好きの理由と好みのタイプ
「──リン。お前、確か今日は休みだったな」
「はい、そうですよー」
私が目覚めると、リヴァイ兵長は早くも身支度を整えている。休みの日はベッドでだらだらと一緒に過ごすことを許してくれたりもするので、今朝のように先に起きているのは珍しい。
私の言葉に兵長はしばらく黙り込むと、再び口を開いた。
「どこかに出かける予定はあるのか。街へ買い物とか、他の奴と約束とか」
「それもないですけど」
一日中兵長に構ってもらうつもりですと、ベッドの上に座ったまま笑う。
だらしないからさっさと起きろと兵長がベッドに近づいてきたら、そのまま腕を伸ばしてまとわりつこうと思う。あわよくばもう一度ベッドにもぐりこんでくれたらいいのにと期待もしていた。
時計を見ても休日の朝としてはまだ早い。もう少し一緒に眠れたらいい。
私の祈りが通じたのか兵長はこちらへとやってきて、手を伸ばすと私の目元を擦る。指の腹でぐいぐいと。
「んー」
「……俺も休みの筈だったんだが」
そっと指が離れていく。口ごもりながら私の横に腰をおろす兵長は、私と目を合わせないようにする為かまっすぐ前を見ていた。
何だか次の言葉が予想できてしまって、聞きたくないなと思うけれど現実は非常だ。兵長は一呼吸置いてから言葉を紡ぐ。
「急な仕事が入った」
やっぱり。
大体想像した通りだった。
仕方のないことだと思う。兵長が急な会議や任務、呼び出しを受けるのは珍しくないことだった。例えそれが休日であろうと。
それに、休みたいのに休めないのは兵長の方だ。
残念に思う気持ちがないとは言えないけれど、邪魔はしたくない。
「何かお手伝いありますか?」
「いや……いい」
「そうですか……」
どちらかと言うとそちらの方が残念だった。
「出かけてきてもいいぞ。買い出しでも何でも」
兵長にはそう言われたものの、あいにく急ぎで必要な物はなかった。前回の休みに街へ出てしまって、一通り買い揃えてしまったからというのもある。
「今日はゆっくりしてようかなと思います」
私の言葉に、見るからに兵長は安堵した表情を浮かべた。私ですら一瞬違和感を覚える程に。
「そうだな。そうしろ。それがいい」
矢継ぎ早に繰り出される言葉が怪しい。
「兵長?」
何か事情がありそうですが。
そんな私の言葉にも、兵長はしれっとした顔を浮かべたままだった。
「ねぇぞ何も。今日が休みなのを見越して夕べあれだけしたんだ。休んでおけ」
わあ。
唐突にそういうことを言われると困る。
困るというか、心の覚悟がというか、その、恥ずかしいというか。
「……えっち……」
「何がだ」
この辺りの機微は生涯通じ合えない気がする。
***
「いいか、できるだけ部屋から出るなよ。飯はキッチンにあるものを好きに食え。洗濯も今日はいい」
兵長は何度も私にそう言い含めて、朝食もそこそこに出て行ってしまった。慌ただしいことこの上ない。
「……」
残された私は、食器を洗いつつ考える。
先程の兵長の様子のこと。
いつになく落ち着きがなさそうに見えたのは、私の気のせいだろうか。私がいつも兵長のことを見つめているから、ほんの少し様子が違うだけで、おかしいと感じてしまうのだろうか。
怪しいことなんてない、と思いたいのは山々だけれど。
誰だって恋人のことを疑いたくなんてないし、兵長が言うことなら私は従いたい。
だから全ては私の勘違いだと思いたくて、ごろりとベッドに寝転がってみた。
枕もシーツも、兵長の匂いがする。
洗濯はいいと言われたので、今日はまだシーツを替えていない。後で新しいものを出してこよう。でもその前に今は兵長の残り香に包まれていたい。
厳密にはこれは兵長の匂いではないのだと言われたことがある。
私自身はわからないけれど、私の匂いも混ざっているそうだ。
以前私の首筋に顔を埋めてすんすんと鼻を鳴らす兵長に、思わず「ミケさんみたい」と笑ったらすごい形相をされた。
「こうされたことがあるみてぇな口振りだが」
あの時は弁解するのに骨が折れた。
兵長以外がこんなに近づくことはないと、五回は言った。
最後の方は兵長自身も面白がっていたような気がする。
私が困ると喜ぶのだから困った人だと思う。その癖、私が困っていると一番に助けてくれるのも兵長だから余計に困る。その、惚れ直すとかそういったことが。
(ああ……もう)
兵長のことを考えていたら、どうにも落ち着かない。
こうやって一人で寝転がっているから、余計なことばかり考えてしまうのだ。
書庫の整理でもしようか。
新しい蔵書が入ってきたので、昨日ある程度仕分けしておいたのだ。休日明けに細かく分類しようと思っていた。
こうしていても暇を持て余すばかりだし、兵長はいないし。
部屋からあまり出るなと言っていたけれど、書庫にこもっているなら大丈夫だろう。
どうして兵長がそんなことを言っていたのかはわからないけれど、一応「書庫にいます」とだけメモを残していくことにした。
積み上がって山のようになっていた文献の数々を頭に思い描いて、気合いを入れてから部屋を出た。
***
どうして兵長が「部屋にいろ」なんて言ったのか。
その理由は廊下を歩き始めていくらもしない内に判明した。
書庫までの渡り廊下を通っていたら、兵団本部の入り口に何やら人だかりができている。
馬車がいくつも停まっているのを見ると、他の兵団から人がやってきたのかもしれない。
人だかりの中、最初に兵長を見つけた。
もう無意識に目で追ってしまうのだなと我ながら笑ってしまう。
団長やハンジさん達も居るところを見ると、やってきたのはそれなりに上層部の人間か、はたまた権力者か。
調査兵団の幹部が揃ってお出迎え、という見慣れない光景につい足を止めてしまった。
本来ならば立ち去るべきだったのに、そうしなかったのは兵長を少しでも見ていたかったからかもしれない。
兵長はこちらに気づいていないけれど、それでも私はじっと見つめていた。
馬車からぞろぞろと降りてくる人々の中で、ひときわ目立つ存在が目を引いた。
上等なドレス。
美しく巻かれた髪。
すらりと伸びる背は、一瞬にして人の目を奪う。
綺麗な人だ、と同性ながら口をぽかんと開けて見つめてしまった。
あまりに間抜けな自分の様子に我に返る。せめて口くらい閉じよう。
そのままその女性と言葉を交わしているのは──他ならぬ兵長だった。
傍にいるお付きの人らしき男性と一言二言、言葉を交わして兵長は。
ゆっくりとその女性の手を取って、エスコートするかの如く本部の中へと消えていった。
***
綺麗な人だった。スタイルも申し分なかった。にこやかに笑っていた。愛想もいいということだ。どうしよう、完璧だ。
兵長と手を繋ぐ姿を見ていられなくて、脱兎の如く駆けだした。逃げるあてなんてどこにもないのに。
とりあえず当初の予定通り、書庫の整理をしたらいいんじゃないだろうか。
無心に作業を続けていたら、先程の光景についてあれこれ思い悩まなくてもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、本部の廊下をとぼとぼと歩いていた。
「お前さっきの見たか」
「あー。商会のお嬢さん」
角を曲がろうとして聞こえてきた言葉に、慌てて足を止める。
「美人だったなー」
「あれで団長達呼び出されてたのか」
だめだ。立ち聞きなんてよくない。
堂々と歩いて出て行くか、今すぐ引き返して他の道を行かないと。
「案外ああいう方が好みなんじゃないか、リヴァイ兵長も」
なのに次から次へと聞こえてくる言葉に、脚が動いてくれない。
「えー? でもリヴァイ兵長より背がだいぶ……なあ?」
「割とそれでうまく行くってのもよく聞くぜ。背の低い男ほどああいう女を選ぶって」
「あー……確かになあ」
そこまで聞いてしまって、やっと身体が動いた。
足音を立てずに、ゆっくりと。
ゆっくりというよりふらふらとした足取りで、何とかその場を離れることに成功した。
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