03*くっつくなうつる変態が

 絶対に戻ってくるとの宣言通り、休憩時間ぴったりに奴は戻ってきた。
 いそいそと茶の支度を始めているが、一体何がそんなに楽しいというのか。ちゃっかりカップを二つ持ち込んでいることについては、言及したところで無駄だとわかっていた。
 どうせ追い払おうとしたところで、俺が飲んでいる間じゅう横に立って「美味しいですか」だの「今日は上手く淹れられたんですよ」だの、一人で楽しげにのたまうのは目に見えている。
 落ち着かないから一緒に飲んでいけ。
 そう最初に言ったのはいつのことだったか。だいぶ前のことで忘れてしまったが、狂喜する姿だけはよく覚えている。というか簡単に忘れてたまるかあんなもの。
 何の儀式だと思わず真顔で聞いてしまった程の喜びようだった。確か室内で踊るな埃がたつと張り倒したから、記憶は確かだ。
「今日は珍しい茶葉が手に入ったんですよ」
「そうか」
 正直言って興味もないので適当に返す。それがわかっている筈なのに、依然として機嫌は良さそうだ。鼻歌交じりに湯を注いでいる。人の気も知らず暢気なものだ。
 支度する姿を壁際にもたれて眺めていた。座っていてくださいと言われるが気にするなとだけ返す。その言葉に不思議そうな顔をするものの、また作業に戻るのを飽きもせずに見つめているのを、何故かと問われたら何と答えようか。きっと理由などありはしないのだ。
「もうちょっと待っててくださいね……さて、」
 注いでからの時間が肝心なのだと以前言っていたことを思い出す。それは別にいい。問題は。
「……おい」
 何をしている。自然と声が低くなった。
「さっきの続きをしてるんですよ?」
「するな」
 そもそも続きって何だ。
 俺が立ち上がっているのを良いことに、今度は真っ直ぐに抱きついてきた。廊下で正面からならいいのかと言っていたのはこれか。
 断言してもいいが俺は許可など出していない。
 俺よりほんの少し低いかどうかの位置からじっと見つめてきたかと思えば、首筋に顔を埋めてぐりぐりと。
 動物が懐くような仕草に、やめろと剥がすより先に呆れてしまう。
「茶葉の蒸らし時間の間だけでもっ」
「却下だ。離れろうつる」
「何がですか!」
 変態行為を臆面もなく繰り返すところがだ。
「…………」
「おい?」
 急に黙り込むな不安になるだろうが。
 こいつが急に静かになるとろくな事がない。とんでもないことを言い出すか、とんでもないことをやらかすかだ。
「兵長にうつしたら……兵長があんなことやこんなことを……?」
 今回はとんでもないことを言い出す方だった。
 そしてこれが変態行為だという自覚はあったのか。
「たまには抱きつく前に兵長に許可を取った方がいいかなあって、思おうとしたことがあります」
「実際は思ったことすらねえのかよ」
 いいから離れろ茶が渋くなるぞと言ってやると、名残惜しそうに巻き付いていた腕を放す。
 結局は俺よりも茶が優先か。
 頭の片隅に浮かんだそれを、口に出してたまるかとぐっと飲み込んだ。口にしたが最後、こいつがどれだけ自分のいいように解釈し、調子に乗るかわかったものではない。
 そうだ、俺の言葉一つで浮かれて笑って喜んで。
 振り回されるこちらの身にもなってほしい。
 考えていたら段々腹が立ってきた。蹴りを入れようかと思ったが何となく気が引けたので、後頭部を掴んで髪の毛をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。
 やめてください今両手が塞がっていてとか何とかわめいているが、俺の知ったことではない。そのまましばらく、さらさらとした感触を楽しんでやった。
「もう……後ろぐしゃぐしゃじゃないですか」
 ようやく支度が終わったのか、こちらを振り返って不満げに口を尖らせる。
「急に抱きつかれるより余程マシだと思うが」
「それを言われると返す言葉も……」
 言外に髪をいじられるのが嫌なら抱きつくのも無しだと言えば、大人しくなることはわかりきっていた。
 執務机ではなく、数歩先のテーブルに茶の支度がされるのはいつものことだ。俺一人だけでなく、お前も付き合えと言った日からの習慣。ティーポットに二人分のカップ、菓子皿。並べられたそれらを前に椅子に腰を下ろすと、隣に座ってくるのもいつものことだ。
 向かいに座れと言っても聞くはずがない。隙あらば密着したがるのは困りものだ。
 いつだったか、お前は他の人間にもこうしてベタベタするのかと聞いたことがある。俺以外にも抱きついて擦り寄って懐くのかと。
 どのような答えが返ってくるのかと息を飲んでいたのに、返答はと言えば
「考えたこともありませんでした」
 だったので、頬をむにむにとねじり上げてやった。痛いと泣いたが知ったことか。
 他の奴に抱きつく発想が無いと言い放たれて、どういう顔をすればいいか困った俺の身にもなれ。
 そんなことを改めて聞いてしまった己が腹立たしかった。だからだろうか。俺を見つけては走り寄り、抱きつくのを一旦は受け入れてしまうのは。こいつなりに一応は周囲に人が居ない時を見計らっているようだが、万が一を考えれば拒否した方が良いのだろうし、隙全開でぱたぱたと近寄る人間を避けられない程、鈍ってはいない。
 抱きつかれて「やめろ離れろ」と言う時点で受け入れてしまっていることに。
 目の前で暢気に俺へと菓子を差し出すこの女が気付いているわけはないと。
 あからさまに溜息を吐いてやった。


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