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「兵長ー、入っちゃいけなかったら返事してくださいー」
「返事がねえなら勝手に入るつもりか」
 ドアをノックしながら暢気に声をかけたら、兵長は意外とあっさり開けてくれた。促されて部屋に入ると、先程まで読んでいた本は既に片付けられていた。ということは。
「もう私のこと構ってくれますよね……」
「しまりのねえ面しやがって」
 呆れた様子で溜息混じりの兵長の言葉にも、でれでれと頬が緩んでしまうのは仕方がない。今朝からずっとお預けされていた私としては、やっとお許しが出そうで正直待ちきれなかった。さあ、何をして構ってもらおう。どんな風にくっつかせてもらおう。抱きしめてくれますか。撫でてくれますか兵長。
 うずうずしながら期待に満ちた目で見つめる私に、苦笑混じりで兵長が手を伸ばそうとして──そこで思い出した。
「あ! ストップです兵長!」
「あん?」
 今更なんだという目をされるが、すんでの所で思い出した。
 兵長を目の前にしたら他の全てがどうでも良くなってしまって、あやうく忘れるところだった。
 談話室で手に取った大衆紙。あれで手に入れた知識で私と兵長は更にラブラブになるのです。覚悟してください兵長──!
 こほん、と小さく咳払いをして正面から兵長をじっと見つめる。そしてきっぱりと言い切った。

「へ、兵長のことなんて、全然好きじゃないんですからねっ」

 しまった。言い慣れてないことを言おうとしてちょっと噛んだ。
 それでも何とか言えた。わざと思ってもいないことを言って、相手の気を惹くのだとかなんとか。あまりストレートに愛情を示しすぎるのも逆効果だなんて、目からウロコが落ちる思いだった。
 ところで言ったはいいけれど、この後どうしたら良いのだろう。
 あの記事には「こんな言葉で相手を夢中に!」とは書いてあったものの、肝心の「言った後はどうすればいいか」に関しては何も触れられていなかった気がする。そう言えば。
 今更ながら見切り発車で暴走してしまったような気がして、先程から無言になっている兵長の様子を恐る恐るうかがった。
「あのう……兵長……?」
 もしかして怒りましたかと聞こうとして、思わず絶句した。なぜならば。
「──だ、」
「え」
「いつ、からだ」

 いつから俺のことを嫌っている。

 そう、掠れた声で呆然と呟く兵長が、あまりにも表情を失っていたので。
 私の想像とはあまりにも違う反応に、正直物凄く慌てていた。
 私としては、思っているのと逆のことを告げた私に、ほんの少し動揺してくれないかなと思っていただけで。
 嘘ですごめんなさいと告げて、ほっとしてほしかっただけで。
 こんな顔を、兵長にさせるつもりは全くなかったのに。
 いつから心変わりしたと問われても、そもそも心変わりなどしていないし大好きだし、何と答えていいかわからない。
 戸惑う私の様子を見て、兵長はわかった、とぽつりと呟いた。もうわかった、と。
 待ってください何もわかっていません!
 何だか事態がどんどんおかしな方向へと転がっていて、とにかく誤解を解かなければならないと、余り回転の良くない頭で必死に考える。どうしよう、どうすればいい。
「あの、あの兵長、私、」
「……大丈夫だ。わかっている」
 ですから何もわかっていません!
 だって兵長は、私が兵長のことを好きではないと思いこんでいる。まあ私がそう言ったせいだけれど。完全に私が悪いのだけれど!
 何とか誤解を解こうとする私を制して、静かに兵長は言った。
「……悪い。少し一人にしろ」
 今はうまく取り繕う自信がねえ。
「あ……」
 その姿を見て、私は。
 ──人生最大の勢いで、華麗なる土下座を決めた。



「……ごめんなひゃ、いたいれふ、へいちょうっ」
 事の次第を白状した後、兵長から「馬鹿野郎」と「クソが」と「阿呆か」を一生分いただいた。ついでに取れてしまいそうなほど両頬をつねりあげられている。
「こんなもんで足りるわけねえだろ馬鹿が」
「もうしませ……」
「されてたまるか」
 心臓が止まるかと思ったじゃねえか。何でてめえの躾には痛みが効かねえんだろうな? まだ足りねえってことか? もっと痛めつけた方がいいのか?
 そんなことを繰り返しながらぐにぐにと。
 因みに、どんな記事に感化されやがったと脅されて、談話室から持ってきた新聞はズタズタになって部屋の隅に積もっている。一応、古新聞になる前は備品なのにと呟いたら物凄く怖い顔をされたので黙るほかなかった。
 兵長がゴミをそのまま放置しておくなんて、よほど怒らせてしまったのだろう。
 反省してます。海よりも深く。でも。
「兵長に、もっと好きになって欲しかったんです……」
「……な、」
「でも、変なこと言って、ごめんなさい……」
 嘘をついてごめんなさい。あんな顔をさせてしまってごめんなさい。反省してます。私が全面的に悪いです。でも、でも。
「……きらいに、ならないでほしいです……」
 この上わがままを言うのはとても申し訳ないけれど、どうかこれだけはと必死にお願いした。
「……ならねえよ、馬鹿か」
「ほんとですか……!」
「反省してるならな」
「しました! すごくしました!」
 安心しすぎて身体の力が抜けた。思わず立ち上がろうとしてよろけてしまったら、兵長が両腕で抱きとめてくれた。そのまま向かい合わせに膝に乗せられる。
「正直、お前のどうしようもない芝居も見抜けねえ俺に呆れた」
「……そんなに下手でしたか」
「今思えばあれはひでえ」
 よくあれで騙そうと思ったなと言う兵長の様子は、すっかり元通りだ。だってぶっつけ本番だったのだから仕方ない。練習なんてできる筈もなかったし。
「……させてやろうか」
「はい?」
 練習してみるかと呟く兵長は、元通りを通り越して──なんというか。私をいたぶる時の、すごく楽しそうな様子に酷似しているというか。
「あの……」
「逃げられるとは思ってねえよな?」
 腰をがっちりと掴まれて、動くことも許されなかった。
 ──ああ、悪いことをしたら必ず報いを受けてしまうのですね。



 嘘をつく練習をさせてやる。
 そう兵長は言った。
 今から言うことは、全て逆の意味でとってやるからと。
「ええと、つまり」
「お前が好きだのくっつきたいだの言いやがったら、当然どうなるかはわかるな?」
 そんな。
 じゃあ抱っこしてくださいとか、そういったことも言えないじゃないですか。
「……っ、そもそも言おうとするなとか、そういったアレについてはまた今度の機会について話し合うとしてだ。大人として建前くらい使えるようになれ」
 正直なのは美徳だが、馬鹿正直だと苦労するぞと諭されるように。
「……でも実は、私を困らせていじめたいだけですよね?」
「………………」
 この場合の無言は肯定と同じですよ兵長。
 でも今日は私も酷いことをしてしまったので、兵長にお仕置きされなくてはいけない。だから、兵長の言うことには従わなくてはいけなくて。
「俺のことをどう思っている?」
「……ほんとに、あくまでこれは、練習ですからね」
 ちゃんと逆の意味にとってくれなくては嫌ですよと何度も確認して、わかったわかったと呆れられた。それでは失礼して。
「好きじゃ、ないです……大好きじゃない、です」
「そうか、そんなにか」
 間接的に大好きですと伝えたいけれど、どうしても「嫌い」という言葉は口に出せずに回りくどい言い方になってしまう。
 それでも兵長がどことなく満足そうで、やめることもできずに続行した。
「俺に何をされたい」
「ぎゅって……っしなくていいです」
 強く抱きしめてほしくて、離してくださいと小さな声で言った。兵長は私の言葉通りに、否、私の言葉とは逆にそっと抱き寄せてくれてほっと溜息をついた。
「次は……?」
 抱き寄せながら親指で唇をなぞられて、ぞくりと身を震わせた。私のしてほしいことを全てわかっていて、言わせようとする時の顔だった。
「キスも……したら、だめです……」
 言い終わるかどうかの内に、触れるだけの口付けをされる。何度も繰り返されて、すっかりと思考がとろけてしまって。
「もっと……」
 ねだるようなことを言うと、途端に兵長の顔が離れていってしまう。にやりと笑われて、そうだ逆のことを言わなくてはいけなかったと必死に考えを巡らせた。
 ええと、もっとしてほしいから、してほしくないと言わなくてはいけない。
 ……何だか悲しくなってきた。
「言われてる俺が悲しくなる方だろう、普通は」
「それはそうですけど……でも……うううう」
 好きです大好きです、ぎゅってしてくださいキスしてください離さないで。本当のことを言うのは確かに少しだけ恥ずかしかったりもするけれど、それでも言えないよりずっといい。だから。
「もう、嘘つきやめたいです……」
 練習をやめたいと泣き言を吐いた。それも逆の意味に取られたらどうしようと不安だったけれど、兵長はひとつ溜息をついて。
「しょうがねえな……」
 仕方がないと呟いてくれて、どれほど安心したことか。やっぱり兵長は優しいと安堵の息を吐くと。
「じゃあ俺も練習してやろうか?」
 逆の意味で取れよ。
 ──そんな、今日一番のとんでもないことを。
「俺は、」
 やめてください駄目です心の準備ができていません。というかできません!
 嘘でも嫌だ。絶対に嫌だ。
 きっと聞いたら心が折れてしまう。
「お前のことなんて──」
 耳を塞ごうとしても、凍り付いたように身体が動かない。目の前の兵長の姿が滲み始めているけれど、涙がこぼれそうなんてきっと気のせいだ。
 だって私はさっき同じ事を兵長にしたのだ。
 それなのに私だけ泣くなんておかしい。
 だから甘んじて受けないと。でも。それでも。
「おい、待て、泣くな」
「やだぁ……」
 楽しげだった兵長の表情が一気に変わる。
 どことなく慌てた様子で私をかき抱くと、わかったもう言わない、だから落ち着けと繰り返し背中を撫でてくれた。
 その優しい動きに心がほどけていくようで、ますます視界が滲んでいくのを止められなかった。



「……悪かった。やりすぎた」
 かわいくていじめすぎた。
 一通り甘やかされながらそんなことを言われて、喜んでいいやら返事に困るやら。
 それでももう嘘をつく練習はやめていいようで、そのことにほっとした。
「兵長……」
「ん……?」
 優しく髪を梳いてくれる兵長を見つめて、ずっと言いたかった言葉を告げる。
「大好きです……」
 またかと呆れられてもいい、駆け引きなんてできなくてもいい。どうしても言いたいし、言えて嬉しい。
「……そうか」
 少しだけ嬉しそうな兵長が、頬を撫でてくれるからもう何だって良かった。
「ほんとですよ?」
「充分すぎるくらい知ってる」
 お前はもう、嘘が下手なままでいろ。
 無理をしたらロクなことにならないとわかっただろうと言われて、何度も頷く。全くその通りだと思ったので。
「だから、もう一度聞かせろ」
 珍しく兵長の方から乞われて、思わず強くしがみついた。
「好きです、大好き」
 何度でも言わせてくださいねと、首筋に顔を埋めて夢見心地でいたのに。
「────────俺もだ」
 兵長の言葉に、一気に耳まで赤くなったと思う。
 慌てて兵長の顔をのぞき込もうとして、必死に押さえつけられたのは、兵長も私と同じくらい赤面していたからだ、と。
 そう思っておこう。


end


つつかれていじめられて泣かされて、慌てて甘やかされるような話が好きです。
大好きです。
20131115


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