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「ごめ、なさ……っもうすぐ、泣きやみますから……っ」
「さっきも聞いた」
ぐしゅぐしゅと泣き続け情けないことこの上ない。
しがみついたまま離れることができない私を、呆れたような声を出しつつも抱きしめたままにしてくれる兵長に、更に甘えるように頭を擦りつける。
「シャツがひでえ有様だ」
「す、みません……っ」
「いい。慣れた」
それじゃあまるで、私がしょっちゅう兵長に泣きついてはシャツを駄目にしてるみたいじゃないですか。
「事実だろう」
否定はできません。
まさに今、現在進行形で泣きついているので。
「……落ち着いたか」
「はい……」
ようやく涙が止まってくれて、すみませんと離れようとした私を、兵長はがしりと捕まえたままだった。
「擦るな、腫れるぞ」
「ひゃ」
目元をぐしぐしと拭っていた私の手を取って、そのまま目元に舌を這わされる。涙で濡れたそこを舐め取って、ちゅうと軽く吸われて唇は離れていった。
「お前はいい加減、自分の嫉妬深さを認めろ」
「そ、れは……」
否定できない。
結局のところやきもちだった。
誤魔化しようもなくやきもちを焼いていた。
兵長と二人きりになれないと、癇癪を起こしたようなものだった。
正直、その事実を突きつけられるといたたまれなくて。
「…………消えてしまいたいです」
「別に誰もそれが悪いとは言ってねぇだろ」
仕方がねえ奴だと溜息をつきながらも、私を抱き寄せる腕は優しい。
「嫉妬深いわ構われたがりだわ、目を離すとすぐにどこかへ行きやがる。拗ねていじける癖にそれをギリギリまで言いださねえ。限界越えるまで溜め込んで、一度泣き出したが最後なかなか泣きやまねぇときてる……何なんだお前は」
「……返す言葉もございません……」
どうしよう改めて羅列されたら我ながら本当に酷い。
「本当にめんどくせえ女だな」
「はい……」
「可愛くてしょうがねえ」
「は……、」
今なんと。
兵長、今なんと。
「口が滑った。忘れろ」
「脳のシナプスに刻みこまれました!」
口が滑ったと言いながらどこか楽しげな兵長に、顔を見せてくださいともがく。頭を押さえつけるように抱き込まれるのも幸せだけれど、今は兵長の顔が見たかった。
「兵長のことが、大好きなんです」
「ああ」
「甘えてばっかりですし、すぐにやきもち焼くし、でも大好きなんです」
「知ってる」
「我ながらめんどくさくてすみません……」
「俺は全部納得ずくでお前に惚れてんだ。今更どうってことはねえ」
そう言いながら、ようやく顔を見せてくれる。いつになく穏やかな表情に再び涙腺が緩みそうになるが、ぐっと堪えた。
「あの、プレゼントがあるんです」
取ってきますと兵長の腕の中からもぞもぞ這い出る。とても名残惜しいけれど。
机の抽斗からそっと取り出したそれを、両手で握りしめた。
「……どうぞっ」
「…………リボンか?」
目を瞑って差し出したのは赤いリボン。十数センチの長さに切り取られている。
「俺に身につけろってことじゃねぇよな?」
「そうなさりたいのであれば止めませんが、違います」
「なさりたくねぇよ。で、何だ」
本当はもっと気軽な感じで、冗談交じりに渡す筈だった。何を言っているとか、馬鹿かお前はとか言われても笑って誤魔化せるように。
でも散々泣いて甘えてこんな雰囲気になってしまっては、大真面目に渡すしかなくて。
「……この部屋のもの、私が持ってるもの、何でもひとつだけ差し上げますので、」
──好きなものに結んでください。
「…………」
兵長の沈黙がつらい。
自分でもわかる。今きっと耳どころか首まで赤い。
言わなければ良かったとか、思いついた時の私は一体何を考えていたのかとか。そんなことばかりが脳内を駆けめぐって、やっぱり今から逃げようかと思い始めた頃だった。
「俺を試すような真似しやがって。いつからそんなやり方覚えた」
「た、試してるとかそんなのでは、決して」
「冗談だ。お前にそんな器用な真似できてたまるか」
兵長の冗談はわかりにくすぎて焦りますと零す私の手を取って、くるくると巻き付けた。私の薬指に。
左右どちらの手かなんて、言うまでもなかった。
「……兵長こそ、どこでこんなの覚えましたか」
「こんな体験そうそうしててたまるか」
こんな恥ずかしい真似したのは初めてだと言う兵長の頬は、なるほどほんのりと赤い。
「手首縛ってやるには長さが足りねぇんだからしょうがねえだろう」
「髪の毛とか、あるじゃないですか」
「…………じゃあほどくぞ」
「だめですごめんなさい指がいいです!」
結局二人揃って赤面している。
照れくさいし恥ずかしいし、でも幸せでふにゃふにゃに溶けてしまいそうだった。そう告げたら「馬鹿め」と罵られたけれど、抱きしめてもらえたのでもう何でもいい。
「お前を貰う」
「もう兵長のものですよ」
心も身体も兵長に差し上げますと、いらなくてもどうぞといつも押しつけている。
「お前の全部を、だ」
「全部……」
指に巻いたリボンに口付けながら、兵長は全てが欲しいのだと言った。
「今夜だけでいい」
俺以外見るな。
俺以外触るな。
俺以外に声を聞かせるな。
俺だけ愛せ。
「……くれるか?」
呼吸が止まりそうなほどきつく抱きしめられて、独占欲をぶつけられる。愛しい人に自分だけをと乞われて、嬉しくない筈もない。
「はい、勿論です」
兵長以外見ないし触らないし、この声も全て兵長のものだ。普段は叶えられないこれらの願いを、今だけは叶えてあげられるのがとても嬉しい。
「……私も兵長のこと、欲しいです」
勿論私も一晩だけでいいですと、ここまできたら言ってしまえと思い切ってしまった。
言ってみたはいいけれどやはり気恥ずかしくて、おずおずと見上げる私に、兵長は噛みつくように口付けをひとつと、それから。
「……好きなだけくれてやる」
一番欲しかった言葉をくれた。
「は、ぁっ」
触れるだけの口付けが何度も繰り返されて、唇以外の頬、目元、閉じた瞼──顔中に口付けられる度に自然と息が上がる。
「あの、兵長のお部屋に」
ここだと部屋もベッドも狭いですし、とそっと押しとどめるようにしたものの、離してもらえないどころか更に強く抱き寄せられた。
「兵長……?」
はあ、と耳元で吐き出される吐息はとても熱い。思わずぞくりと背中を這い上がる感覚に身震いしてしまう。
「俺の部屋まで待てねえ」
我慢できない。
一瞬でも離すものかと再び口付けられて、全身の力が抜けた。ベッドに背中を押しつけられてスプリングがきしむ音を立てた。真っ直ぐ私を見つめる瞳から、逃げられる筈もない。
「……壁、薄いですよ」
「隣が空き部屋なことくらい知ってるぞ」
「兵長のベッドの方がふかふかなのに」
「床でやった時よりマシだ」
「……だって、」
「まだ何かあんのか」
ぐり、と下半身を押しつけられて一気に顔が熱くなる。兵長が今どんな状態なのか、まざまざと教えられて。
「この部屋で、したら、その……こっちで寝るときも、思い出してしまうというか、その」
いつも兵長の部屋で抱かれて一緒に眠るけれど、時には兵長が泊まりがけで本部を空けることがある。そんな時、兵長はいつも自分の部屋で寝ていていいと言ってくれるけれど、それに私が頷くことはあまりない。
兵長が留守なのに一人で兵長の部屋を使うのは気が引けるし、正直に言うと──その、淋しい。
一緒に寝てくれる兵長が居ないベッドは、実際の大きさよりも広く感じる。手を伸ばしても体温を感じられないそこに一人取り残されてしまうような気がして、いつも自分の部屋で眠っていた。
どちらにしろ一人ぼっちなことに変わりはないけれど、兵長の匂いが残るベッドで寝ていると普段の情事なども思い出してしまって──だから、駄目なのに。
それなのにこの部屋で事に及んでしまったら、もう私には平常心を保って眠る場所がなくなってしまう。そう、赤面しながらも訴えたというのに、兵長は。
「なら尚更、俺の部屋に行くわけにいかねぇな」
「なんでそうなりますか!」
私が恥ずかしがれば恥ずかしがる程に喜ぶ困った兵長は、今日一番と言っても良いほどの機嫌の良さを見せている。
「俺が居ない時も、この部屋で俺に抱かれたことを思い出せ」
恋しがって、帰りを待ちわびろと兵長は言う。
「……眠れなく、なっちゃいますよう」
ひどい。ただでさえ恋しいし待ちわびているのに。
「言ったろうが」
お前の全ては俺のものだ。
それは兵長自身が私の側に居ようと居まいと関係ないのだと。離れていても繋ぎ止めたいと薄く笑う兵長に、逆らえる筈もない。
「今夜だけって、言ったのに」
「いやか」
「嬉しいですけど」
悔しいことに、嬉しいですけど。
「いい誕生日になったな」
「……それはそれは」
おめでとうございます。
もう一度だめ押しのようにお祝いを告げて、全ての抵抗を諦めた私は、兵長にしがみついた。
翌朝のことになる。
「実はまだ渡したいものがあるんです」
本当は昨晩の内に渡したかったけれど、それどころではなくなってしまっていたから。
私をプレゼントしますと言って無事もらっていただけたからいいようなものの、いらないと言われた時の為にちゃんと物も用意していたのだ。
「用意周到なのはいいが、俺をどんな外道だと思っていやがる」
「ちょっとだけ心配だったんです」
「……一年かけて、認識を改めさせる必要があるな」
そう言って再び私を抱きしめる兵長に、逆らう気力も体力も無い。暖かく幸せな時間に、とろけてしまいそうになりながらねだってみた。
「次のお誕生日にも、私のこともらってくださいね」
「当たり前だ」
寄越さないと承知しないと言い放ち、再び降りてくる口付けに私は大人しく目を閉じたのだった。
ちなみに私がもうひとつ用意していたプレゼントは、ピンクのはたきを二本。
お前らしいと兵長は少しだけ笑って抱きしめてくれた。
end
兵長お誕生日おめでとうございます。
生まれてきてくれてありがとうございます。
20131225