何よりも甘いもの


 戸棚から小瓶を取り出した。
 ちょうど手のひらに乗る大きさのそれの中身は、色とりどりのキャンディだ。
 もう大分数が少なくなってしまっている。次の買い物までもつだろうかと心配になりながらも、ビンからひとつ取り出してかさかさと包装を剥がす。そのまま口に放り込むと、甘さが口中に広がって思わず頬が緩んだ。
 このご時世、甘いものは貴重である。
 パンや野菜と違って単なる嗜好品の菓子類は、それなりに値が張るものだ。けれど焼き菓子に比べればまだ安価なキャンディや砂糖を固めただけのものは、常食用として私の財力でもまあ何とか手が出せる範囲だった。
 月に一度。兵団から給金が支給されると街へ出ては、キャンディや砂糖菓子を買うのが私の密かな楽しみだった。
 果物の香りや味をつけたものや、すぅすぅと爽快感のあるミントの葉を使ったもの。店先であれこれ悩んで決めた品を大事に持ち帰って、毎日少しずつ楽しんでいた。
「次のお給料日が三日後だから……うん、まあ大丈夫でしょう」
 瓶の中に残る数個のキャンディを見つめて、あとひとつ食べてしまおうか悩む。いやいや、ここは節約しようと思い直して、名残惜しく感じながらも蓋をした。戸棚にしまい込んでまた明日のお楽しみに。

「甘い匂いがするな」
 すっかり陽も落ちて、夕食後。私はリヴァイ兵長の部屋に居た。
「さっきまでキャンディ舐めてたからですかね?」
「晩飯食ったばっかりじゃねぇか」
 呆れ顔の兵長に、甘いものは別なんですと返す。
「それに甘いものは疲労回復にいいんですよ」
 ポケットにひとつ入っていたキャンディを差し出す。どうぞ、よろしければ兵長も。
「俺はいい」
 砂糖の味しかしねぇとそっけなく返された。
 そんなことはないのに。
 兵長に差し出したこれはストロベリー味だった。赤くてきれいだし酸味も少なくて爽やかに甘い。色んな味がある内でも、私のお気に入りなのに。
「ならなおさらお前が食え」
 そう言ってわしわしと髪の毛をかき混ぜられると、思わずとろんとしてしまう。兵長の手が好きですとうっとりしていたら、しまりのない顔をするなと叱られた。それは無理です兵長。
「疲労回復か……そうか、疲れることしてぇのか」
「はい?」
 何がですか。
 そして何故じわじわと私を壁際へ追い詰めるのですか。
 いやこれは壁際ではなく──と気付いたときには遅かった。
 足を取られてまんまとベッドに転がされた私を、見下ろす兵長の顔は魔王か暴君かはたまたサディストか。つまり良くないお顔をしていらした。
「誰がサディストだこのマゾヒストが」
 すごく心外なことを言われつつ、気付けば私の両手首はひとまとめに掴まれ頭上に。
 鼻歌でも聞こえてきそうな様子の兵長は、首元からしゅるりとクラバットを取り去ると、くるくると私の両手に巻き付けた。
「あの……一体、これは」
 何をするつもりですか兵長。
 嫌な予感しかしません兵長。
「あ? 疲れることしてぇんだろうが」
「言ってません! 言ってません兵長!」
 私は甘いものが疲労回復にいいと、そう言っただけです。
「ああ、だから」
 ──たっぷり疲れた後で、そいつはお前が食え。
「…………絶対、回復量が足りません」
 キャンディひとつで復活できるような、手緩い行為で済ませてもらったことなど一度も無い。
「安心しろ、俺も好きなだけ舐め回してやるよ」
 それって絶対キャンディのことじゃないんだろうなあ。
 せめて途中で両手の自由を取り戻したいと祈りつつ、諦めてそっと目を瞑った。



 数日後。
 キャンディや砂糖菓子では到底回復できない類の疲労もようやく回復の兆しを見せ、夕食後の食堂で、私は明日の休みにほっと息を吐いていた。
 無事今月もお給金を貰い、明日の休みには街に買い物へ出られそうだ。
 夕食後に同期達と約束をして、みんなで行こうかという話がまとまった。もっとも、私以外のみんなはお菓子よりも目当ての物があるのだが。それはアルコールだったり衣服だったり本だったり。それでも行き帰りに連れ立って歩くのは楽しい。
 今度はどんなお菓子にしようと一人空想に耽っていると、どこからか視線を感じた。
 兵長だった。
 すぐさま駆け寄って飛びついて懐こうと思ったのだが、指だけで私を呼ぶと背を向けてそのまま歩き去ってしまった。
 どうしたことだろう。
 ともあれ私が兵長に呼ばれて無視する筈もない。
 いそいそと小走りに後を追った。

 着いた先はやはりというか何というか、兵長の私室だった。
「おじゃましまぁす……」
 入れと促されて従うと、ソファを顎で示された。おそらく座れということなのだろう。
 横に座ってくれるのかと思いきや、なかなか側に来てくれない。
 どうしましたか兵長。密室で思う存分私といちゃいちゃしたいとか、そういうことではなかったのですか。
「ねぇな」
 三文字で切り捨てられた。
 じゃあ何で私を呼び出したのですか。ねだるように両腕を伸ばした。ちらりとこちらを向いただけで、すぐに視線を逸らされてしまったけれど。
 もしかして知らず知らずのうちに何かしでかしていたのだろうか。
 失態を咎める為に呼び出されたとか。
 有り得る。心当たりはないけれど、心当たりがないところで何かやらかしている自覚はあったので、余計に。
 思わず背筋をぴんと伸ばすと、怪訝そうな表情を浮かべた兵長がこちらへ近づいてくる。ああ、拳骨とかされたら痛いだろうなあ──などと考えていたら、兵長は私の横を通り過ぎて。
「兵長?」
 どうしましたかと問うても返事はなく、窓際にある机の抽斗を開けて何か探しているようだった。
 やがて目当ての物を見つけたのか抽斗を閉め、こちらへと再度近づいてくる兵長。私としてはただ成り行きを見守ることしかできない。そうして目の前に立った兵長は。
「──やる」
「────はい?」
 素っ気なく呟かれた二文字と共に、何やら色々放り投げられた。
 私の膝にどさどさと落ちてきたのは、数々の紙包みで──これは一体。
「開けてみりゃいいだろ」
 どこまでも無愛想に言い放つ兵長だった。眉根を寄せているので不機嫌なのだろうかとも思ったけれど、どうやらそうでもないらしい。兵長とのお付き合いもそれなりに長いので、その辺りは読み取れるようになっていた。
「じゃあ、失礼して……」
 手近な紙袋から手を付けることにする。
 綺麗な紙が糊付けされていて、破ってしまうのが勿体ない。そうっとはがして中身を取り出すと、それは。
「……お菓子じゃないですか」
 それも焼き菓子。
 小麦粉や砂糖だけでなく、バターや卵、牛乳も使われているもの。この辺りでは中々値の張るものな筈。
 慌てて他の包みも開けてみたところ、焼き菓子の他に私の買うようなキャンディや砂糖菓子まで入っていた。
「どうしたんですか、これ」
「……昨日押しつけられた」
 そう言えば、昨日の兵長は午後からどこかへ出かけていたような。確か貴族や偉い人達との会合だとかで、めんどくせぇ煩わしいと、大層ご機嫌斜めだったのを覚えている。
「兵長に、お菓子ですか」
 それもこんなにたくさん。
「……そうだ」
「すごいですねぇ」
 焼き菓子だけでもクッキー、マドレーヌ、スコーン。中々私の口には入らないものだ。流石調査兵団の兵士長ですね、贈り物も高価ですと笑う私を一瞥した兵長は。
「だから、全部やるって言ってる」
 と言い放った。
「え……これ、まさか全部って全部ですかっ?」
 まさかそんな。こんな貴重なものを全ていただくわけにはいかない。だってこの中のキャンディ一瓶を、一ヶ月かけて楽しんでいるような私なのに。
「せっかくの甘いものですよ? 兵長召し上がってください!」
 絶対にその方がいい。
「砂糖の味しかしねぇし、そんなにいらねぇ」
 だから引き取れと繰り返す兵長。
 でも流石にこんな量をいただくわけにはと逡巡する私に痺れを切らしたのか、
「お前がいらねぇなら捨てるだけだ」
「だ……っだだだだだめですよっ」
 そんな勿体ないことができる筈がない。きっと夢に出る。思わず紙包みを抱きしめる私にニヤリと笑って。
「だったら素直に貰っとけ」
「…………」
 なんだろう。実は私の誕生日は今日だったとか、さもなければ明日が命日だとか。いやいや縁起でもない。でも思わずそう思ってしまうくらいに。
「嬉しいです……」
 ありがとうございます。すごくすごく嬉しいです。大事に食べます。
「……っ始めから、そうやって貰っときゃいいんだ」
 面倒くせぇ女だと小突かれるが、浮かれている私には何の効果もない。
「でもせっかくですから、兵長も一緒に食べましょう」
 本当は大勢呼んでお茶会でも開きたいくらいなのですが。
「やめとけ。俺が菓子ばらまいたみてぇだろ」
 確かに。じゃあちょっと気が引けますけど。
「二人の秘密ですね……」
 思わずしまりなく笑ってしまうのを許してほしい。だってすごく嬉しいんです。
 お茶の用意をしますと立ち上がった私に、本当に俺も食うのかと呟く兵長。勿論です。一緒に食べた方がもっと美味しいに決まっています。

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