壁を作ったのは自分だ。

 舞台が好きだとか、演劇に興味があるだとか、脚本を書きたいだとか、好きな人に認められたいだとか。動機がはっきりとしていて、旗揚げ公演を成功させるべく一心不乱に熱量を上げていく若さ故のバイタリティが彼らには在る。雄三にも指摘された通り、それが至には欠けていた。

 仕方ないじゃないか。今までゲーム以上に熱中できるものなどなかったし、これからだってきっとそうだ。彼らのような一生懸命な人たちに囲まれていても、結局のところ同じ温度で没頭できない。結果的にすれ違いの違和感を拭えずに、これからも溝はどんどん開いていくことだろう。そしてまた、気付くのだ。人と深く関わることが苦手だという現実を。

 傷付くくらいなら、最初から踏み込ませない。これまでの人生で処世術を身につけてきた至には、容易いことのはずだった。簡単なはずだった、のに。

「大丈夫?」
「……なにが?」
「ご飯を食べ始めたときは嬉しそうな顔してたのに、また何か考え込んでるみたい」

 迷子の子供みたいだねと困ったように頭を撫ぜられて、一介のリーマンを掴まえて何を言っているのだと苦笑いで返す。それでも払いのけるなんてことはせずに、甘んじてその暖かな手に身を委ねる。子供扱いされるなんて、久しぶりだ。それも、年下の女の子に。

 社会に出れば誰でも大人になれると思っていたが、どうやらそうではないらしい。働き始めたとて、至は至でしかない。今までの人生経験が行きたい道の邪魔をする。何も考えないで無邪気に、焚きつけられるままに、学生組の皆と同じように、真っ直ぐ、舞台に打ち込むことができれば良かったのに。至を形成する過去は不意に否定的な考えを脳内に過ぎらせて、問題を回避しようとすればするほど、舞台を続けることができない。生き易くなる筈の処世術が、分岐点において高い壁となって立ち塞がる。選択肢が狭まっていくことが世間一般の言う大人だとするならば、大人になどなりたくなかった。理想とは程遠い。

「……はは、笑える。俺はね、名前。お前に優しくしてもらう資格なんてない」
「なにそれ、どういう意味」
「劇団、辞めようと思ってるんだ」

 名前の気配りは劇団員にこそ向けられるべきだ。そう言って箸を置く。名前の表情が強ばるのを見て、まだ保留中の身であることを告げれば戸惑いがちに理由を問われた。

 昨晩監督に告げて、今朝は春組の皆に伝えたのだから、今更隠す必要なんてない。

 浮いた生活費をゲームに費やす算段だったこと。想像とは異なり、主要の役を与えられてしまったこと。舞台に立つ動機の浅い自分は場違いだと感じていること。それでも趣味の時間を減らして打ち込もうとしてみたが、やはり温度差が目立つこと。先延ばしにするより現段階で降板した方が、代役を探す時間がとれること。

 口早に説明してみるものの、心の闇は晴れない。それどころか一層虚無感に襲われて、至は苦虫を噛むような表情を浮かべざるを得なかった。何をしている。何を言った。自分の身を案じてくれた相手に対して、突き放すようなことを口にする必要があったか。後悔先に立たず、しかし紛れもない本心だ。

「本当は怖いだけのくせに。変に理由を重ねたりしないで、怖いって言っちゃえば良いのに」
「怖い?俺が?」
「一心不乱に打ち込んで、やっぱり駄目だった時に挫折するのが怖いんでしょ」

 冷たく当たることで巧妙に隠した弱い部分を、見透かされたような気がした。