葦木場拓斗は背が高い。彼が何処に居ようとも、私はそれを目印にしてすぐに見つけることができる。

 長い手足を折り曲げて体育館の隅に座る葦木場くんは、普段の大きな身体とは相反して、小さくそこに収まっていた。彼の頭が目線の下に在るのはいつぶりだろうかと、私は首を傾げる。中学校に入学する頃までは、私たちの身長はそう大きく離れていなかった。寧ろ私の身長の方が高かった時期さえあるというのに、葦木場くんの身長はぐんぐんと伸びて、今では彼の方が圧倒的に背が高い。最も、私の身長は中学二年生の頃から全くと言って良い程伸びなかったのだから、彼の成長だけが二人の身長差の原因ではなかった。クラスで一番背が高い葦木場くんと、クラスで一番背の低い私。彼の見ている世界は、私の世界よりずっと見晴らしが良いのだろうなあと、小さく息を吐いた。

「えい」
「どうしたの、名前ちゃん」
「久しぶりに葦木場くんの頭の頂辺が見えたから、悪戯」

 葦木場くんの頭に手を伸ばして、撫でる。こっそりと音を立てないように近づいたつもりだったのに、知っていたよという風に振り向かれて、照れ笑いで返した。彼の頭上を視界に捉えた瞬間急に可愛らしく思えてしまったなんて、当の本人に言う予定は全くないのだが、広い世界を毎日見ている葦木場くんには隠し事ができない気さえしてくる。

 お互い身長をコンプレックスとしている身だからこそ、足して二で割ってしまえれば丁度良いのに。もしくは短期間でも良いから、互いの身体を交換して体験することができたら。なんて、できるはずもない「たら・れば」話を共有している私たちは、双方の姿を見つけたら声を掛ける程度には仲が良い。「高身長あるある」とか「低身長あるある」とか、他の誰かに愚痴っても分かり合えないような内容も、似たようなコンプレックスを持った私たちだからこそ共有できることだった。

「オレからはいつも名前ちゃんの全てが見えてる。頭から爪先まで、全部」

 調子に乗って葦木場くんの頭を撫でていたら、不意に彼の口から爆弾発言が飛び出てきたものだから、心臓が跳ねた。全てが見えているだなんて、それも頭から爪先までだなんて、どう考えても男子から女子に軽々しく向ける台詞ではない。その言葉の意味するところを図りかねた私は、どう反応すべきか迷って固まってしまった。

 思い返せば、葦木場拓斗は所謂天然という類の人間である。本人が意図的に行っているわけではないのにも関わらず、発言が少々ズレている時があり、周囲からツッコミを受けたり和ませたりしている場面をよく見掛ける。よく行動を共にしている黒田くんも、時折鋭いツッコミを交えつつ彼と会話しているのを私は知っていた。ああ、なんだ。深い意味はないんだ。ただ葦木場くんは背が高いから、私の頭の上までよく見えているだけで、私が恥ずかしがることなんて何もないんだ。

 気心が知れている私なら露知らず、他の女の子にその台詞はいけない。彼がよく見えているのは私の頭から爪先だけではなく、他の人に対してもそうなのだから、在らぬ勘違いが生じる前に教えてあげるのは友人の責務だと思う。あまり物々しい雰囲気にならないように明るい声で笑って、私は葦木場くんに返答した。

「あ、相変わらず天然だなー葦木場くんは!そういう台詞、他の女の子に言ったら勘違いされちゃうから気をつけようね」
「今のは天然じゃないよ。それに、名前ちゃん以外の子には言わない」

 ぴたり。照れ隠しも含めて再び彼の頭をぐしゃぐしゃと撫ぜていた私の手が、止まった。止まってしまった。再度固まった私の顔を、葦木場くんが座ったまま下から覗き込む。確実に頬が色付いているのが分かっていたから、見ないでと両手で顔を覆った。

「見せて、可愛いから」
「や、待って。ちょっと待って」

 混乱している私を余所に、彼の大きな手が伸びてきて、顔を覆っている私のそれを捕える。決して強い力ではなかった。促すように、強請るように手を引かれる。抵抗すべきか迷っているうちに、私の手は意図も容易く引き剥がされてしまった。葦木場くんと私の視線が絡み合う。頬を紅潮させる私を見て、彼は溢れるような喜びを満面に浮かべながら、擽ったそうに笑った。

「身長は確かに持て余してるけど、座ってても名前ちゃんに見付けてもらえるのはオレの特権だよ」

 他の生徒も居るこの体育館の中で、小さく座っている葦木場くんの姿を見つけたのは私の方だった。葦木場拓斗は背が高い。しかしこうなってくると、私がすぐに彼を見つけることができる理由は、彼の身長とは結びつかない。私が彼の姿を探しているだなんて、完全に無意識だった。

 物事を認識しているか、否か。状況は認識する前と然程変わっていないはずなのに、その差は驚く程に歴然としている。私は途端に彼とどう接したら良いのか分からなくなって、恥ずかしくてたまらない。一方で葦木場くんは、顔をほころばせずにはいられないといった様子で私を見ていた。


身長差
(君を視線で追い掛ける)


2017.01.16