※auスマパスの兵長と団長のインタビューから発展した話です


いつかのどこかの紅茶店


 窓から差し込む日差しに眩しさを感じて、無意識に眉を寄せた。昨夜カーテンをきちんと閉めなかったのだろうか。自分らしくもない。
 ベッドの中は心地よく、一歩外に這い出た瞬間からこの暖かさが失われるのはわかっている。それもあって、俺はなかなか目を開けることができなかった。現実から逃げるようにして、腕に抱え込んでいる体温を更に抱き寄せる。
「ふ……んん……?」
 柔らかく、暖かい。
 薄手の寝間着は抱き寄せている相手の体温をそのまま伝えてきた。腕に力を込めるとむずがるように身じろぎをする。逃したくなくて首筋に鼻先を埋めれば、ふわふわと嗅ぎ慣れた匂いがした。
 髪か、肌か。それとも全身からか。これだけ密着しているにも関わらず俺の体臭とは別の香りだった。すう、と深く息を吸い込んでみると安心感に包まれる。ああ、このまま再び微睡んでしまえたら、どんなにか。
「り、ヴァイ……さん……?」
 むにゃむにゃと半分寝ぼけたような声を出し、うっすらと目を開けたリン。俺が胸に抱き寄せていることに気づくと、途端に表情をとろけさせた。
「おはようございます……」
「ああ、おはよう」
 まだ完全には覚醒していないようで、リンは自ら俺の胸に頭など擦り付けている。甘える仕草がどうにも可愛らしく、そのまましばらく好きにさせてやった。
「そろそろ起きるか」
「今日も寒そうですねぇ……」
 いつまでもベッドの中で微睡んで、お前を抱きしめていたい。
 そんな本心をすっかり隠し、寒いと丸まろうとするリンから布団を引きはがそうとする。俺ではなく布団に縋るとは何事だ。
「あああお布団……!」
「そろそろ朝飯にしねぇと食いっぱぐれるぞ」
 時計をちらりと見て促すと、ようやくリンも諦めたようだった。もそもそと起きあがって小さく震えている。確かに今朝は一段と冷え込む。そろそろ厚手の寝間着に替えてやらなくては、寝起きがつらい時期になってきていた。少しでも肌の感触や暖かさを感じていたくて、就寝中に薄着を乞うたのは俺の方だった。寒くないように好きなだけ暖めてやるからと言うと、リンはすぐさま頷いて快諾したのだ。
「朝ご飯は何がいいですか?」
「卵」
「目玉焼き? オムレツ? 茹でるのもいいですね」
「……目玉。ハムも」
「はぁい」
 一度目が覚めてしまえばリンの身支度は早く、俺を残してキッチンへと去っていった。一人消えただけで部屋の中がどことなくうすら寒く、俺もさっさと着替えてしまおうと、シャツに手をかけた。



「──砂糖は先に入れたぞ」
「わぁ、ありがとうございます」
 朝食に限らず、食後に紅茶を淹れるのは何となく俺の役目になっていた。リンの淹れる紅茶もけして捨てたものではなかったし、実際たまに淹れてくれとねだることもある。しかし俺の淹れた紅茶に嬉しそうに口をつけるリンを見ていると、俺は自然と茶葉を手にしてしまうのだ。
「暖まりますね」
「ああ」
「今日は寒いから……お客さんも暖かいものが欲しくなるかもしれません」
「そうだな」
 寒さに鼻を赤くして飛び込んできそうな常連の顔を二つ三つと思い浮かべ、今日は忙しくなるかもしれないと準備のため立ち上がった。
 俺の店──いや、俺とリンの店を今日もオープンする為に。



 接客業など無理に決まっていると爆笑されたのは記憶に新しい。実際俺もその通りだと思っていた。
 平和な世界を取り戻し、さてこの先どうすると決めかねていた時に、不意に紅茶の店を開こうと思ったのは完全な思いつきだ。
 どう思うと目の前のリンに問いかけると、いいんじゃないですかと笑顔で頷いた。当然俺はリンを手放すつもりなど毛頭なかったので、店をやるならお前も一緒だと半ば命じるように宣言してしまった。
「勿論じゃないですか。私はずっとリヴァイさんと一緒です」
 いじらしさに頭からかぶりついてやりたい衝動を、その時はなんとか押さえ込んだ。
 退団後にまとまった金が手に入った。それを元手に店を借り、二階に自宅を構えた。店も家もそう広くはないが、これまで兵団の俺の部屋で二人暮らしていけたのだから、そう困ることもない。手狭になったら追々考えていけばいいことだ。それに、狭いと万が一にもベッドを二つ運び込むなんてことができないのがいい。
 茶葉についてはリーブス商会につてがあったのが幸いした。元々は調査兵団に優先的に融通させていたものだが、店を構えることにしたと告げたら目を丸くしながらも回してもらえることになったのはありがたい。
「あんたに店……? できんのかよ」
「もう百回は言われた。やってみなけりゃわかんねぇだろ」
「あーあれか、あの姉ちゃんがいるからか」
「さぁな」
 リーブス商会の新しい会長──前会長の息子だが、最近はだいぶ貫禄が出てきたようだ。
 しかしどいつもこいつも俺が店を開くと聞くと目を丸くしやがる癖に、リンも一緒だと察すると何故納得するのか。別に俺はリンに全ての接客を押しつけるつもりはない。きちんと役割分担をするつもりだ。
 初めは茶葉の量り売りをするつもりだったが、小さなカウンターとテーブルセットが店舗に残されたままになっていたので、試しに店で紅茶を出してみたらこれが良かった。初めは遠巻きに見つめるばかりの街の住人がちらほらと立ち寄るようになり、まあ俺とリン、二人分の食い扶持に困ることはなく暮らしている。



「そろそろ店じまいにするか」
「そうですね」
 朝のリンの言葉通り、この冷え込みのせいか客足は増した。リンから持ち帰り用のカップに入れてやった紅茶を手渡された客は、皆一様に表情を緩ませて帰って行く。店の中で飲んでいく客も同様だった。
 同じように店を開くのでも、酒を扱わないのは良かったかもしれない。ここを訪れる客は、割と皆大人しい。
 無論ろくでもない輩──カップを手渡すリンの手に触れたり、リンの身体に手を出そうとしたり、あまつさえリンを口説こうとしたり──達は、俺がこの手で一人一人丁重に「リンが誰のものか」を説明してわかってもらった。物わかりの良い連中が多くて助かっている。
「お菓子の残り、今夜デザートに食べましょうか」
「いいのか」
「また明日焼きますから」
 簡素なものではあったが、紅茶に合わせてリンはよく菓子を焼いた。甘いものを食うのが好きなのは知っていたが、作る方もこれでいて上手い。難しいものは作れないんですよと笑うが、なに、俺だって難しい茶なんぞ淹れられないから丁度いいのだ。



 穏やかな日常だと思う。
 一日の仕事を終え、心地よい疲れを晩飯と風呂で癒し、ベッドに潜り込む度に思う。
 そこに物足りなさは無い。
 先にベッドに上がった俺は、寒いのをこらえて毛布をめくっている。リンの髪は俺よりも長いから、乾かすのに時間がかかるのだ。髪の水分を拭き取ったリンがベッドの方を見た時に、あまり言葉には出せない「おいで」を伝える為に。
「湯冷めするなよ」
「ふふ、だいじょうぶ……」
 朝、半分寝たまま甘えられるのもいいが、こうして夜になって二人きり、とろりと表情を緩ませるのを見るのもたまらなかった。
 同じベッドに入って、取り留めのない話をしたり、時には別々に読書をしてみたり。勿論お互いの身体に手を伸ばす夜もある。それでも、常に一緒だった。
 今日は何だか一日があっという間に過ぎてしまった気がする。ごろりと横たわると、それに倣ってリンも隣へ潜り込んできた。まだ湯上がりの余韻を残した身体の暖かさ。そっと肩の辺りに触れてみる。
「……あったけぇな」
「リヴァイさんもあったかいですよ」
 もそもそと近づいてくる身体を、当然のように緩く抱きしめた。
 目覚める時も、眠る時もこの体温と一緒だ。
 いつか何よりも焦がれたものを今の俺はようやく手に入れていると思うと、目の眩むような幸福感を覚えた。そんなものを欲しがっていたことすら、昔の俺は気付いていなかった。それを気付かせたのも、俺に与えたのも、全て。
「リヴァイさん、眠そう」
 今夜は早めに寝ましょうか。
 リンの声が少しばかり遠くから聞こえる。睡魔に襲われているのだろうか。眠ってしまえばリンの存在を知覚することができない。夢の中までついてこいと言ったところで、困らせるだけなのはわかっていた。
「まだ……」
 それならまだ起きていて、こうして抱きしめたまま話をしよう。貪るように口づけて、この身体を暴いてしまいたいような気もするのに、何故だか今夜は吸い込まれていくように眠い。
「今夜も、明日の朝も、明日の晩も一緒ですよ」
 だから大丈夫だと、頬と唇に口づけられる。そっと頭を撫でられると、ガキのようで自分がみっともないと思うのに、リンの手でそうされることだけは心地良かった。
 ずっと一緒だから大丈夫。おやすみなさい。
 その言葉に果たして俺は返事ができたのか。
 それすらわからないまま、眠りの世界へと引き込まれていった。



 窓から差し込む日差しに眩しさを感じて、無意識に眉を寄せた。
 ──ああ、今日もいつもと同じ朝だ。
 外は寒くとも、ベッドの中は暖かい。腕の中に収まっている存在のおかげであることは明らかだ。柔らかくて、暖かくて、俺に幸福を与えるもの。
「んー……?」
「起きたか」
 俺自身、まだ若干ぼんやりとしたまま、腕の中のリンに声をかける。頬に鼻先を押しつけてみると、冷たいと身じろぎして笑った。
「おはようございます……兵長……」
「何だ、兵長なんて呼んで」
 ふにゃふにゃとした声で、まだ夢の中だろうか。昔のことを夢にでも見たのか。
「ちゃんと名前で呼べ」
「え、え……っ」
 戸惑いながらも頬を染める姿が愛しい。早くと俺がせがめば、小さな声で。
「リヴァイさん……」
 ともじもじ俺を呼んだ。これはこれで新鮮でいい。
「今日も寒いな」
「そうですねぇ」
 昨日と同じく、熱い紅茶を求めて客が来るはずだ。そうリンに告げると、リンはきょとんとした顔をしている。
「お客さん……?」
「そうだ、俺とお前の店に、今日も──」
 そこまで言って、違和感に気付く。同時に眠気も一気に吹き飛んでいく。
 リンの身体を腕の中から解放し、慌てて毛布をはねのけた。ああまさか。そんな筈が。
 見渡した部屋の中は、いつも見慣れた風景だった。俺が長年見つめてきた──調査兵団本部の、俺の部屋。
「あの……」
 起きあがってベッドの上で呆然としている俺を見かねたのか、くいくいと服の袖が引かれる。誰がかなんて、決まっていた。
「どうかしましたか兵、じゃなくて……リヴァイさん?」
「────────!!」
 一気に顔に血液が、熱が、とにかくそういったもの達が集まる。
 寝ぼけていた。寝ぼけていた。盛大に寝ぼけていた。
 何だあの夢は。紅茶店? 俺が? リンと?
 己の都合の良すぎる夢に、言いたいことはいくつもある。いくつもあるが、今はとにかく。
「さっき目覚めてからの全てを忘れろ……っ」
「えええええ」
 理不尽な要求を、リンに突きつけることしかできない。



「どんな夢だったんですか? 詳しく知りたいなぁ……」
「誰が言うか」
 クソが、と吐き捨てる俺は、未だにリンの顔がまともに見られない。夢が己の願望をあらわすというのなら、自分の願いの甘ったるさに嫌気がさす。
「夢なら私も見たんですよ」
「空でも飛んだか」
「違いますよ! 兵長と一緒で、お店やってるんです。それで──……」
 リンが途中で口をつぐむ。俺の顔が、そんなに面白いのか。
「俺とか」
「はい! でも何屋さんかは覚えてないんですよね」
 いい夢でしたとリンは笑う。俺と一緒だったからと、嬉しそうに。
「……じゃあ。いつか俺が店を開くんなら、お前に役立ってもらうか」
 声が震えていないか、らしくもなく不安になった。夢の中のように手放さないと自信たっぷりに言えたら良かった。それに対するリンの回答は。
「勿論じゃないですか。私はずっと兵長と一緒です」
 夢の中と同じ、俺が望んだそのままだった。
「そうか」
 それしか返すことが出来ない。
 夢の中の俺が求めていたのは、たった一つだ。
 目覚める時も、眠る時も目の前のこの女の体温が欲しい。それだけだった。
「そろそろ起きないと遅刻しちゃいますよね……寒いですけど」
「リン」
「何ですか?」
 こちらを向いて首を傾げる姿を見ながら、ゆっくりと問いかける。
「お前、今夜も俺と寝るか」
「えっ? え、あっ、……寝ます」
 恥じらいながら、一緒に眠らせてくれると嬉しいですとリンは言った。
「明日と、明後日と、その次もだ」
「はい! ……ふふふ、こういう約束もいいですねぇ」
 早速今夜が楽しみですと笑う。その姿を見て俺は。

 ──ああ、なんだ。欲しいものは最初から持っていた。

 夢の中の自分はそんなことにも気付いていなかったのかと、自嘲気味に笑った。


end


兵長は完全に冗談混じりでしたが、兵長が例え仮にでも未来のことを考えて、やりたいことが「紅茶の店」というのを見て弾け飛びました色々と
兵長が紅茶のお店を開いたら、一日三回通い詰めたいと思います
20141126


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