006

「……………………」
「……ご、ごめんなさい……」
 あの後。
 どうにか誤魔化そうにも無駄だった。
 目の前に陣取る兵長は両手を壁に付け、逃がしてくれそうもない。何かの聞き間違いではないですかとはぐらかす作戦に出たら、頭突きをされる前に白状しろと真顔で脅された。
 多分それだと頭突きをする兵長も痛いと思うのだけれど、それはいいのだろうか。
 ともあれ観念した私は白状する他なかったのだ。

「ごめんなさい兵長嘘をつきました経験豊富な振りをしました実際のところ恥ずかしながら初めてです!」

 恥ずかしいので一息で言い切った。というか言い放った。ああ恥ずかしい消えてしまいたい。目も見られない。どのようなお叱りも覚悟の上です──と目を瞑っていたのだが、何の反応も返ってこない。
「あの、兵長……?」
 そっと顔を上げると、兵長は今まで見たことのない顔をしていた。
「お、怒ってますか……」
「呆れてんだよ!」
 ですよね!
 両の拳で頭をぐりぐりと締めつけられる。
「痛いです兵長、痛いです!」
「痛くしてんだ馬鹿野郎が」
 その後、兵長が気の済むまで締め上げられ、どうにか離してもらったけれど頭の形が間違いなく変わっていると思う。痛みに涙を浮かべるものの、
「この程度で済んで感謝しろ、馬鹿が」
 と言われてしまっては返す言葉もない。
「で、どうすんだ」
 どう、とは?
「今更逃がしてやる気はねぇが、泣いて謝って浅はかさを自覚して今後落ち着いた行動を取ると誓うなら、今回だけは勘弁してやってもいい」
 この期に及んで逃げ道を用意してくれた。
 けれど。
「……だめ、です」
「あ?」
 顔が熱いし目の前はちかちかする、頭痛までするのは先程まで痛めつけられていたからか、それとも別の理由か。血が上って倒れませんようにと祈りながら、ぽつりぽつりと言葉を繋げた。
「に、逃げません。練習、してください……私で」
「……お前ほんとに意味わかって言ってんのか、それ」
「わかってる、つもりです」
 嬉しかったんです、兵長が私にだけ反応するって言ってくれて。だから、
「だから、やめるとか、言わないでください……」
 私でお役に立つか、わかりませんけど。と最後まで言えたのは奇跡だと思う。
「途中でやっぱり逃がしてくれって泣いても、やめてやらねぇぞ」
「だい、じょうぶ、です」
 多分。きっと。もうここまで来たら恥ずかしいことなんてないし。
「そうか」
 兵長が口角を少しだけ上げた──と認識すると同時に、ベッドに後頭部を打ち付けた。ふかふかしているとはいえそれなりの衝撃が私を襲う。
「──まあお前の返事がどっちだろうと、逃がしゃしなかったけどな」
 たっぷり「練習」してやるから覚悟しろ。
 そう言って笑う兵長に、早まったかもとこっそり思ったのは内緒だ。



「いたっ」
「強かったか」
 組み敷かれたまま二の腕を掴まれて、思わず声を上げた。けれど兵長の力が強かったのではなく。
「……お風呂で、擦りすぎて……」
「…………見せてみろ」
 駄目です恥ずかしいと騒ぐ私に、お前さっき今更恥ずかしいことなんてないって言ってただろう、今脱ぐのも後で脱ぐのも同じだと言い放ち、あっという間にシャツをはぎ取られた。いきなりのことに、とにかく隠さなくてはと両腕でガードする。無駄な気もするけれど。
「赤くなってるぞ」
「よく洗わなきゃって思いまして……」
「やりすぎだ馬鹿」
 とにかく身体を清めなければとそればかりで、おろしたての石鹸が半分になるまで擦り続けたのがよくなかったのか。腕やら脚やら、あちこちがひりひりしていた。
「加減ってものを知れ」
「うう……はい」
 兵長の呆れ顔を拝むのも、今夜何度目か。
「や、優しく触ってもらえたら、大丈夫ですから!」
 だからやめるなんて言わないでほしい。
「……やめねえよ」
 わざとやっているのかと吐き捨てられた。どういう意味だか聞いたら怒られるのだろうな、多分。私もだいぶ慣れてきたものだと思う。
「ええと、では……」
 どうぞと両手を広げた。どうぞ、どこからでも好きにしてください。
「お前……それよそで絶対やるなよ」
「やりませんよ!」
 兵長としかしませんと言ったら重たい女だと思われそうで、胸にしまっておいた。
「お前は慣れてないだろうが、それは俺もだ。どうなっても知らねぇぞ」
「はい、大丈夫ですっ」
 頬をするりと撫でられる。ああ、やっぱりこの手が好きだ。痛い思いをさせられたりもするけれど、優しい手。今から未知の世界へ連れて行かれるのだろうけど、この手に触れられるのならばきっと怖くない。そう確信していた。
「……触る以外もしていいのか」
「何してもいいです」
 顔が近付いて触れる寸前、確認するように問われた。勿論です、心も身体も捧げますとは、やはり恥ずかしくて言えなかったけれど。
「ん、……っ」
 初めて触れる唇は、当たり前というかやはり人間の肌の感触だった。少しだけ湿っていてあたたかくて柔らかい。
 人類最強のリヴァイ兵士長。私の上に覆い被さるようにして口づけを交わしている兵長と同じ人だとは思えなくて、何だか不思議な気分になる。
 キスをしている。あの兵長と。
 見かけるだけでどきどきして、話ができたらそれだけで浮かれて。そんなレベルの人だった。まさかこんなことになるとは、それこそ夢にも思っていなくて、今更ながら信じられなかった。
「ふ、ぅ……っんむ」
 角度を変えて何度も繰り返す内、息が苦しくなって唇が離れた隙に必死に呼吸する。兵長の顔もどことなく赤らんでいるのは、やはり息ができないからだろうか。
「馬鹿か。鼻ですればいいだろうが」
「それもそうです、ね……っあ」
 再び口を塞がれたが、今度の口づけは深い。
 ぬるりと咥内に侵入した舌に驚いて、びくりと身体を震わせる。つい逃げようとしてしまったが、しっかりと捕まえられていて無理だった。口の中に他人の舌が入り込むという未曾有の体験に、呼吸が乱れた。というよりも。
「兵長、は、こんなことして……大丈夫、なんですか……っ」
 私相手に思うさま咥内を探っているけれど、不快感を覚えたりしていないだろうか。嫌だけれど行為の際にはキスくらいしなければという責任感から無理をさせていたらどうしよう。
「ああ、不思議なことにな」
 納得いかねえ、と文句混じりに口づけが再開される。舌を絡ませて、歯列を辿らせて。存分に貪られてから、最後に唇をそっと噛まれる頃には全身から力が抜けていた。
「ひゃっ」
「痛いか」
 ひりひりするほどに擦りあげた腕に触れられて思わず声を上げると、兵長は気遣うように手を離した。
「そうじゃなくて……なんか、変な、感じで……」
「変?」
 いつもと違って、布地に肌が擦れるだけで妙な感覚がする。私の部屋のベッドよりも、質の良いシーツだからだろうか。何だかこう、ざわざわするというか。そこに兵長が触れたものだから、なんというか。
「触られるとぞくぞく、します……っ」
「お前ほんとにそれ、よそで言ったら承知しねぇからな」
 だからしませんってば。
「あれだ、お前のそれは大丈夫だ」
 ぞくぞくしてていいと言う兵長。どうにも投げやりだが、兵長が大丈夫だと言うのならば信じるしかない。
「それより、そろそろ脱がせるぞ」
「え」
「何だその顔。服着たままどうやれってんだ」
「それはそうなんですけど、え、これ以上脱ぐんですか?」
 既にシャツをはぎ取られてしまっていて、上半身は下着のみだ。これまで脱がされてしまったら。
「は、裸になっちゃいますよ……っ?」
「だから、裸にならねぇでどうやってやんだよ」
 ほら手をどかせ、と手首を捕まれて、往生際悪くじたばたともがいてしまう。
「しょうがねえな。上が嫌なら下から脱がすぞ」
「ひゃあああああ」
「うるせえ」
 ファスナーに手をかけられて、思わず悲鳴を上げた。だってそんな、急にそんな。
「急でもねえだろ」
「こここ、心の準備をする時間が」
「充分すぎるほどあっただろ」
 何を言っても正論で封じ込められる。あああ、でもやっぱり恥ずかしい。
「兵長、兵長も脱いでないじゃないですか!」
「あ?」
 苦し紛れに叫んだだけだったが、確かに兵長はまだ衣服を乱してもいない。ジャケット無しといういつも見ない姿だったから、すっかり誤魔化されていた。
「兵長も、脱いでくれなきゃ駄目です」
 私はそれからですと言いつのると、若干不満げながらその通りにしてくれるらしい。するりとクラバットを取り去ると、自らのシャツのボタンに手をかけ、肌が露わに──
(直視できるか──!)
 慌てて顔を背けたものの、視界の端で捕らえてしまった姿は一瞬で脳裏に刻み込まれた。
 服の上からだとわからなかった、引き締まっているもののしっかりと筋肉のついた身体。小柄だと言われるので完全に油断していたのだが、どう見ても大人の男の人の身体だった。
 こんなの、どうやって見つめたらいいというのだ。
「おい、全部脱いだぞ」
「ぜんっ」
 全部とはそれは上だけでしょうかまさか。
「だから脱がなきゃできねぇだろうが。下も脱いだに決まってんだろ」
「そそそそ、そうですか……」
 それは何よりです、とかなんとか。自分でもわけのわからないことを呟いている。
「ほら、お前も脱げ」
「わ、私もですかっ」
 当たり前だろう早くしろと呆れた声が飛んでくる。ちなみにここまで私は兵長から顔を背けたままである。見るのも恥ずかしいのに、見られるだと……? と愕然としてしまう。だって兵長はいい。あんなにかっこいい身体をしているのだから。私はといえば、どう贔屓目に見ても十人並。兵長が見て楽しいとも思えない身体だった。
「ああ、そういや俺が脱がすって言ってたな」
「ひゃああああ」
「だからうるせぇよ」
「だって、だって……っ」
 脱がされる、裸の兵長に? 服を全部?
 想像だけで死にそうだった。
「……これじゃどっちの練習だかわかんねぇな」
「……っ」
 確かに。
 私は兵長の練習台としてここにいるのだ。それがこんなに手間をかけさせてどうする。
「……ます、」
「何?」
「自分で、脱ぐ、ので……」
 ちょっとだけ、あっち向いててください……
 消え入りそうな声で呟いた私に、兵長は四十秒で脱げと言い放った。

「お待たせしました……」
 驚くべきことにきっかり四十秒後に振り向こうとした兵長を慌てて押しとどめ、実際にはその何倍もかけて私は自分の衣服を全て脱ぎ捨てた。
「みのむしか何かか、お前」
「人間です……」
 シーツでぐるぐる巻きになった私を一瞥して、ため息混じりに兵長が言う。
「そうか、今みのを剥がしてやるからな」
「だから人間ですってばあああ」
 シーツに手をかけられて必死に抵抗する。
「往生際が悪すぎるぞ」
「最後まで諦めない精神を、兵士として忘れないよう生き抜いてやります!」
「結構なことだがその精神、今は捨て置け」
 シーツを剥がそうとする兵長に抵抗する私。すごい、兵長に力で負けていない。本気になった私の力をこんなところで自覚することになるとは。
「阿呆か。手加減してやってるに決まってんだろ」
 俺が本気を出したら、お前なんて二秒で丸裸だと、恐ろしいことを言う。
「そんなに嫌か」
「恥ずかしいんですよううう」
「俺だけ脱がせておいて」
 そう言われると弱い。確かに兵長に脱いでくださいとお願いしたのは私なので。
「あの、ですね」
「ああ」
「私、その……私の身体なんて、見てもつまらないというかですね」
 もし見て兵長ががっかりしたらと思うと。それが怖くてですね。
「別に面白いもんが見たいわけじゃねえ」
「でもほんとに、プロポーションとかですね、全然っ」
「お前の身体を見せろ」
「────────!」
 ここに来て今日一番のとんでもない言葉が降ってきた。一瞬にして顔に血が上り、ぐらぐらと目眩がする。
 思わず手の力が抜け、くるまっていたシーツを取り去られてしまった。ああもう。どうにでもなれ。
「ほら、こっち向け」
「……っ」
 両頬を挟まれて無理矢理目を合わされる。向かい合って座りながら、うろうろと落ち着きなく視線をさまよわせる私を、兵長は面白そうに見つめている。
「これでやっと始められるな」
 お前の言う「練習」を。
 ああもう、何だかもう今更だけれど恥ずかしい。何を言っているのだ昼間の私は。
 にやにやと意地の悪そうな笑みを浮かべる兵長に、何がそんなに楽しいのか聞いてみた。
「いや? ただな、お前が狼狽えるのが珍しいと思っただけだ」
 何とも面白いとしれっと言い放つ兵長。
「やっぱり兵長は意地悪です」
 知ってましたけど。
 何となく気づいていましたけど!
 私の嘆きも意に介さず、再びベッドに転がされた。上に覆い被さる兵長を直視するのはやはり恥ずかしかったけれど、もう諦めるしかない。
「そうだ諦めろ。俺はこういう男だからな」
 それでも大好きなんですということは、悔しいので黙っていた。


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