ふわふわバスタイム
留守番をしていろと言われるのはつらい。
いくら一緒に居たいとはいえ、四六時中リヴァイ兵長の側に張り付いているわけにいかないというのは、私とて理解しているつもりだった。
だからこそ仕事中は真面目に過ごしているし──兵長の休憩時間を見計らって突撃して、十分でも五分でもいいから構ってもらおうとすることはあるけれど、それはともかく──兵長の側にいられなくても何とかやっているのだ。
だがそれはあくまで数時間の、そして勤務中に限る。
仕事さえ終わってしまえばこっちのものだと、夜になれば私の時間ですよねとまとわりつくのはいつものことだ。そんな私を兵長が「鬱陶しい」と罵りながらも手を伸ばしてくれるのも。
休みの日ともなれば、それこそ朝からずっと側にいたい。けれどそれが叶う日と叶わない日があることも知っている。
そして今日は叶わない日だった。
朝早くに出かけてしまった兵長を、恨みがましく見送ってしまうのも致し方ないことだと思う。
たまたま兵長が休みの日に招集がかかった。
そうなってしまえば兵長としては休日を返上せざるを得ないわけで、当然私に構っている暇などはないわけで。
行かないでと言ったところで無駄なことは知っていたし、
「俺だって行きたくて行くわけじゃねえ」
と言われてしまえば、そうですよねと頷く他はなく。
お休みを反故にされてしまった兵長が一番大変なのだ。
私が駄々をこねてしまってはいけない。
「兵長、行かないでほしいですけど気をつけていってらっしゃい。早く帰ってきてくれないと淋しいですけど頑張って我慢します」
「…………いちいち突っ込まねえぞ」
しがみつく私を一度だけぎゅっと抱きしめ返して、兵長は幹部の皆さんと出かけていった。
そうして、半日が過ぎて。
夕方までには帰ると聞いていたので、私は兵長の部屋に居た。
きっといつものように疲れて帰ってくると思った。だからせめてお風呂でも沸かして待っていようと思ったのだった。
浴室の掃除を済ませてからお湯の支度をする。準備しておけば兵長が帰ってきても、そう待たせずに入ってもらうことができるだろう。
兵長がお疲れだと思ったので、準備しておいたんですよ。
さあさあ、早く癒されてくださいね。
──そんな風に出迎えたら、喜んでくれるだろうか。褒めてくれるだろうか。もしかしたら、
『お前は気が利くな。流石俺の女だ』
なんて撫でてくれたりしたら私は。私は──!
「──してくれるわけ、ないけどね」
現実は残酷だ。
そんな空想に一人浸っていたら、何だか外が騒がしい。もしかして兵長達が帰ってきたのかもしれないと、様子を見に行くことにした。あくまで様子を見に行くだけだ。
一刻も早く兵長に会いたいだとか、そういう理由があることも否定できないけれど。
「モブリットは宿舎の方が使えるか見に行って! お前達はタオルをできるだけたくさん!」
見に行くだけなんて言っていた癖に、もしかしたら兵長が帰ってきているかもしれないなんて思ってしまって、結局はいそいそと駆け足気味になってしまうのをやめられなかった。
出口から顔を覗かせた所で、ハンジさんが何やら声を張り上げているところに出くわした。複数の部下達に指示を飛ばしているところを見ると、何かあったのだろうか。
「ハンジさん」
「ああ、ちょうどいいところに!」
何かありましたかと尋ねると、苦笑いを浮かべたハンジさんが馬車を指さす。
行き先が憲兵団だからか、今日乗っていったのは屋根も扉もある立派な馬車だった。中の様子は見えないけれど、不穏な気配はひしひしと伝わってきて──これは。
「……中にいるの、兵長ですか」
こくりと頷くハンジさん。
扉を開けるのが躊躇われて、恐る恐るノックをしてみた。
「兵長……?」
「……」
気配は感じる。とても不穏な。けれど言葉は返ってこない。
「開けていいですかー……?」
「…………」
依然として返事はなく、これは開けていいということだろうかと扉に手をかけると。
「開けるな」
と、地を這うような兵長の声で返事があった。
思わずびくりと手を離し、ハンジさんの方を見つめてしまう。
「一体何が……」
「いやあー用事も済ませてさっさと帰ろうって馬車まで歩いてたんだけどさ、その帰りにね──」
ハンジさん曰く。
わざわざ呼び出されて嫌味を言われつつも会議をこなし、ようやく終わってもうこんな所に居られるかと、皆で馬車が待つ場所まで歩いていたのだという。
折しも今日は天候が優れず、会議中に降っていた雨の所為で足下も悪かった。
靴や衣服の裾に泥が跳ねて、兵長の苛立ちは募るばかりで。ただでさえ休日を潰されて不満だった兵長がいらいらと馬車へ乗り込もうとした時に、悲劇は起きた。
たまたま運悪く通りがかった荷馬車。更に間の悪いことに馬が暴れ、暴走する車輪の先には、更に更に運悪く水たまりが。
──結果、兵長は頭から盛大に泥水を被ることになる。
「大変じゃないですか!」
この季節に頭から水とは。
風邪をひいてしまうだろうに、どうして馬車に籠もっているんですか兵長。
「あんまりにも泥だらけになった自分の姿に絶望してたよ」
「それどころじゃないですよ兵長ぉー!」
呆れたように肩をすくめるハンジさんの言葉を聞いて、馬車の扉を叩き続けた。出てきてください兵長!
「あ、それで宿舎の」
「そうそう、大浴場。この時間だからまだ使えるか微妙だけど」
「兵長のお部屋のでしたら、もう入れますけど……」
沸かしておきましたからと言う私の言葉に、馬車の中の兵長がガタンと音を立てた。よし。これはもう一息。
「熱いお湯もたくさん用意しましたし、石鹸もタオルも準備できてます。いい湯加減になってますよー」
馬車の中から再びガタガタと物音が聞こえ、続いて小さな声が。
「泥まみれのずぶ濡れだ」
「でしょうね」
だから早くお風呂に行かないと。
「…………笑わねえか」
「誰も笑いませんよ」
「そこのクソメガネは爆笑したぞ」
「ハンジさぁん……」
思わず困り果ててハンジさんを振り返ると、ごめんつい面白くてと顔を逸らして肩を震わせていた。
「笑いませんから、早く行きましょう? ほんとに風邪引いちゃいますし、それに」
──早く兵長の顔が見たいです。
ややあって、その願いを聞き入れてくれたのか、ゆっくりと馬車の扉が開いた。
「おお。さすがー」
「うるせえ」
ハンジさんが感嘆するような声を上げて、それに悪態をついた兵長の姿は、成程ずぶ濡れというのに相応しかった。
衣服だけでなく髪にまで泥が飛んでいる。顔だけはぬぐったのか、いつも着けている首元のスカーフは外されていた。
すっかり冷え切っているのか、顔色も悪い。慌てて手を取って歩き出そうとしたら、
「オイ、汚れるぞ」
と手を離されてしまった。
そんなことはいいのにと思っても、兵長は譲ってくれない。ここで言い合っていてはどんどん身体が冷えてしまうばかりだ。まずは屋内に入ってもらうのが先決だと思い直して、手に触れるのは諦めた。
手を繋げなくて残念だとか、そんなことは思っていない。
合法的に手を繋いで歩くチャンスだったのにとか、そんなことも思っていない。
兵長が大変な時にそんなことは決して──少ししか思っていなかった。
「じゃあハンジさん、私達はこれで」
「うん、後はよろしくー」
ひらひらと手を振るハンジさんに頭を下げて、兵長の部屋へと向かって歩き出した。
「廊下に泥が落ちるな……」
「明日掃除しましょう」
暗に今日はもう諦めてゆっくり休みましょうと宣言した。
兵長の私室の前まで来て、汚れた手で触れるのが嫌だと言う兵長の代わりに私が扉を開ける。
「さ、もうお風呂の準備できてますから……兵長?」
部屋まで辿り着いてもう安心だと思ったのに、兵長は部屋に入ろうとしない。どうしたことかと見つめると、重苦しく口を開いた。
「床が汚れる」
「諦めてください」
入室前に必ず衣服に付いた埃を払う兵長だ。確かに今の惨状で自分の部屋に入りたくはないのだろう。けれど今は流石にどうしてあげることもできない──と思ったけれど、そうだ。良い考えが。
「……何してる」
「おんぶですよ、どうぞ」
兵長に背を向け、どうぞおぶさってくださいと促した。これなら少なくとも足は床につかないだろうし、多少マシではないだろうか。そう思ったのに。
「馬鹿野郎。乗れるわけねぇだろうが」
「大丈夫ですよ。65キロくらいでしたら私でもなんとか」
「そういう問題じゃねえ」
やはりこれでは埒があかない。仕方がないので最終兵器を出すことにする。
「おんぶが嫌なら抱っこしますか?」
「………………いい、歩く」
そう言ってできる限り泥を落とさないよう、ゆっくりと兵長は歩き出した。
割と本気だったのに。
「酷い目にあいましたねぇ」
「まったくだ」
湯船に浸かるリヴァイ兵長。
何故か私まで浸かって、後ろから抱きかかえられていた。
どうしてこのようなことになったかというと。
まずは濡れた衣服を脱ぎ去ってもらって、お湯で泥を流した。芯まで冷え切っているような冷たさの肌に、知らず眉根を寄せてしまう。
「何でお前がそんな顔してんだ」
「だって……」
兵長が寒いのも冷たいのも辛いのも嫌なんですと返して、阿呆かと返される。それでも帰ってきてすぐの時よりはずっと柔らかい表情に、胸を撫で下ろした。
全身にお湯をかけて洗い流し、髪もすすぐ。柔らかなタオルに石鹸を泡立てて擦ると、兵長は気持ちよさそうにされるがままになっていた。
「大体流せましたから、後は温まってからにしましょう」
「お前はどうする」
「え?」
言われて初めて、確かに私も衣服がすっかり濡れていることに気付いた。
何だか当たり前のようにお手伝いしていたけれど、今更のように恥ずかしくなってきた。兵長は全裸だし。何となく目のやり場に困って視線を逸らしてしまう。
「ええと、では、後はごゆっくり……」
「何言ってんだ馬鹿野郎」
そんな濡れた身体で出せるか、風邪をひくぞと腕を掴まれる。有無を言わせずといった様子の兵長に、先程までと立場がすっかり逆転してしまっていた。
「風邪ひきそうだったのは、兵長です……」
「今はお前の方だな」
言外に服を脱げと言われているのはわかっていた。
兵長と一緒にお風呂に入ることはよくある。けれど今日は何だか特殊な状況で、やけに気恥ずかしい。
そんな私を見咎めたのか、兵長は。
「俺とじゃ嫌か」
一緒に入るのは嫌か。
「…………ずるいです」
嫌なわけがないことを知っていて(だってちょっと笑っているし!)そんな風に私をいたぶるのだ。
それでも元気がなかったさっきまでの兵長よりは、今の方がずっといい。
「……脱ぐところ見てたら駄目ですよ。恥ずかしいですから」
「バカ言え、見るに決まってんだろうが」
「急に元気取り戻しすぎてませんか!?」
どことなくうきうきとした様子の兵長に、たっぷりと辱められながら私も服を脱ぐに至ったのだった。
「もう寒くないですか?」
「ああ」
大分温まったと答える兵長の身体は、成程いつものように暖かい。
「今日はゆっくり休んでくださいね」
潰れてしまったお休みは、明日もらえるはずだ。
夕食をとってたっぷり眠って、そうしたら風邪も引かずに済むはず。そう思っていたのに。
「……いや、やっぱり寒いな」
「え、寒気とかしますか?」
慌てて振り返る私の目に移った兵長は──なんというか、すごく。
「……兵、」
最後まで呼ぶことも叶わず、唇を塞がれた。そのまま深く口づけられて、息が上がるほど貪られる。
「兵長……っ?」
「お前が暖めろ」
耳元に流しこまれた言葉は想像通りで、そのまま身を任せてしまいそうになって──我に返った。
「流石に今日はお風呂場ではダメですよ!」
またしても身体が冷えたら、いくら鍛えている兵長でも流石にまずいと思う。それに。
「……今日は、ベッドでゆっくりが……いいです……」
朝からずっと一緒にいられる筈だったのに、それが叶わなかった淋しさが今になって襲ってきた。
暖炉に火を入れて部屋を暖めて、ふかふかのベッドで思う存分甘えたい。
「……ダメですか」
恥ずかしい願望をぶつけている自信はあったので、受け止めてもらえるか不安ではあった。
「……明日、掃除手伝うって言ってたな」
「はい、それは勿論」
廊下もお部屋もお手伝いしますよと返した。何だろう。ちゃんと掃除を手伝うなら可愛がってくれるとかだろうか。それなら否やも無い。頑張ります兵長。
「──まあ、無理だと思っとけ」
言いながら私を抱き上げ、そのまま立ち上がる兵長。
その顔を見て、流石の私も兵長が何を言わんとしているのかがわかってしまった。
同時に、
(明日はきっと、一日ベッドの住人だ)
──ということも。
end
ARIA兵長を見ていたら、お風呂で汚れを落としてゆっくり温まってほしくなってしまいました。
という話になる筈でした。
20131215