眠り姫ごっこ


(ん……?)
 何だろう、今何かが唇を掠めたような。
 確かめようにも視界は真っ暗で、ああ眠ってしまっていたのかとようやく認識した。昼食後ソファに座っていたら、いつの間にかまどろんでしまっていたようだ。いい加減起きなければと思うのに、ゆったりとソファに身を預けているのがあまりにも心地良くて、瞼を開けることができない。夢と現実の中間をふわふわと楽しんでいたら、再び唇に何かが触れる。ようやく少しずつ意識が覚醒し、うっすらと目を開けた。

「兵長……?」
 再び閉じたがる瞼を叱咤し、どうにかこじ開けた目の前には、私の顔をのぞき込むリヴァイ兵長の顔が。
「起きてやがったのか」
 今起きましたと答える私から離れてしまう兵長は、どことなくきまりが悪そうだった。一体どうしたことだろう。……もしや私の顔にラクガキでもしたのだろうか。
 ぺたぺたと顔を触って確認していると、何をしていると呆れた声が飛んできた。
「ラクガキでもされたのかと思いました」
「誰がそんな事するか」
 馬鹿馬鹿しいと一蹴された。
 確かに兵長がそんなことをする理由も見つからない──ならば、兵長は一体何を。
「も、も、もしかして!」
 勢いよく起き上がる。
 そのまま兵長にずいと顔を近づけると、鬱陶しいと押し返されそうになったがめげるものか。

「いま兵長、私にキスしましたか!?」

 二度ほど私の唇を掠めた何か。
 それは兵長の唇だったのではないだろうか。
 眠る恋人にそっとキスを落とす、何とも浮かれてしまう話ではないか。そうですよねキスですよねキスしましたよね兵長。
「…………してねぇ」
「妙な間があります怪しいです!」
 異議あり! と突きつけた人差し指を掴まれた。
「……いたいいたい痛いです!」
 そのままぎゅうぎゅうと渾身の力で握りつぶされて、思わず悲鳴をあげた。
 武力行使はいかがなものかと思います!
「してねぇっつってんだろ」
「ええー、でもさっき何かが」
 確かにこの辺を、と唇をさする。あれは私の願望が見せた夢か幻だったとでもいうのだろうか。その割りにはリアルな感触だったのにと首をかしげると、どことなく安堵した様子の兵長が目に映って。
「やっぱり怪しいです」
 そう言い張る私を相手にしてくれず、兵長は仕事に戻ってしまった。

 勘違いではないと思う。
 というか思いたい。
 私の中ではもうすっかり兵長にキスされた気でいるのに、これで触れたものの正体が虫か埃か(兵長が毎日のように磨き上げているこの部屋に、埃が入り込む隙があればの話だが)だなんてあんまりだ。
 こうなったら確かめるしかない。

(──オペレーション・スリーピングビューティー……!)

 いつかどこかで聞いたことのあるおとぎ話を思い出して、私の計画は実行に移された。



 ***



 翌日。
 兵長の執務室にあるソファに私は横たわっていた。しっかりと目を瞑っている。
 急ごしらえで編み出された作戦は、つまるところ寝たふりをして兵長を待ちかまえ、その動向を観察するというものだった。兵長が私に対して何かすればすぐにわかるし、何もされなければ次の機会を待つだけでいい。色々と想像している内に気分が高揚してきたが、大人しくしていなければ怪しまれてしまう。何とか平静を装っていたら、部屋の扉が開く音がした。この部屋にノックをせず入ってくるのは部屋の持ち主である兵長だけなので、おそらく今入ってきたのも兵長で間違いないだろう。
「オイ、──寝てんのか」
 やはり兵長だ。
 いよいよだ、と気を引き締める。
 近づいてくる足音。ソファの前で立ち止まって、そのまま屈み込むのが何となく気配で伝わった。
 さあキスしてください兵長。私の唇は兵長のものです、いえ唇だけじゃないですが──
「────阿呆が」
「いたぁっ!?」
 ドキドキしながら待ちかまえていた私に降りてきたのは、兵長の唇ではなく全力のデコピンだった。
「いきなり何するんですかっ」
 寝ているところだったのに、と抗議する私を兵長は鼻で笑った。
「何が寝てるだ。物欲しそうな顔で待ちかまえやがって」
 そのまま拳でぐりぐりと額を刺激される。先程弾かれたところを狙い撃ちしないでください痛いです!
「も、物欲しそうな顔なんて、」
 していないし、そもそも私の寝たふりは完璧だったはず──
「どこがだ。狸の方がまだ上手い」
 一刀両断だった。
 私が昨日考えた作戦は一瞬の内に見破られ、結局謎は解けないまま。
 呆れた表情を浮かべる兵長の視線が冷たい。身体中に刺さるようだ。
 これはやはり昨日のあれは私の勘違いで、兵長はたまたま私を起こそうと近づいただけだったのかもしれない。
 ため息をついていたら、兵長の指が私の口元に伸ばされた。
「兵長?」
 そのままふにふにと唇を弄られる。
「随分と期待してたみたいだな?」
 こんなときばかり浮かべる意地悪そうな笑みで私を見つめる。恥ずかしくなって見ないでくださいと言えば、余計に喜ばせるだけだった。
「したけりゃねだれ」
 こんな回りくどいことをするなと言いながら、近づいてくる兵長の顔。目を瞑れと視線が言っていて、逆らえるはずもなくその通りにする。
 触れるだけの口付けを何度も繰り返し、最後に軽く噛まれて兵長の唇は離れていってしまう。
 満足かと問われて、ゆるく首を振った。
 最初の目的は兵長の動向を探る為だったのに、今はもっと口付けてほしいとそればかりだった。ジャケットの袖をそっと掴んだまま、離れないで欲しいとねだる。
「もういっかい……」
「一回でいいのか?」
「……たくさんキスしてください」
 ねだってみろと言われた通りにしたら、耳元でそれだけでいいのかと囁かれる。もっと欲しがれと言われているようで、思考はとろけていくばかりだった。貪欲な要求は兵長の唇に飲み込まれ、そのままばらくの間口付けを繰り返していた。

「……も、息が、苦しいです……っ」
「この程度でへばるには早ぇぞ」
 だらしがないと叱咤される。何度繰り返しても兵長に貪られる内に呼吸を忘れて、夢中になってしまうのは私の方だった。
 繰り返される口付けにくったりと力が抜けて、兵長にもたれかかってしまう。それを受け止めて私を抱え直すと、くつりと笑いながら囁かれた。
「満足したか?」
 足りなければまだ付き合ってやるなどと恐ろしい言葉が聞こえた。
「充分です……」
 眠っているときにキスされるのに憧れていたけれど、起きているときの熱には敵わない。
「寝てるときでもいいですけど、起きてるときにもたくさんしてくださいね」
「……ああ」
 素直にねだったのがお気に召したのか、いつになく優しく頷いてくれた
「寝てるときのキスだと、反応できないですし」
「大人しくしてる分、楽でいいけどな」
 そりゃあ寝ているのだから大人しいのは当たり前──あれ?
 いま兵長、何を。
 見つめると兵長がしまったという顔で向こうを向いていた。
「……やっぱりキスしてたんじゃないですか」
「…………うるせぇ」
 もしかしてもしかするとだけれど、初めて兵長にほんの少しだけ勝てた気がする。
 嬉しくなってしがみついたら、鬱陶しいと言いながらも声は優しかった。
「今度は兵長が寝てるときに私がキスしますね?」
「できるもんならな」
 新たなる目標ができてしまった。

 ──何だかやけに嬉しくなって、くすくすと笑っていたら、そんなに余裕があるなら続きもさせろと言い放った兵長にのしかかられ。ほんのわずかな勝利気分など消し飛ぶほどに貪り尽くされたのは、また別の話。


end


*ただのキス話
20130702

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