共に生きよう。そう彼と約束したことが、もうずっと遠い昔のことのように感じる。

「婚約するんだ、俺」
「……婚約?」

 震える喉をついた声は、まるで私の声じゃないみたいだった。

 心を裂く一言であったにも関わらず、彼の言葉は私の中で一向に現実性を帯びない。これはきっと、悪い夢だ。目が覚めたら自室の布団の中で、静かに涙を零す私。ああ、夢で良かった。身支度を整えて食堂に赴けば、いつもの席に彼がいて、普段と同様に一緒に食事をとる。食卓に必ず豆腐料理が含まれる彼に笑みを零して、今日も幸せだなあと心から思う。この幸せがいつまでも続きますようにと、願う。そんな、いつもと変わらない朝がやってくるはずだ。

 そう思っていたのに、


「縁談の話が実家に来て、両親が是非縁談を受けようって言い出して」
「うん」
「実際会ってみたら優しい人で、」
「……うん」
「向こうも俺を気に入ってくださって、双方合意の婚約で」
「、ん」


 それは淡白な兵助らしい、短調な報告だった。兵助がどんな風に彼女に心惹かれて、どんな話をして、どんな風に笑って、相手はどんな振る舞いを見せたのか。それを聞くことにならなかったのは、私にとって良かったのかもしれない。恐らく聞いてしまえば、彼の前で想いが溢れてしまっていたと思う。そんなみっともない姿を彼に晒すことにならなくて、良かった。


「……ね、ちゃんと言って?」
「名前…?」


 彼の言葉を素直に受け止めることができないのは、恐らく彼が決定的な一言を私に告げないからだ。彼は淡白だが、優しい。しかしその優しさを、今ここで発揮されては困る。

 その一言を告げることを要求する代わりに、私は彼が言いやすい場を作らなければならない。愛する彼に今私ができることと言えば、もうそれしか残されていなかった。困惑する彼から一切視線をそらすことなく、できるだけ穏やかに笑えるよう努める。


「お願いだから、きちんと兵助の言葉で私たちの関係を終わりにして」




伝えられない想いの墓場
(残酷な言葉を受けた私の気持ちは、一体どこに捨てたら良いの?)




H24.8.31