小説 | ナノ

1-2 手を伸ばせば届く距離




 あれから3時間ほど経っただろうか、目の前に山のように積まれていた白い紙は残り数枚となっていた。隣には、額に光る汗を滲ませながら真剣な眼差しで苦手な事務仕事に向き合っている了平さんがいた。こうして大人しく椅子に座って仕事をする彼の姿を拝むことは滅多にできないため、仕事を熟しながら横目で見ていたのだ。


「おい、さっきからこっちを見すぎだ。そんなに珍しいか……。あと少しなんだから集中せんか。」


 小さな息を吐きながら、落ち着いた声で話す。彼は、私が横目でチラチラ見ていたことに気づいていたようだ。


「……すみません、集中します。」


 反省しながらも、なんだか笑みがこぼれた。たまには、こういう了平さんと仕事をするのも悪くない。そう思いながら、目の前の書類に手を伸ばし束ねていった。

 隣では、紙を指でなぞりながら書かれている内容をブツブツと小さな声で読んでいる。読み終えるとうんうんと頷き、白い紙に朱い印肉をつけた印章を優しく押し付けた。


「よしっ、終わったぞ。」


 やり切ったぞというようなドヤ顔でこっちを見て笑う。


「はい! お疲れ様です! よくできました。」


「なっ……!!」


 右手を伸ばせば届く距離に了平さんがいたからか、無意識にその手で綺麗にセットされた短い髪をぐしゃぐしゃにするように頭を撫でてしまった。目を見開き、口までポカンと開いた状態で固まる彼を見て我に返り手を離した。


「あ!!! ごめんなさい!!! 上司にこんなこと!!」


 彼は、少し俯き気味で包帯の巻かれた両手の拳を握りしめながらプルプルと震えていた。耳まで赤くなった顔を必死に隠すかのように。


「お前はなぁ!!!! 俺は子どもじゃないんだぞぉお!!!」


「ちょっ……」


「きょくげーーーーーん!!!!!」


 握りしめていた拳を上に向け、万歳をするような体制で叫びながら立ち上がった。


「お…俺は、極限に身体がなっまているぞ!! トレーニングに行ってくる!! あとは頼んだぞ、雫!!」


 そう言って、逃げるように部屋から出たいった。


「怒っちゃったかな? ……それとも照れてたのかな?」


 了平さんが立ち去った理由に気づかないまま私は、書類をかき集めて両腕いっぱいに抱え同じく部屋を後にした。
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