気がつけば眠ってしまっていたようだ。
以前ハンジさんに連れてこられた兵長に、まんまと捕まった時に居た、閉架区域最奥部にある部屋。その更に奥の隠し部屋に私は居た。ここの存在を知る人間はそうはいないので、逃げ込むにはうってつけだったのだ。狭い部屋で埃っぽいが、贅沢は言えない。見つからずに隠れられることが先決だったのだから。
小さい部屋ながらも一応ソファのようなものと粗末な毛布くらいなら置いてある。それにくるまって目を瞑って、何も考えたくないと祈る内に眠りに落ちてしまったのか。
時計を確認するとそろそろ夕方といっていい時間だった。気づけば二日酔いの気持ち悪さも抜けていて、体調だけはしっかりと全快したようだ。
残る問題は、次に兵長と顔を合わせたらどうしようということだけで。あれはもう、人違いだったということにしたらどうだろう。ばっちり顔を見られた気もするけれど、あの場で捕獲されたわけでなし、どうとでも言い訳できそうな気もする。
そうだ、あの場に居合わせたのは私ではなかったのだ。どこかの誰か、一介の兵士。そうだそうだ、その作戦でいこう。
そうと決まれば気持ちも楽になった。朝食も昼食もまともに取れていないので夕食が待ち遠しい。現金な自分に呆れながらも、隠し部屋のドアを開ける。
「────そんなところに籠もってやがったか」
「────────!」
間違えました。
即座に閉めようとしたドアをがしりと掴まれる。ぐいぐいと引っ張ったところで、力で適うわけもなく。
「ひひひ人違いです」
「何がだ。俺が探してたのはお前だ」
「私は兵長が告白されてるところなんて見てません!」
「お前、語るに落ちるのもいい加減にしろ」
ドアを力の限り引きながら、悲鳴混じりに弁解する。
「閉じこもってもいいけどな、このドア蹴り破るぞ」
「蹴り……っ?」
その図が簡単に想像できてしまって、一瞬手の力が緩む。その隙を見逃す兵長ではなく、ドアは勢いよく開かれてしまった。
「…………」
いざ顔を合わせたら、言い訳も弁解も何もかもが吹き飛んでしまった。
「す、すみません……」
ただ謝罪の言葉しか出てこない。
「何がだ」
お前は謝るようなことをしたのかと問いつめられる。
「前みたいに、また、とんだお邪魔を……」
「お前の間の悪さは目を見張るものがあるな」
けどそれはお前のせいじゃないだろうと、こんな私にまで優しい言葉をかけられて、視界が滲みそうになった。
「違うんです」
「違う?」
もう、白状するしかなかった。
「ほんとはもっと早く立ち去れば良かったんです。お邪魔にならないようにって。なのに、脚が動かなくて、あの女の人と兵長がお付き合いすることになったらどうしようって考えたら、私、」
「おい待て」
「馬鹿なんです私。そんな勝手なことばかり考えて、いつも兵長に甘えてばかりで、迷惑かけてばっかりなのに、挙げ句の果てにやきもちまでやいて、そんな権利ないのに私はっ」
「だから待てと言ってる」
まだまだ言いたいことはあるのに、黙らなければその口を削ぎ落とすとまで言われて流石に黙る。
「……話を整理するぞ」
「はい……」
深く深くため息をついて、意を決したように兵長は口を開いた。
「つまりお前は、嫉妬したのか」
あの女と俺がどうこうなると思って。
「そうです……お恥ずかしい限りです……っ」
本来私がそんな、やきもちを妬くだなんて。そんな独占欲じみた感情、持ってはいけない筈なのに。
「……それは、どうしてだ」
何だか急に兵長の落ち着きがなくなった。どうしよう、やはり引かれているのだろうか。それも、かなり。
それでも今の私に、兵長に嘘をつくことはできなかった。誤魔化しようもなく、正直に白状する。
兵長と「練習」する内に、兵長の練習相手が私だけならいいのにと思い始めてしまったことを。
この関係が、できるならずっと続いてほしいと思ってしまったことを。
だから他の人と練習するようになってしまって、捨てられたらどうしようなんて考えてしまって、みっともなく取り乱して嫉妬したことを。
「お前、俺が他のやつ抱いたら嫌なのか」
「いや、です……」
「嫉妬すんのか」
「そうです……」
兵長は仕方なく私を相手にしているのかもしれないけれど、私は兵長のことが好きだから、兵長とだけ抱き合いたいのです。
触れられるのも、キスするのも、そのほか全部、兵長とだけがいいんです。
「全部、兵長のことが好きだからです」
大好きで、独り占めにしたいと思ってしまったからです。
醜い感情を吐露するのがつらい。思わず俯いてしまうのも無理はなく、兵長の顔が見られない。
「……………………おい」
今だけは顔を上げたくないのに、両頬をがしりと掴まれて無理矢理上を向かされた。
「今、俺のことを好きだからと聞こえたが」
「はい、言いました」
「…………そうか……好きだからなのか」
「そうですよ?」
いつも言ってませんでしたっけ。
「聞いたことねぇよ」
「……なんと」
言われてみれば兵長に直接好きだと言ったことは……なかったような、あったような。
「断言できるが一度もねえ」
そうでしたか……。確かに何だか気恥ずかしくて、肝心な時に伝えられていなかったような気もする。
「それは、あの……何と申しますか」
うっかりしていました。
そう言った瞬間、思い切り両頬をつねりあげられた。
「い、いひゃいれす、いひゃいれす!」
「うるせぇ! てめえほんといい加減にしろ」
本当に頬の肉がねじり切れてしまう寸前まで引っ張られ、ようやく離してもらえたと思ったら力任せに抱き込まれた。
「……好きだから、嫉妬してたのか」
「……そう、です」
改めて言われると気恥ずかしい。
「……ならいい。嫉妬してていい。いくらでも言え。他の奴と付き合うなとか、抱くなとか」
「いいんですか」
私以外と、しないでくださいって言っても。
「いいって言ったろ」
「……好きですっ」
大好きですとぎゅうぎゅうしがみついた。言うのが遅いと小突かれても、今度は痛くなかった。
「あの、ですね」
「何だ」
数分後。
今更ながらとんでもなく恥ずかしくなってきたのだけれど、これだけは聞いておかなければと勇気を出した。
「私は兵長のことを、その、すごくとってもとっても大好きなわけなのですけど、」
「……ああ」
「兵長は、その、私のこと」
どのように感じていらっしゃいますか。
「……お前、それは察しろよ。いい加減」
「そう言われましても……」
もしこれで私の勘違いだったら立ち直れそうにないのです。思い上がるな馬鹿とか言われたら悲しいのです。
「お前の中の俺はどんな鬼畜だ」
私と同じくらいの気持ちを返してほしいなんて言えないけれど、せめてほんの少しだけでも、憎からず思ってくれていたら嬉しいです。
「…………耳かせ」
「いくらでもっ」
──そして小さな声でぼそりと呟かれた三文字は。今まで耐えてきた私の涙腺を完全に破壊するのに、充分すぎる言葉だった。
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