チョコレートホリック
森の中の一軒家、私は兵長に閉じこめられた。
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「身の回りの物をまとめておけ」
いつも通りの夕食後。リヴァイ兵長の言葉に首を傾げたのは、まるで「ちょっと旅行にでも行くか」とでも言いたげな気軽さでそう命じられたからだった。
私の覚えている限り、兵長に旅行に行けるような休暇が与えられている様子はなかったし、もちろん私にもなかった。
「どこか行くんですか?」
もしかして急な出張とか。
あまりないことではあるけれど、たまに兵長の出張に私がお供することがある。今回もその類なのかと思ってそう問いかけたのだが。
「詳しいことは追々話す。いいから急げ」
兵長の返答はどうにも素っ気ないもので、私としてはもう少し説明が欲しい。とはいえ兵長が唐突な物言いをするのには慣れているというのもあって、私は素直に頷いたのだった。
身の回りの物と言っても、これといって持ち出したいものはそう無い。兵長のあの口振りからすると、数日ほど本部を空けると考えておけばいいのだろうか。とすると必要なのは、着替えと兵長から貰ったいくつかの小物だ。鞄に荷物を詰め込んでいると兵長がやって来た。待ちくたびれたらしい。
「そんなガラクタ置いていけばいいだろう」
「ガラクタじゃないですー宝物ですー」
唇をとがらせて反論する。生意気だと唇を指でつままれたけれどこればかりは譲れない。
兵長から貰った物を何でも取っておいてしまうのは、私の悪癖だと兵長は言う。それでも私にとってはどれも手放しがたく、自室にはあちこちに兵長から貰った思い出の品が置いてあった。
「全部は無理だから、厳選したんですよ」
「これでか」
これでですと真面目に頷く。
「本当はもっと持っていきたいんですけど」
「やめとけ。必要があれば届けてやる」
「届ける?」
「……何でもねぇ」
何やら不思議なことを言う兵長は、それでも私に詳しい説明をするのを避けたいようだった。こうなると聞き出すのは至難の業だ。結局は諦めるほかなく、私はおとなしく荷造りの続きに取りかかった。
「よし、行くぞ」
「え? 今からですか?」
私の荷造りを見守っていた兵長は、終わると同時に私の腕を掴んで言った。その言葉に思わず窓の外を見るが、日はとうに沈んでしまっている。というか夜中だ。今から出かけるには遅すぎるというか何というか。
「この方が都合がいい」
兵長の言葉に私が逆らう筈もなく、ただ頷くしかできなかった。
ひっそりと人目から隠されるように用意されていたのは、黒い毛並みの馬が一頭だけ。いつも兵長が壁外へ行くのに乗っている馬だろうか。荷馬車用に使われているものとは違う。
私の荷物を手早く括りつけ、兵長はさっさと馬に乗る。それを見上げて先程からの疑問を投げかけた。
「一緒に乗せてくれるんですか?」
「お前が走りたいってのなら別だが」
それを聞いて無言で馬によじ登る。手間取っていたら呆れ顔で抱き上げられて、兵長に後ろから抱えこむようにされた。
「暴れるなよ」
私の身体を抱えながら、耳元で兵長が言う。
身長差があまり無いので、自然とそうなるのは仕方のないこととはいえ、耳元や項に兵長の呼吸を感じるこの体勢に若干の気恥ずかしさはある。
「前見えますか」
「落とすぞ」
照れからつい軽口を叩いてしまうと、真剣そのものといった様子で兵長は私を抱える腕を緩める。慌てて嘘ですごめんなさいと腕にしがみついた。
「馬鹿言ってる時間が惜しい。行くぞ」
返事をするかしないかの内に、兵長は馬を走らせる。
流石兵長の馬と言おうか何と言おうか。馬は森の中をかなりの速度を出して走っていく。
途中二度の休憩を挟み、どれだけ走っただろうか。私はもう既に方向感覚を失っていて、どこを走っているかもわからなかった。ただ、兵長が一緒なのでどこだろうと大丈夫だという確信だけがあった。
馬は何時間も走って、走って、走り続けた。
振り落とされないよう必死になっていたのと、後ろに感じる兵長の体温。その二つのせいか、どうにも眠気が襲ってくる。兵長はそんな私の様子をすぐに察してしまったらしい。
「眠けりゃ寝てろ」
落ちないように抱えていてやるからと言ってくれた。
とはいえ流石にその言葉に甘えるわけにはいかない。
兵長は馬を走らせているのだ。それに加えて私が面倒をかけるわけには。
「大丈夫です……」
「ふにゃふにゃした声しやがって。黙って寝られる方が危ねぇんだ。無理そうなら早めに言え」
「はぁい……」
言い方は辛辣だけれど、私を気遣ってくれていることはわかる。眠気を吹き飛ばそうと勢いよく首を振って、手綱を握る兵長の手にそっと触れた。
「……もうじき着く」
あれから何とか睡魔に負けることはなく、更に馬を走らせた。
森の中や街道や裏道をいくつも通り、時に戻ったりしながら辿り着いたのは。
「……ここどこ、ですか……?」
私の疑問に、やはり兵長は答えてくれない。
先程から、道を通るというよりは森の中で木の間をくぐり抜けているといった方が近い状態だ。ここに至るまで一人の人間にも出会っていないので、兵長がわざとそういうルートを選んでいることはわかる。
どんどん深い森の奥まで進んでいくようで、このままでは馬が立ち往生してしまうのでは──そんな風に思い始めた頃、そこに着いた。
「……立派なお家、ですね」
「ああ、家だ」
どうしてこんなところにと言いたくなる程、唐突にそれは出現した。
森の中、そこだけ木を取り除いて作ったのかと思うような佇まいの、一軒の屋敷。石造りで頑丈そうだ。まるで、古城のよう。
他に誰かいるのだろうか。中は真っ暗で外に明かりもないけれど、時間が時間だし家主は眠っているのかもしれない。家主が居ればの話ではあるが。
きょろきょろと辺りを見回す私をよそに、兵長はさっさと馬から下りて括り付けていた荷物を下ろし始める。慌てて私もそれにならうと、ちらりとこちらに視線を寄越して、
「ここにいろ」
とだけ言って馬を連れて行ってしまった。
視線でそれを追うと、井戸から水を汲み上げた兵長は走り疲れたであろう馬に飲ませている。ねぎらうように撫でているのを見て、少しだけ羨ましいと思ったけれどその言葉は飲み込んだ。だってあれは、私たちを乗せて走ってくれた馬へのご褒美だし。
そのまま近くへ馬を繋いで、兵長が戻ってきた。荷物を抱えて所在なげに立っている私の前までやって来て、乱暴に頭を撫でられた。
「え、何、なんですかっ」
がくがくと前後に頭が揺れる。
何のつもりなのか解らず、でも一応撫でてくれるのは嬉しい。文句も言えないけれど兵長の行動の意味がわからない。脳内に疑問符をいくつも浮かべていると、兵長は呆れ顔で口を開く。
「物欲しそうな目線寄越しやがって」
──全部お見通しだった。
私が見つめていた理由を全て見抜かれている。流石付き合いが長いですねと笑える余裕は今の私には無い。
結果として、赤く染まっているであろう顔のまま、兵長に腕を引かれて屋内へ足を踏み入れたのだった。
「掃除は適当に済ませておいた」
「そうですか……」
兵長が「適当に」と言うのなら、隅々まで掃除が行き届いているに違いない。実際、廊下の隅にも壁のランプにも、埃一つ見あたらないし。
荷物を置きがてら、兵長は少しだけ説明してくれた。
この家には今誰も住んでいないということ。私たちが来るまで、もうずっと長いこと使われていなかったそうだ。そのせいで埃が溜まっていて仕方がなかったのだと言う兵長は、忌々しそうにも、掃除のし甲斐があったと楽しそうにも見えた。
廊下を進んで私達が辿り着いたのは寝室で、中を見ると随分と広い。
兵団本部にある兵長の部屋もそれなりに広かったけれど、これはそれ以上だ。
大きな窓と立派なベッド。それに暖炉まで。いちいち豪華な部屋の調度品に気後れするのは仕方ない。
適当に荷物を置けと言われて、ベッドの横にそっと置いた。せっかくの広い部屋ではあるが、私には有効活用する方法がわからない。
──カチリ。
背後からそんな音がした。静かな空間に、それは驚く程大きく響く。
振り向くと兵長は未だにドアのところに居て、後ろ手に鍵を閉めたのだと知る。
何故そんなことをするのかわからず、首をかしげたものの兵長の顔は真剣そのものだった。
「兵長?」
ずっと無言のままでいる兵長に少しだけ不安になった。何か言ってほしくて声をかけると、ゆっくりとこちらへ向かってきた。
そのまま私の前までやって来ると、兵長はようやく口を開いてくれる。
「さっきも説明したが、ここには今誰もいねえ──俺と、お前以外は」
黙って頷く。そのまま次の言葉を待っていると、兵長はなおも言った。
「この家の存在を知る人間もほとんどいねえ。人を連れてきたのも初めてだ」
それを聞いて、この家を用意したのが他でもない兵長なのだと知る。
どうして、何の為にここを手に入れたのか。
当然次はその説明がされるものだと信じ切っていた私は、兵長に次の言葉を促す。
「だから、」
そこで言葉を切って、兵長はまっすぐ私と視線を合わせて言った。
「──お前はもう、この家から出ることはできない」
そんな、予想すらできなかった言葉を、静かに。
【今回の本について】
・原作61話までの要素と、それ以降の未来捏造を多分に含みます。
・ほのぼの監禁エロを目指しました。
・監禁ものですがいつも通り「兵長と幸せになりたい」が根幹にあります。