summer in the darkness ――真夏の地下牢教室。 そう字面を見れば、まるでホグワーツの穴場心霊スポットとでも思われそうなものだが、と朦朧とした意識の中考えるのは、教室の主その人で。 この暑さではゴーストも寄り付かないだろう、とスネイプが手元の鍋に目を落とせば、もうもうと真紅の煙が立ち上る。 ぐつぐつと音を立てて煮えるそれはまるで地獄の底で沸く溶岩のよう。 汗が零れて鍋の中に入らないよう、細心の注意を払って額に張り付いた髪をかきあげ、この後の調合の手順を頭の中で反芻する。 「ユニコーンの角の粉末を2.34g…、4回時計回り攪拌…、3回と3/4逆時計回り攪拌に…、違う…、粉末は2.43gか…?秤だ、秤が要る…」 薬品棚へと足を踏み出した瞬間、ぐらり、と揺れる視界。倒れた、と気づいた時にはすでに、視界がそのまま暗転し始めていた。 「!?!!?」 スネイプが倒れて数分後、授業中の居眠りで食らった罰則を受けにスネイプの私室を訪れた***は、息も絶え絶えに床に倒れこんでいる教授を前に一世一代の選択に迫られることとなった。 (こ、これは…!も、もしかして見殺しにした方がスリザリン以外の全生徒の為になる…!?) あのスネイプがこんな弱みを人前で、ましてや生徒の前で晒すなど、もしやホグワーツ始まって以来のことなのでは…。 助けるべきか、そのまま放置すべきか…。 「うひゃあっ!」 頭の中で総合格闘技を始めんばかりにせめぎあう天使と悪魔を前に、本気でどうすべきか悩む***を尻目に、スネイプが、ぴくり、と身体を動かし、思わず叫び声が口を突いて出る。 「う…、っ、…」 薄い、血の気の無い唇から小さく漏れるうめき声。 その声を聞いて、***は恐る恐るスネイプに近寄っていく。 その額に浮かぶ脂汗、苦しそうに寄せられた眉間の皺。 水を、とつぶやくその姿を見て、もはや、***がすべきことは一つしかなかった。 唇に、なにか、柔らかいものが触れたような気がした。 それから、生きる源のような、冷たいものが身体に染み渡っていく感覚。 ――気持ちが、いい。 一瞬離れたそれを引き寄せるようにすると、その望みはすぐに叶った。それを、何度か繰り返す。 暗闇に沈んでいた意識がゆっくりと、しかし着実に、元いた場所へと吸い寄せられていくような。 次に、頬に冷たいものが押し当てられた。 眼をゆっくりと開けると、そこには見慣れた少女の顔と、見慣れた寝室の天井。しかしその組み合わせは全くもって見慣れない。 少女の眼が少し驚いたように開き、その唇が、きょうじゅ、と形づくるように動く。 「****…?」 そ、そうです、と答えた彼女は、ベッドから身を起こしたスネイプに、そのまま急き立てられるかのように今に至るまでの経緯を話してみせる。 罰則を受けに地下牢教室で待っていたが、スネイプがなかなか来なかったこと。 仕方がないので私室を訪ねたところ、倒れていたスネイプを発見したこと。 とりあえずスネイプに水を飲ませ、寝室に運び込み、部屋を換気したこと。 「…で、調合中だった魔法薬はどうなったかね」 あまりに矢継ぎ早に身振り手振りで話すので一部理解できなかった、というのが本音だったが、大体の事情を察したスネイプは***にそう尋ねた。 鍋を覗き込んだ時にはもう何も残っていなかった、との答えに、そう安くはなかった材料代を思うと、スネイプは気を落とさずにはいられなかった。 しかし、暑さで気を失ったお陰で立ち上る蒸気をまともに吸い込まずに済んだのは、幸運だったといえるだろうか。 なにより―― ちらり、と***の方に視線をやると、なにやらこちらを見ていたらしい彼女は慌てた様に視線を逸らす。 少し様子がおかしいのが気になるところだが――。 「――助かった、お前のお陰だ」 素直にそう漏らすと、照れたようにまた視線を逸らし、うっすらと赤く染まる彼女の頬。――やはり変だ。 「罰則は無しでいい、今日は帰りたまえ」 違和感の原因を探し求めて視線を時計にやり、消灯時間が近づいていたことに気付いたスネイプは、***にそう声を掛ける。 「そ、そうですね!そうしますっ…!」 勢いよくベッド際の椅子から立ち上がった彼女は、そのまま寝室の入口へ歩いていき、そこで逡巡するかのように立ち止まる。 何か、と声を掛けると、彼女は意を決したかのようにこちらを振り向いて。 「さっきの…、その、キス、私、初めて、でしたから…っ!」 お大事に!と後に続けた彼女は、止める間もなく部屋から飛び出していく。 (キス…?) 残されたスネイプは、彼女の言葉を反芻して記憶の断片を探り当てる。 「…ちゅ、…あ、…せんせ…っ!」 「み、水です…!大事なのはそっちじゃなくて…、ん…っ!」 喉を伝う冷たい水の感覚と、それから。 そっと自分の唇に触れ、そこにあったはずの感触を思い起こし。 「……それは、まずいな」 彼女がスネイプの私室の常連客になるのは、まだ少し先のお話である――。 |