どうしよう。
 今更になって逃げ出したくなってきた。
 一日の仕事も終わり、夕食も済ませてすっかり夜も更けた頃。
 調査兵団における兵士長の私室──と繋がっている寝室──のベッドの上──に私は居た。
 この場合の兵士長とは他でもなくリヴァイ兵士長のことで、更にはその本人が目の前にいたりもして。
 つまり私は兵長の部屋の兵長のベッドの上で、兵長と向かい合っていた。
 当然こちらは正座である。
 何故か兵長まで正座だった。
「…………」
「…………」
 二人揃って無言で見つめ合ってしまう。
 目を逸らしたいけれど反らせない。蛇に睨まれた蛙がどうこうと聞いたことがあるが、今の私はまさにそれだった。意味もなく握りしめた手のひらに、じわりと汗をかいてしまっているのは、緊張からに違いない。
 私と向かい合わせに座る兵長は、この先一体どうするのだといった様子でこちらを見つめている。
 この先どうするのかなんて、私が一番聞きたかった。

 ──兵長と、初めての夜をどう過ごすかなんて。


30代からの保健体育



 001

 両手に書類を抱え、調査兵団本部の廊下を歩く。
 前が見えないほどではないけれど結構な重さのそれは、両腕の力をじわじわと削っていく。訓練兵団を卒業してから数年。内部勤務に回されてからも日々のトレーニングを怠っていたつもりはなかったのだが、こんなところで訓練不足を自覚してしまうとは情けない。
 などと脳内で一人ぼやいている間に、どうにか目的地が見えてきた。
 ドアの横に「ハンジ・ゾエ」とネームプレートが取り付けられたその向こうは、ハンジさんの研究室として使われている。
 ノックをしようにも両腕は書類でふさがっている。一旦どこかに置いて──と思っていたら勢いよくドアが開かれた。勢いがよすぎるほどに。
「わっ」
 盛大に開け放たれたドアに見事に激突され、書類が宙を舞う。窓があったら大変だったな、などと思いながら視界が回転し、盛大に尻餅をついた。
「わあごめんよ! 大丈夫かい?」
「うう、いたいです……」
 部屋の中から出てきたのは予想していたとおりハンジさんで、倒れこんだ私を見て慌てて手を差し伸べてくれる。書類よりも一介の部下である私を優先してくれるあたり、良い人なのだと改めて感じた。
「すみません、時間がかかった上、頼まれていたものをばらまいてしまって」
 拾い集めるのを手伝ってもらいながら、遅くなってしまっただろうかと詫びる。
 書類と資料と、どちらもハンジさんから頼まれていたものだ。
「いいんだよ、わざわざ悪かったね」
 その辺りに適当に置いてくれるかな、といつものように頼まれた私は、部屋の奥に広がる大きな机に空きスペースを見つけ出し、そっと乗せる。一体どこからこんなに紙束が集まってくるのかというほどの書類、資料、書籍、文献。整理整頓はとうに諦めてしまったらしく、様々な分野の紙類が地層のように積み上がっていた。
「兵長に見られたらまた怒られますよ」
 確かこの間は運悪く兵長がこの部屋を訪れた時に本の雪崩が起こったんだった。
 どさどさと崩れる本と舞う埃。それを目撃した兵長は、とても私の言葉では言い表せないほど恐ろしい表情をしていた。
 この部屋が片付くまで二度と来ないと言い捨てて去っていったが、それはもうこの部屋にはやって来ないのと同義ではないかとひっそり思っている。
「あ、それで思い出した」
「何をです?」
 これこれ、と何枚かの書類を振ってみせるハンジさん。
「リヴァイのサイン待ちの書類でさあ、私の所に混ざってたんだよね」
 それを持って行こうとしてたんだった、と朗らかに笑いながら言う。
 ああ、それで部屋から出ようとしていたのか。先程のドア激突事件を思い出して納得した。
「ちょうど良かった、これ頼まれてくれないかな。リヴァイのところまで」
 リヴァイのところ。
 すなわち兵長のところ。
「勿論です行きます、行きます」
 我ながら即答だと思う。
 兵長の側に行けるチャンスを逃さない私である。なぜならば。
「ほんとにリヴァイのこと好きだねえ……」
 はい、好きです。
 大好きです。
 リヴァイ兵長のことが大好きなのだけれど!
「一向に本気にしてもらえませんけどね……」
 チャンスさえあれば兵長の周りをうろついては好意をアピールするものの、兵長が振り向いてくれる気配は微塵もない。それでも諦めない私を、ハンジさんは面白がりつつもこうして時々兵長の側へ行く機会をくれる。
「自分で行くのが面倒なだけだけどねー」
 私そんな素敵な人じゃないよと笑うハンジさん。いいえ素敵な人ですよ。
「リヴァイはねえ……何考えてるかよくわからないから」
「それは私も思います」
 いつかわかるようになるのでしょうか。
 わかるようになるといいなと祈りつつ、そろそろ頼まれた書類を届けに行かなくてはならない。けして早く兵長のところへ行きたいとか、兵長とちょっとでも話したいとか、兵長にお茶を淹れたりしたいとか、そういったことではあんまりない。そんな不純な動機は少ししかない。
「それじゃあハンジさん、こちらの頼まれものは確かに」
「うん、またよろしくね」
 手を振るハンジさんに頭を下げてから退室する。
 次は兵長の執務室だ。
 班長や分隊長の部屋とは少し離れているのは、やはり一人しかいない兵士長という肩書きの為なのだろうか。
(待っててくださいね兵長、今お届けにあがります)
 ほんの少しでもお役に立ちます。


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