方向感覚というものを、人は果たしてどのように育んでいくのだろう。赤子の頃は右や左という概念すら理解していなかったのだから、それは先天的に携わっている代物ではなく、恐らく後天的に培った賜物だ。例えば道を歩いているとき。目的地はどちらの方向に在り、現在自分はどの位置に居るのか。進むべき方角をある程度想定しながら、人々は足を進める。

 では、現在名前の隣を悠々と歩いている三之助に話を置き換えてみたらどうだろう。彼は目的の方角を見失いがちなのか、現在地を把握しきれていないのか、或いは両方か。本人に問いかけたところで、これを説明できるとは到底思えない。三之助は自分の所在が完全に分からなくなってしまうまで、違う方角に向かって歩いていることに、とんと自覚がないのである。

「ねえ、次屋さん。私たちは何処に向かっているのかな」
「名前が何処でも良いって言うから、甘味処にでも行こうと思ってるんだけど」

 三之助の言う通り、彼を外出に誘ったのは他の誰でもない。名前自身だ。そして、何処に行こうという問い掛けに対して、「何処でも良い」という返答をしたのも彼女だった。二人の間で目的地を明確に定めなかった事が、今回の落ち度だ。彼と共にそこに到達するためには、名前が先導しなければならない。

 二人が贔屓にしている甘味処は、勿論このような山奥には存在しない。それにも関わらず、二人はいつまでも人里に下りることができずに、山の中を彷徨っている。

「確か、此処を真っ直ぐ行けば良かったはず」
「そうかな?村に行きたいなら、私は右に曲がった方が良いと思うよ」
「名前がそう言うなら、そうしようか」

 提案を了承したにも関わらず、何の疑いも無く左に曲がった三之助に、名前は苦言を申すことなく笑顔で着いて行く。他の者であったなら、恐らくこの時点で正しい道へと引っ張り戻すだろう。けれど、名前は敢えて彼が選択する道に着いて行くのが好きだった。

 他の者が選択する道とは、違う道を歩いてみる。横道に逸れてみる。その行為は、他の者が決して見ることのできない風景を目にすることと同義だと思っている。

 興味を唆られるものは、片っ端から試してみたい。試行錯誤したり、創意工夫を重ねていくことで、挑戦した事柄が上手くいくと達成感で満たされる。そんな好奇心の塊のような性格の末路は、後輩たちの間で密かに囁かれる”忍術学園一多趣味の名前先輩”という称号だった。

 三之助と共に訪れた土地を順次記録していくのは、彼女の趣味の一つである。彼の無自覚な方向音痴の程度に当初は頭を抱えもしたが、それを逆手にとって楽しんでしまおうという発想を得たのは、趣味に関する本を図書室に探しに行った時だった。図書室の片隅に、野草や山菜に関する書籍が並ぶ棚がある。その中にぽつんと一冊紛れていたのが、野草摘みの最中に起こった出来事や風景を物語調に綴った旅行記譚だった。行き当たりばったり。本によれば、それが人生の醍醐味というものらしい。そこに書かれていた珍妙な風景がとても他人事とは思えなくて、果たして何処かで同じような経験をしただろうかと首を捻る。そうして脳裏を過ぎったのが、彼と一緒に出掛けた時に行き着いた終着点の数々だ。

「私は次屋さんが連れて行ってくれる場所なら、何処にだって着いて行くよ。辿り着いた場所で見た風景は全部宝物だし、少しずつ宝の地図が出来上がっていくのが楽しい」
「宝の地図?そんなの、いつから作ってるんだ?」
「うーん、いつからだったかな。忘れちゃった」

 とぼけたように首を傾げてみせると、三之助は変な奴だなあと呑気に笑った。三之助が平和に笑っていてくれたら、名前はそれだけで至極幸せな気持ちになる。出来る事ならば、彼がいつも笑顔であれば良いと思う。

 地図と共に記した、彼との気ままな外出記録。二人が学園を卒業する時に、これを図書室に寄贈することが名前の夢の一つだ。学園を拠点にしながら、二人で繰り広げてきた冒険の数々。辿りついた先の景色を記した書物。それは、三之助と名前が確かに学園に在籍していたという、一つの証になるだろう。あの優しい箱庭の片隅に、二人が過ごした時間を刻む。この先どんな道を選択して、どのような景色を目の当たりにしようとも、其処に二人の証が在ることを思い返すことができれば、名前はしっかりと地に足をつけていられるような気がした。

「次屋さん、見て!此処から見える景色がとても綺麗だよ」
「本当だ、見晴らしが良い。今日は天気も良いし、出掛けて正解だったなあ」
「そうだね、楽しい!」

 生い茂る木々の隙間から、二人で並んで景色を眺める。出先で素敵なものを探しながら歩く癖も、三之助と一緒に外出することで視野が広がったからこそ身に着いた能力だ。名前の感性は、三之助と行動を共にすることで磨かれていく。例え当の本人が無自覚でも、普段とは違った景色を見せてくれる三之助の道の選び方が、名前は一番好きだった。






旅行記譚
(二人で一緒に、世界を見に行こう)








H26.10.2