02*何なんだそのコレクション

 用事も済ませて、さて兵団本部に戻るかとなったところで、ふと喉の渇きを覚えた。辺りを見回すと丁度良く飲み物など売っている露天が目に入る。
 側には椅子やベンチなど並べてあって、おあつらえ向きだと振り返って声をかけた。
「おい、ちょっと来い」
「なんですかー」
 暢気に後ろをついてくるのを確認して、ベンチへ荷物を下ろす。不思議そうな顔で疲れましたかなどと聞いてくるが馬鹿言え。この程度で疲れる筈もない。
「ここで荷物見とけ」
 こくりと頷くのを見て、露天へ向かう。
 露天の前でしばし考えたが、冷やした水のボトルを二つ買い求めた。側には果実を搾ったばかりだというジュースや冷たいソーダ水なども並んでいたが、もしあいつも喉が渇いているならば、そういったものよりは水の方がいいだろう。甘いものを欲しがるようなら、もう一つ買ってやればいいだけのことだ。
 そこまで考えて、どこまでも甘やかそうとしている自分に気付く。頭を抱えたくなったが表面上は何事もないような顔をして金を払い、何事もないような顔をしてボトルを受け取り、何事もないような顔をしてベンチに腰掛け、ぼんやりと上空を見上げる間抜け面の元へと戻った。
「あ、おかえりなさい」
 俺を見上げて笑う顔は警戒心や用心といったものとは全く無縁そうで、すぐ側に俺がいるとはいえもう少し危機感を持てと言いたくなる。
 それを飲み込んで、片方のボトルを手渡した。
「お水ですか?」
「飲め」
 開栓しながら隣に腰を下ろした。因みに金を払おうとしたらコレで殴るぞと言えば、びくりとして出しかけていた財布をこっそりと仕舞い込んでいた。この程度素直に奢られておけ。
「ありがとうございます……」
 私も喉が渇いていたので嬉しいですと、ほんのり頬を染めて笑う。
「甘いもんの方が良かったか」
「お水がいいです、ありがとうございます」
「礼はいい。さっさと飲んじまえ」
 冷やしてあっただけあって、喉を通り抜けるのが心地よい。知らず乾いていた身体に浸透していくような気がして、ふうと息を吐いた。
 横を見れば、こくこくと喉を鳴らしながら少しずつボトルを傾けていた。慌てて飲むと咽せるぞと言いかけて、無意識に世話を焼こうとしている自分に気付かされる。
 駄目だ。
 兵団本部から出てしまうとどうも駄目だ。
 ただでさえ日頃から、油断すると甘い言葉をかけたり触れてしまいそうになるというのに。それを誤魔化そうとしていつもは逆に素っ気なくしているのだが──外に居るとその抑えがきかない。
 それどころかいつも昼間は甘やかせない分、抑制されていたものが溢れてしまいそうになって、とてもまずい。
 本当ならばもう少し休憩させてから戻ろうかと思っていたのだが、このままでは己が何をしでかすかわからない。
 少し早いが戻るぞと声をかけたら、頷きながらボトルに栓をしていた。
「飲みきれなかったなら捨てていっていいぞ」
「いえとんでもない!」
「荷物になるだろ」
「いいんです!」
 何やら必死に首を振って、持って帰るから大丈夫だと言い張っている。何を企んでいるのか知らないが、後生大事に仕舞い込んでいるので放っておくことにした。

 ***

「今日はありがとうございました。兵長に来ていただけて助かりました」
「そうか」
 調査兵団本部の資料閲覧室。
 こいつの主な職場──というよりも既に根城のようなものだ──に買い込んできた荷物を運び、後は一人で大丈夫ですと頭を下げられた。
 確かに備品の管理や整理などは俺の管轄外だ。手伝えるのはここまでだろう。
「もうじき日が暮れるぞ。晩飯までに間に合いそうか」
「とりあえずの分は大丈夫そうです」
 これでしばらくは備品に困らなそうだと胸を撫で下ろすのを見て、さてどうしたものかと思案する。
 俺本来の仕事はもう終えてしまっているので、ここで時間を潰していてもいいのだが。ここに居ていいかなどと言えば狂喜するのが目に見えていて、こんなところでしがみつかれてはたまらないと、その考えを即座に打ち消した。
「俺は部屋に戻る」
「はい! 本当にありがとうございました……それからですね、」
 もじもじと何か言い淀んでいる。こいつがこんな顔でこんな仕草をしている時は、大抵とんでもないことを言い出すんだ。やめろと言いたいが何を言うのか気になって仕方がない。結局はそのまま次の言葉を待ってしまって──
「今日は一緒に歩けて、その、すごく……嬉しかったです」
 ──結局はとてつもなく後悔することになる。
 なんだその可愛い言い草は。
 いい加減にしろこの場で貪り尽くされたいのかと怒りにも似た感情がわき上がってくるが、長年培った精神力で平静さを保つ。これもすっかり慣れたものだ。けして慣れたくはなかったが。
「デートみたいだなって、本当に思ったんですよ」
「……阿呆か」
 ただの買い出しで、そんなに喜ぶな。頼むから。
「……なら今度は、本当に行くか」
「え」
 しまった。口が滑った。
「兵長今なんて」
「何も言ってねえ」
「嘘です! 今、今言いましたよね! 私とデートしてくれるって言いましたよね!」
 興奮のせいか頬を染めて、気のせいか目までもきらきらと輝かせている。先程まで柔らかく微笑んでいたのと本当に同じ人間か。
 嬉しいです嬉しいですと繰り返し、身をよじらせる姿は愛らしくもあるけれど、いつになく恥ずかしい真似をしてしまった気がして今すぐこの場から逃げ出したくなった。
「……まあ、その、なんだ」
 考えてやらないこともない。
 それだけ言い置いて、反応が返ってくる前にさっさと退室した。

 ***

「……なんだそれは」
「兵長っ? いつの間に!」
 夕食後のことだった。
 食堂で見かけた時には既に同期に囲まれて食事をしていたので、ああ無事仕事を終わらせたのか、食いっぱぐれていないようで何よりだと安心していたのだが。その後こちらに気付く様子もなく、ふらふらと食堂から出て行くとはどういうことだ。
 そこは俺を見つけて「お部屋に行きたいです」とかなんとか可愛くねだるところではないのか。いつものように。
 仕方がないので気付かれない程度の距離を取って後をついて行くと、やはり兵舎の自室へ向かったようだった。
 忍び寄って、ドアの前で一瞬考える。
 ノックをしてやろうか、それともこのまま開けるか。
 大抵の兵士は二人以上の相部屋を割り当てられていたが、あいつは今のところ一人で部屋を使っていた。職務上の書類やら文献やらを部屋に積み上げることが多いというのが理由のひとつだろう。
 ともあれ、ここを突然開けたところで他の人間に被害が及ぶ心配はない。そしてそれ以上に、このままここに立ち尽くしているのを見咎められるのはよくない。これではまるで、恋人の部屋を訪ねたはいいが、入る勇気がなく逡巡しているようではないか。
 ええい、悩む前に開けてしまえ。
「入るぞ」
 開けながら一応声をかけた。それでは意味がない? 知ったことか。
「…………なんだそれは」
 もう一度同じ言葉を繰り返した。
 目の前で固まっているその両手に持っているのは──昼間渡した水のボトルか?
 それを後生大事に持ち帰って、何をしようというんだこいつは。思わず訝しげに眉をひそめると、俺が怒っているとでも勘違いしたのかびくりと身体をすくめて、聞いてもいないのに違うんです違うんですと弁解を始める。
「こ、これはただの兵長コレクションで……っ! ──あ」
 待て、今なんと言った。
「何なんだ、そのコレクションとやらは」
 どうやらお前には、じっくり話を聞かせてもらう必要があるようだな?
 逃がしはしないと、ひっそり口角を上げた。


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