから。だから私は守るために、自分の選んだ道を進むために武器を取った。船長が海賊王になる障害となるモノは、全部この手で排除していくって船に乗る時に決めたから

「海賊になったこと、後悔しねぇのか?」

コナンくんは真っ直ぐに私の瞳を見つめていた。その真っ直ぐで綺麗な瞳を見返していれば、何故か今まで自分が切り捨ててきた人間の姿が脳裏を過った。忘れもしない初めて人を殺めたあの瞬間。瞳を閉じれば、その感触までもが蘇ってくる様で、私はそれを忘れない様に、忘れてはならないと強く拳を握りしめた

「確かに、海賊にならなかったらきっと争いとは無縁の世界で生きてたと思う。」

普通の料理屋とか花屋とか、それこそ普通の町娘として暮らしてたと思う。だけどきっとつまらない。そんな同じ様な毎日を過ごすくらいなら、きっと私は1人ででも島を飛び出してたと思う。そういう私の本音をきっと、船長は見抜いてたんだね

「船長がね、一緒に来ないかって。世界の果てを1番の、特等席で見せてくれるって言ってくれたの。」

凄くわくわくした。ドキドキした。きっとこの人の傍にいれば、言葉に出来ないような、そんな震える程の気持ちを味わえるだろうって。この人と、このクルー達と見る世界の果ては、きっとどんな楽園よりも素敵な場所なんだろうって

「それに海賊は自由なんだよ。夢だってある。仲間だっている。守りたいものだって、希望だってある。…私の誇り、海賊は私の人生なんだ!」

だから後悔なんてしてないよ。寧ろあの時、船長の手を取らなかったらと思うと、それこそ後悔してたと思う。海賊として海に出て、船長と仲間と共に冒険をしたあの日々は私の宝物だから。きっと何度、あの始まりの日を繰り返しても絶対に私は船長の手を取るよ

「だから私は海に出たこと、海賊になったことを後悔した日なんてないんだよ。」

そうして私はコナンくんに笑みを向けた。大丈夫なんだって、だけどコナンくんは泣きそうな顔をして私の頭をくしゃりと、その小さな手で一撫でした

「…泣いてんぞ。」
「え、」

悲しみに瞳を揺らしながら、だけどそれでいて優し気に微笑むコナンくんが、そっと私の目尻を親指の腹で拭った。その指は雫で濡れていて、私はそっと自分の頬へと指を這わせた。あぁ、私。泣いちゃってたんだ…

「…帰りてぇんだろ…?」

私の涙で塗れた手をギュっと握りながら、コナンくんはその真っ直ぐな瞳でもう一度、私を見つめた

「夢、1度たりとも帰りたいって言わなかったよな。本当は誰よりもあの世界が好きなくせに、それでも帰りたいって泣かなかったよな。…いや、泣けなかったんだろ?泣いちまったら、…もう戻れないって認めちまう気がして。」

そう言ったコナンくんまでもが、くしゃりと顔を歪めて泣きそうな顔をしていた

「泣いてもいいんだよ。ぜってー、俺が夢を元の世界に帰してやっから。ぜってー、見つけてやっから…。」

きつく握られた手はそれでも熱くて、帰してくれるなんて言っているのに、その手は帰してはくれないのだと言う様に強く強く握られていた。「コナンくん…、泣いても良いんだよ。」その言葉は音にはならず、代わりに私の口から零れ出たのは小さな嗚咽だった。私よりも泣いてしまいそうなコナンくんの顔を見ていられなくて、私はギュっと彼の胸へと顔を埋めた。本当は帰りたかった。だけどいつ帰れるのかなんて分からなくて、帰り方も分からなくて、本当は凄く怖かった。もう皆に会えないと思うと、あの世界で冒険が出来ないと思うと。怖くて怖くて堪らなかった。だけど、心の何処かで分かっていたのかもしれない。認めたくなかっただけなのかもしれない。こんなに思い、焦がれているのに…。会いたい、会いたい、…会いたいよ…。言葉にならない短い嗚咽とその雫は、優しく背中を叩いてくれる彼のシャツへとただ染み込んでいった


私の世界はこんなにも遠い
(こんなに焦がれているのに)
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