white christmas

『食事でもどうかね』

25日に、と続くメッセージ。思いがけず送られてきたそれは、恋人でも何でもない、職場の上司からで。
いたずらだろうか。なんと返信したものか。
文字を乗せた白い吹き出しの横に『既読』の文字がついてしまったを見て、反射的に通知画面からトークに切り替えてしまったことを後悔する。

『送り先、間違えてませんか?』
そう返信してものの数秒で現れる既読マーク。
返事が送られてくるまでの居心地の悪い間が、私はあまり好きではない。

『私がそんな間違いをする人間だと?』
鼻につく言い回しに、送り手がやはりあの男であることを再確認する。
――セブルス・スネイプ。
真っ黒いアイコンの横に踊る『陰険根暗上司』の表示名は、勿論私が自ら設定したものである。




イルミネーションに彩られた街に、白い雪がふわりと舞い落ちる。その中を行き交う恋人たちの姿。
いっそ吹雪にでもなればよかったのに。仲睦まじげなカップルを見送りながら、***は溜息を漏らす。
あまりのクリスマス日和具合に、断り切れずにスネイプの誘いを受けてしまったことを今更ながら後悔の念が湧き上がる。
いつものスーツではなくワンピースで待ち合わせ場所にやってきたのは、たまたま仕事が早く終わって着替える余裕があったからで。
ドレスコードのあるようなお店での食事だったらどうしよう、と悩んだ上での服のチョイスだったが、こうしていざその服を着て待ち合わせ場所に立っていると、傍目からは今日を途轍もなく楽しみにしていたかのように見えなくもなさそうで、不本意極まりない。
ちらりと腕時計を見ると、指定された時間まであと2分足らずで。
スマホの通知画面を開くと、『30分ほど遅れる』とのメッセージがちょうど届いたところだった。
そこにつづく、『すまない』の文字に、***の心にまたもやもやとしたものが立ち込める。
『お気になさらず』と送ってから、少し考え、『私もまだ到着していないので』と付け足す。
我ながら、少し子供っぽい。既読マークが付いたのを見て、少し恥ずかしくなった。


代わって待ち合わせ場所に指定されたのは、駅からほど近いカフェの二階だった。
カラン、とベルを鳴らして扉を開けると、暖かな空気とコーヒーの香りが***を出迎える。
首に巻いていたマフラーを解いて、そう広くない店内を見渡すと、若いウェイターがコツコツと靴を鳴らしてこちらに歩み寄る。

「****様でいらっしゃいますか」
軽い会釈のあと、気品のある声がそう尋ねて、***は少し驚きながら首を縦に動かす。
こちらへ、と店内の奥へと進むウェイターの後に続いて二階へとつづく階段を登り、促されるままに窓際の席に腰を下ろす。
間接照明の柔らかな光がオレンジに色づかせる店内には、静かなジャズが流れていて。
羽織っていたコートを脱ぐ***の元に、先ほどのウェイターが再び現れ、テーブルにカップを置いて立ち去る。
湯気立つそれを手に取り、一瞬迷ってから、口を付ける。
コーヒーかと思ったが、その中身はホットチョコレートだった。
ほんのりビターな、それでいて優しい味わいが喉を伝い、外気で冷えた身体を芯から温めていく。

***は、コーヒーが苦手だった。
それを知ってか知らずかのスネイプの気遣いに、気恥ずかしささえも感じてしまう。
きらめく街を眼下に見下ろし、ホットチョコレートをもう一口。それから、***は少し頬を緩めた。


スネイプの遅刻は、本当に30分きっかりだった。
この上司が異様なほど時間に厳しい人間であることは、入社してからというものもう存分に思い知らされていたことではあったが。
律儀というか、なんというか。
ぬ、と二階のフロアにあらわれたスネイプは、遅れてすまない、とだけ告げてすぐにつかつかと階下へと向かう。
急いで鞄とマフラーを掴んだ***はそのままスネイプに続いて店の外へと出て、それからいつの間にやらスネイプが会計を済ませていたことに気が付いた。

「ホットチョコレート、ありがとうございます」
美味しかったです、と礼を言うと、構わん、と短い応答。
此方をちらと見るでもなくさっさと雪降りしきる街を進んでいくスネイプに付いていくのに、***は時々駆け足にならなければいけなかった。
5分ほど歩いた先、辿りついたのは隠れ家風のフレンチレストランで。
ちりんちりんとドアベルを鳴らしスネイプに続いて店内へと入ると、先ほどのカフェ同様にウェイターがするりと現れ、こちらへ、と二人を促す。
白いテーブルクロスに覆われた丸テーブルに向かい合うように腰掛けると、すかさずウェイターが白ワインを給仕する。
ワイングラスに注がれるその瓶のなにやら高級そうなラベルを不安げに見やると、スネイプが小さく鼻を鳴らす音が聞こえ、***は目を上げる。

「庶民丸出しだな。…まあ、仕事もろくにできない君の財政状況などたかが知れているがな」
安心したまえ、今日は全て私のおごりだ、と口元を歪めてみせる上司の姿に、***はぴくりと眉を顰める。
それから何とか怒りを鎮め、ありがとうございます、と苦々しげに答える。

「礼には及ばん」
そう答えてワイングラスを掲げるスネイプに倣い、***もワイングラスを手に取って。
乾杯するように少しグラスを傾け、それから一口ワインを口に含んだ。
年代物のワイン特有の、癖の強い酸味と葡萄の芳醇な香りが鼻を衝く。
グラスから唇を離して初めて、その様子をじっとりと見つめるスネイプの視線に気が付いた。
何か味の感想を尋ねられるかと思ったが、特に何も言わず、スネイプは小さく口元を緩めて。
なんだかよくわからないままに、ウェイターが一品、また一品と料理を運び、妙な空気に包まれた食事が始まった。

その後の食事は、双方が双方を探るように沈黙の中で進んでいった。
スネイプが料理のうんちくでも延々と語り出すのではと身構えていた***は、デザートまでたどり着いて、拍子抜けしたような気分になっていた。

「今日はどうして私を此処に?」
クリームチーズとラズベリーソースの乗ったアイスクリームを掬いながら、***は沈黙に耐えかねてそう尋ねた。
スネイプはその言葉にちらりと視線を上げて、一瞬食事の手を止める。

「デートだ」
当然だろう、と事もなげにさらりと答え、再びデザートに手を掛けるスネイプに、今度は***が凍り付く番だった。

「デート…!?」
デート。
まあ、クリスマスだから、と考えることもできはするのだろうが。
そうではないか、と頭をよぎっていなかったわけではない。
少なくとも、待ち合わせまでは。
しかし、あまりに色気のない空気感とスネイプの態度に、これは新手の嫌がらせか何かかと考えを改めていたところだったのだが。

「まさか、私のこと、好きなんですか…?」
思わず口を衝いて出た質問に、スネイプが窘めるように此方を睨み付けてから、出入り口付近に立つウェイターの方を気にするようにちらりと見やる。

「…もっと遠回しな表現はできなかったのかね」
ため息をつくスネイプに、***はすいません、と小さく呟く。

「…好意は持っている」
そうでなければ誘わない、とどこか投げやりに答えるスネイプは目線を***から少し外して。
その様子が少し照れているように見えるのは、もはや病気なのか、それともこの上司の感情を読み取るのが上達してきた証なのか。
相手が相手だ。どちらにせよあまり嬉しい話ではなかったが、終盤になって漸くクリスマスらしい色味を帯びてきた食事に、***もなんだかまんざらでない気分に見舞われる。

それから、再びテーブルを沈黙が支配した。その空気はもはや重苦しいものではなくなっていたが。


コース料理を十分に満喫した二人は温かなレストランを後にし、再びイルミネーション輝く街中へと息を白く漂わせて歩みを進めた。
外はまだちらちらと雪が舞っていた。

駅まで送る、と申し出たスネイプと連れ立って人通りの多い通りを抜けると、すぐに駅前の巨大なクリスマスツリーが姿を現す。
別れるはずだった改札前は、直ぐそこにあった。しかし、それまで大股でずんずんと進んでいたスネイプの歩みがツリーの前で不規則に揺れて、そして、止まった。

「なにか、欲しいものはあるか」
少しの沈黙のあと、そう尋ねる声。
***は少し考えてから、いえ、と答える。

「もう十分にいろいろと頂きましたから」
そうか、と答えるその声は、少し寂しさが滲んでいるように感じられなくもない。
不意にスネイプがツリーを背にして、こちらを振り向く。
陰険根暗上司と、クリスマスカラーに彩られたモミの木。どう考えてもミスマッチなその組み合わせ。
いつもの仕返しに揶揄してやろう、と開いた唇は、言葉を紡げなかった。

「…ん…っ」
ふわり、と漂う、香水とは違う、独特の香り。それから肩を抱く男の手の平の温もり。
そして、スネイプの、かさついた唇が其処に触れる感触。
なぜか、その身体を押し返す気にはなれず、ちゅ、と何度か角度を変えて押し当てられるのをそのままに受け入れる。
きっと、ワインで少し酔っていたせいだろう――。


コートのポケットに手を入れ、改札の向こうから此方を見守る男に小さく頭を下げる。
それからそちらに背を向けて、***はホームへと続く階段へと向かう。
ちらりと角を曲がる瞬間に視線を向けると、まだそこに立っているスネイプと視線がぶつかって。

――意外と。意外と、悪くない相手なのかもしれない。
不意に始まった恋の予感に口元を緩ませながら、***は駅のホームへと階段を下ってゆく。


『またどこかで、食事を』
通知画面に現れた文字を見つめながら、電車内で***はふ、と笑みを零す。
『陰険根暗上司』の表示名が、彼のファーストネームへと変化するのは、もう少し先のお話。




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