※「まんがキッチン おかわり」掲載インタビューの、兵長のカップの持ち方についての話です。


割れないティーカップ


 望むものはいつも手に入る直前で消えてなくなってしまうのだと、兵長は言った。
 ずっとそう思っていたと。

 ノックを三回。部屋の中からは入れとも入るなとも聞こえてこないが、この時間は書類仕事に励んでいる筈だ。席を外しているのか、わざと無視しているのか。
「兵長ー?」
 この部屋の主、リヴァイ兵長を呼びながら再度ノックする。それでも室内からは何の反応も返ってこない。
「兵長ー入っちゃ駄目なら駄目って言ってくれないと入っちゃいますようー」
「いつも思うが、お前のそれは俺が本当に留守だったらどうするつもりだ」
「やっぱり居るんじゃないですか」
 ドアを開けて、私の目の前で呆れた顔をして溜息をついているのは、予想通り兵長だった。ここは兵長の執務室なので、当然といえば当然なのだが。
「何ですぐ居留守使うんですか」
「めんどくせえ奴が仕事の邪魔をしにくるからだ」
「そうなんですか。大変ですね兵長も」
「自覚しろ」
 頭を使まれ、ぐりぐりと五本の指で締め上げられるのは痛い。ツボに入ると特に。
 痛いと悲鳴をあげると力を緩めてくれるものの、脳細胞が何割か死滅したような気もする。
 痛みにうっすら涙を浮かべた私を見た兵長が、そんなに痛いかと聞くので素直に頷いた。力加減を間違えたかと呟いて、私の頭を掴んだままの手で柔らかく撫でてくるからたまらない。うっとりと目を瞑り、兵長の手の感触を楽しんでしまう。そんなことをしに来たのではないというのに。
「そろそろ休憩の時間ですよ」
「サボりに来たのか」
「違いますよ!」
 相変わらず人聞きが悪すぎる。
 放っておくと黙々と仕事し続けてしまう兵長の為に、こうして昼下がりの休憩を取っていただこうと出向いているというのに。
「お茶にしましょう」
 新しい茶葉を手に入れましたと笑ってみせると、興味をそそられたのか頷いてくれた。
「私が来られない日も、ちゃんと休憩してますか?」
「さぁな」
 支度をする私をぼんやりと見つめながら、兵長は答えをはぐらかす。
「どうしても休ませてえなら、こうしてお前が来ればいい」
「そんな脅迫みたいな」
「みたいじゃねえ、脅迫してるんだ」
「嘘ばっかり」
 くすくすと笑いながら軽口を叩き合う、穏やかな時間が幸せだった。だからこそ私も、休憩時間になるとつい兵長の元へと馳せ参じてしまうわけで。
 紅茶が好きだという兵長に美味しいと言ってほしくて、練習を重ねる日々だ。
 兵長は「飲めりゃなんでもいい」なんて口では言う癖に、他の人のお茶を飲んだ後わざわざやってきては私に紅茶を淹れるように要求したりする。それが嬉しいので、私としては喜んでお茶汲み係になってしまうのだけれど。



「どうぞ」
「ん」
 二人分の紅茶をカップに注いで、執務机とは別のテーブルに運ぶ。こちらのソファなら私も一緒に座れるし。茶を置いたらお前は下がれと言われたら駄々をこねるつもりだ。
「言ったことねえだろ」
「たまに意地悪言うじゃないですか」
 一緒に居たいと涙目になる私を見て面白がるのだから兵長はひどい。大抵の場合、兵長がそういった意地悪をしかけてくる時はお菓子を隠している。私の機嫌をとる手だてを用意してからいじめてくるところがずるい。それですぐさま機嫌を直してしまう自分が情けないとも思うから、余計に。
 本当はお菓子よりも、冗談だ悪かったと撫でてくれる兵長の手のひらの方にこそほだされているというのは秘密だ。恥ずかしいから。
「……どうした」
 私がじっと見ているのに気づいたのか、兵長が不思議そうな顔をしている。
「兵長がかっこよくて見惚れてただけですよ」
「言ってろ」
 馬鹿馬鹿しいと素っ気なく吐き捨てる兵長は、やはり惚れた欲目だけではなく格好いいと思う。毎日顔を合わせているけれど、それでも暇さえあれば見つめていたいと思う程に。
 兵長の仕草ひとつひとつをじっと見つめすぎて、穴があくからやめろと叱られることもしばしばだった。
 私よりも大きな手。骨ばってごつごつしている手は、見ているだけでどきどきする。皮膚もかたく、武器を握り慣れた手なのに私に触れる時はとてもやさしい。それを思い出してしまうのだった。
 カップを持ち上げて、こくりと喉を慣らす兵長。駄目だ。このまま見ていたら、よからぬことばかり考えてしまう。
 兵長のカップの持ち方は独特だった。持ち手があるのにといつも思うのだが、その方が飲みやすいのだろうか。
 つい私も目の前の自分のカップを見つめる。
 一旦置いたカップに右手を伸ばして、上から掴んでみると落としそうで怖かった。
 そのまま口へ運ぶと、人差し指と鼻がぶつかって飲めない。持ち方を間違えたかな、もうちょっと、こう──
「熱っ」
「おい、何やってんだ」
 慣れない持ち方に四苦八苦していたら、カップの中の紅茶が指に触れてしまった。当然のことながら熱い。
 慌ててカップを置く私に、兵長が驚いた顔でこちらを見つめている。
「見せてみろ」
 手を寄越せと促されて素直に差し出す。兵長はほんのりと赤くなった私の指をしばらく見つめ──おもむろに吸った。
「兵長っ!?」
 思わず引きそうになった腕は、がしりと兵長に捕まれている。紅茶に触れてしまった直後はひりひりとしていたのに、今はそれどころではない。
 兵長はそのまま無言で、当然のような顔をして私の指を吸っていた。
 とても、いたたまれない。
 上下の唇で挟まれて、舌で舐められたり少しだけ強く吸われたり。
 あと一秒でも続けられたら死んでしまう、そう思った瞬間に解放された。きっと私の顔は、指どころではなく赤い。
「この程度なら火傷にもならねぇだろ。痛みがひかねぇようならすぐ言え」
「な、なん、舐めっ」
 言葉にならない。
 こんな明るい内から唐突に指を吸われる覚悟も、心の準備もできていない。水で冷やしに行けばいいのに今更それもできない。実際、熱いと感じた紅茶は思っていたよりはぬるくなっていたようで、火傷にはならずにすみそうだった。かといって、これは。
「あ? いつもはもっと凄えところ舐めてんだろうが」
「わあああああ何を言うんですか!」
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 顔から湯気を出しそうな勢いの私とは対照的に、兵長は平然とソファに座り、足など組んでいる。その余裕っぷりが悔しい。
「どうやったら茶を飲むだけでそんなことになるんだ」
 器用な奴だなと怪訝な顔をされるが、私としては兵長の持ち方でどうやったら上手に飲めるのかそちらの方が知りたい。
「兵長と……同じ飲み方してみようかなって……」
 白状しながら、段々と声が小さくなってしまう。我ながら「お揃いがいいんです」というのは馬鹿みたいな理由だなとは思ったので。
「阿呆か」
 案の定兵長にもそう言われた。
「兵長は飲みにくくないんですか?」
 やはり、慣れとかそういったものだろうか。私も繰り返している内に、その方が飲みやすくなったりするのかもしれない。
「別に飲みやすい飲みにくいを意識してるわけじゃねえ。ただの癖だ。昔からのな」
「昔からの?」
「ああ、ガキの頃から──」
 そこまで言って、私が好奇心で目を輝かせているのに気づいたのだろう、しまった、とでも言いたげな顔をして兵長は口をつぐんでしまった。
「兵長」
「そろそろ休憩も終わりだな、残りの仕事片づけるぞ」
「昔って」
「お前もそろそろ戻れ。何ならカップはそのままでいい俺がやる。だから早く戻れ」
「子供の頃からって」
 私と目線を合わせないようにするのは、きっとわざとだ。顔をのぞき込もうとする度に、そっぽを向かれてしまう。
「ね、兵長」
 何か秘密を隠していますね?
 そう言って、逃げられないように正面に回った。兵長の両肩に手を置いて、ぐっと顔を近づける。いつもならどきどきする距離だけれど、今はそれどころではない。
 兵長は普段あまり昔の話をしてくれないので、こうして時折欠片のようにこぼれ落ちる過去の兵長の思い出は、全て拾い集めていきたいのだ。
 全て知りたい。兵長の、全部。
「……私には言いたくない……ですか?」
「お前、それはずるいぞ」
 秘密にされるのは淋しいと眉を寄せると、兵長は苦々しげな表情を浮かべながら私の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「別に、聞いたって楽しい話じゃねえ」
 小さく溜息をついた兵長は、静かな声でそう言った。
 もしかして、本当に聞いてはいけないことだったのかもしれない。だとしたら無理に聞くのは申し訳ないように思えて、かといって今更どう言っていいのかもわからず戸惑ってしまう。そんな私の様子を見て、兵長は小さく笑って言った。
「ただの馬鹿なガキの話だ」

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