水分補給の方法論
「お茶どうぞー」
よく晴れた昼下がりのことだった。
冬の合間のよく晴れた日に、リヴァイ兵長たちは何やら話し合っていた。会議という程堅苦しくもなく、書類など机に広げてああでもないこうでもないと意見を交わしている。そんなところに通りがかった私は、休憩するからお茶をと請われて頷いた。
テーブルに団長、兵長、ハンジさん──と順番にカップを並べていく。
「どうぞ、ハンジさん」
「おーありがと」
淹れたばかりの温かいお茶を受け取って、ハンジさんは笑顔を浮かべる。
「あれ? リンのは?」
休憩するのだから、一緒に飲んでいけばいいのにとハンジさんは首を傾げた。
いつもなら、すぐに頷いたと思う。
「ええと……」
私の身体の右側面に、ちくちくと視線が刺さる。
誰のものかなんて言うまでもない。
「……」
無言で私を見つめている、兵長の視線だ。
「私は大丈夫ですので。ええ、本当に」
もごもごと誤魔化してはみたものの、兵長の方を気にしてしまっているのは明らかだ。ハンジさんにも当然お見通しのようで、訳知り顔で口を開く。
「なに? また何かリヴァイに変なプレイを強要されてる?」
「ハンジ」
「してねぇよ」
窘めるような団長と、舌打ち混じりの兵長。ちなみに私は絶句している。
「強要とかでは、その、なくてですね」
「プレイなことは否定しないと」
「……!!!」
どうしよう。なんて返したら。どうにかこの場を切り抜けて逃げなくては――とぐるぐる考えていたら、救いの手が差し伸べられた。
「リン」
「はいっ」
カップを静かに机に置いて、兵長はハンジさんを一睨みすると溜め息を吐いた。
「もういい。後はこっちで片付けるから下がれ」
ご苦労だった、と言われるのが早いか、私は即座に部屋の扉まで下がる。
「あっ逃げた」
「それでは失礼します!」
ハンジさんはまだ何か言いたそうではあったけれど、兵長の無言の圧力で諦めてくれたらしい。それとも、からかう対象を私から兵長に変えてくれたのだろうか。どちらにせよ私はぺこりと頭を下げて、一目散に逃げ出したのだった。
「焦ったじゃないですか」
昼間は大変でしたと口をとがらせる。
そんな私を見たところで兵長が動揺する筈もなく、いたっていつも通りの顔でソファに座っている。そうして薄暗くなっていく窓の外を見つめながら、水の入ったグラスを揺らしていた。
「……」
ごくり、と自然と喉が鳴った。
私の様子に気づいたのか、兵長はグラスを持ったまま薄く笑う。
「喉が乾いたろう」
「……ええ、まあ」
「冬とはいえ、水分はきちんと摂った方がいい」
「兵長が、それを言いますか」
「ほら、来い」
数時間ぶりの水分と兵長の誘惑に、私はまんまとソファへと吸い寄せられてしまう。気づけば大人しく兵長の横へと収まって、腰を抱く腕にも逆らえないままだ。
「こっちを向け」
兵長の一言だけで私の思考はとろりと溶けて、言われるがまま兵長の顔を見つめる。なすがままの私のことがお気に召したのか、兵長の機嫌がじわじわと良くなるのを肌で感じた。
兵長が手にしたグラスの透明な水。喉に流れ込んでくる感覚をイメージすれば再び喉が鳴ってしまうのも無理はない。
そのままグラスを手渡してもらい、一息に飲み干してしまう──という展開には当然ならない。
兵長は私が見つめているのを意識しながら、そっとグラスに口をつけると、そのまま水を口に含む。いつもならば当然兵長はそのまま飲み下し、動く筈の喉仏は今日に限ってはぴくりともしない。
そのかわりに兵長はグラスから口を離して私の方を向いた。
そしてそうすることが当然とでもいうように、ゆっくりと顔を近づけて私の唇を兵長の唇で覆う。
自然と開いてしまう唇の間から、焦がれた水が流れ込んでくる。喉が乾いていたこと以外の理由なんて無い筈だけれど、私は兵長から与えられる水にうっとりと酔っていた。
一口分の水を私に飲ませた兵長は、すぐに唇を離してしまった。これでは足りない。あくまでも水が、である。
「もっと……」
「どっちを」
「……お水で」
このタイミングでキスをねだってたまるかと、意地のようなものがあった。きっと兵長には全て見通されている。
「ああ、これはお前の為に汲んできた。全部飲んじまえ」
そうして再びグラスの水を口に含んだ兵長は、楽しそうに私の唇を塞いだ。
そもそもどうして私が兵長からの口移しで水を飲んでいるかといえば、話は前日に遡る。
昨日も今日以上にお天気がよくて、冬にしては暖かいねと周りと話していた。書庫で必死に身体を動かしていたらうっすらと汗ばむ程で、休憩にはお茶が欲しいなと考えながら次から次へと本を運んでいたのだ。
「おつかれ。差し入れだって」
「わーありがとう!」
書庫での作業を一通り終えて、這い出てきた私に手渡されたのはソーダ水のボトルだった。
今日の気候が冬らしくないと感じていたのは私だけではなかったようで、温かいお茶以外が飲みたくて買ってきてくれたらしい。
休憩所で早速ボトルを傾けた。舌と喉に感じるぴりぴりとした刺激が心地いい。さわやかな甘さが喉を滑り落ちて、火照っていた身体がゆっくりと冷めていくのがわかった。
「ふう……」
机にぺたりと頬をつけると、ひんやりして気持ちがいい。
しばらくそうしてじっとしていたのだけれど、暖かいとはいえやはり季節は冬。動いていなければすぐに冷えてしまう。身体を起こした私はぶるりと震えた。冷えたソーダ水の残りは今はやめておこう。ボトルには蓋をしておけばいいかな……とテーブルを見回していると、同期の一人から声がかかる。
「飲まない? なら私もらってもいい?」
今日はやたらと喉が乾いちゃって、と笑うその子は、成る程もう自分の分を飲み干してしまったようだ。
「どうぞどうぞ。ちょっと待ってね」
テーブルの上のちり紙でボトルの口を拭う。グラスに入れ替えようかとも思ったけれど、この方が早い。
「ああ、別に気にしないのに」
「そう?」
同性なんだし気にならないと言われたので、やはりグラスを持ってくることはやめてボトルをそのまま手渡した。
「飲んだらあと一仕事しますかー!」
「おー」
その場にいた面々も口々に頑張ろうと呟いて、その日の休憩も和やかに終わった。筈だった。
つまりその現場を兵長はどこからか目撃していたというわけだ。
夜になって、部屋で二人きりになってから、兵長は拗ねた。
それはもう拗ねた。
「うるせぇ誰が拗ねるか馬鹿野郎」
ベッドの上で膝を抱えて壁を向きながらそう言い捨てる程には拗ねていた。
「あの、相手は女の子でしたし……」
「野郎でたまるか。てめぇは調査兵団の兵士長が白昼堂々資料庫に殴り込みをかけたって噂にしてぇのか」
「滅相もないです」
そして殴り込みをかけるつもりだったのかと改めて震える。
「俺にはあんな真似したことねぇだろうが」
「そりゃあ、だって……」
兵長は控えめな言い方をしても綺麗好きだし、人が口をつけたものを手渡したら不快になるのではないだろうか。
「兵長が嫌じゃないですか? 私の方はちっとも構わないですけど……」
「……本当か」
「え?」
「お前は俺ならいいのかって聞いてる」
兵長の言葉に大人しく頷く。勿論構いはしない。
「兵長でしたら、間接キスでも直接キスでも」
どちらだって大歓迎ですと、本心からそう言ったのだ。
けれど途中から兵長の表情が変化していたことには気づかなかった。何しろそっぽを向かれていたものだから。
「言ったな?」
「言いましたとも」
何でしたら今すぐにでも直接私の唇を奪っていただいて全く構いません──なんて、でれでれしている場合ではなかったと後から嘆いても全てが遅かった。
直後、兵長はとんでもない宣言をすることになる。
「まさか私だって『明日一日、お前は俺からしか水を飲んではいけない』なんて言われると思わなかったんですよ……」
「俺の真似のつもりなら恐ろしく似てねぇぞ」
私の頑張って出した低音ボイスは無駄だったらしい。
あの後結局兵長はグラス一杯分の水をまるまる私に口移しで与え、それでも足りないだろうと水差しごと持ってきたので慌てて一旦テーブルに置いてもらった。
今日はもう、何度兵長とキスをしたのかわからない。
兵長はあくまで水分補給だと言い張るので正確にはキスではないかもしれないけれど、昨日宣言した通りに兵長は私に何度も何度も水を飲ませてくれた。
流石に人前でそんなことをしていたら大変な騒ぎになるので、人目を忍んで執務室で、そしてこの私室で何度も。
「このままだと私の身体が、水は兵長から飲むものだって認識しそうで怖いです」
「それならお前が俺から離れて生きていけなくて好都合じゃねぇか」
「もうとっくに兵長から離れて生きていけないからそれは別にいいんですけどね」
「……」
「何ですか?」
「……いや、何でもねぇ……」
お前は時々すごいことを言うとかなんとか、兵長は珍しく口ごもっていたけれど、そっとしておくことにした。
唇の感覚が残っているか、指でふにふにと確認していたら、隣に座る兵長が私の腰を抱き寄せる。バランスを崩してしがみついたけれど、それを良いことにそのまま密着していた。頬を擦りよせても怒られなくて嬉しい。
「別に怒ったことはねぇつもりだが」
「離れろ鬱陶しいって言うじゃないですか」
「お前が離れないのを前提に言っている」
「そういうものですか」
「そういうもんだ」
そういうものらしいので、遠慮なくくっついたままでいよう。シャツ越しに兵長の体温が伝わって暖かくて気持ちがいいし。
「……その、何だ。今日は無理をさせたと思う」
ぼそりと兵長が呟く声に、思わず声をあげようとしてそっと手で押しとどめられた。顔を見られたくないと、そういうことだろうか。
「……こんなことで年甲斐もなく妬く男は面倒か」
「…………兵長がやきもち妬いてくれたのと、たくさんキスしてもらえたのと、今そう言ってくれたことで帳消しどころかものすごく得した気分でいます」
最終的に昨日からの兵長の言動がやきもちだったと暴露された私の気持ちがおわかりだろうか。
正直今ものすごく兵長に飛びついて全力で抱きしめたい。
「えへへへへ……」
「それで喜ばれても困るんだが」
歯止めがきかなくなったらどうするとぼやく兵長に、私は更に笑みを深くする。
「…………ぷはぁ」
お風呂上がりの火照った身体に冷たい水は最高だった。
ちなみに兵長からではなく、きちんと自分でグラスから飲んでいる。一口ずつ与えられるのではなく勢いよく流れ込んでくる水が喉に心地よくて、ついぐいぐいとグラスを傾けてしまうのも無理はなかった。
「オイあんまり飲みすぎるな。寝小便するぞ」
「しませんよ!」
さっきまで良い雰囲気だったのに、何てことを言うのか。
むくれる私の腕を引いてベッドに座らせると、兵長は後ろに回ってタオルで髪を拭き始めたので私の機嫌は一瞬で直った。少し強めに頭を揉みこまれるように拭かれると夢心地だ。
「まだ寝るなよ」
色々こっちにも都合がある、と呟く兵長の声は熱を帯びている。
一日中数え切れない程唇を重ねて、じわじわと熱を灯していたのは私だけではなかったようだ。
「……手加減してくださいね?」
経験上、こういう夜の兵長はその、色々とすごいから。無駄かもしれないと思いつつも一応言ってみる。
「善処しよう」
嘘だ。
声が嘘だと言っている。
「ああ、そうだ」
「何ですか?」
「喉が乾いたらすぐに言えよ。飲ませてやる」
一日練習したからと私の背後で呟く兵長は、私の首筋に早くも口づけなど落としている。
その表情がどんなものかなんて、見るまでもなくわかっていた。
end
アクアクララ(ウォーターサーバー)と進撃のコラボで、謎のスイッチが入りました。
20150210