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そんな顔するくらいなら




 冷たく乾いた風が吹く季節。いつものように、10代目と俺が下校していると後ろから走って追いかけてくる女がいた。


「ツーナー!! ごーくでらー!!」


 大声で叫びながらアホ面で笑っている女は、同じクラスの藤本雫だ。いつの間にか10代目と仲良くなって、いつも俺らの間に割り込んでくる、とんでもなく邪魔なヤツだ。


「雫ちゃん!」


「今日も一緒に帰っていい?」


「もちろんだよ! ね、獄寺君?」


「えっ!! じゅ、10代目がそうおっしゃるなら……」


「やったーー!!」


 いつもこうやって、10代目が断らないことをいいことに毎日のようにくっついてくる。何の目的があってついてくるのかは、俺にはわからない。


「かなり寒くなってきたね。マフラー必須だね!」


 鼻を赤くして10代目の方を見ながら笑うその顔、なんかムカつくんだよな。


「そうだねー!」


 10代目は、本当に素晴らしいお方だ。こんなアホ女にも嫌な顔一つせず!


「そういえば、マフラー巻いた京子ちゃん可愛かったなぁ。」


「!!」


 笹川の名前が出たとたん、女は表情を変えた。


「また、京子の話ー? ホント好きだねぇ!」


「なっ!! からかわないでよー!」


 笑い合って、いつもと変わらない風景に見えるが、俺にはわかった。

 またその顔だ。いつも笑ってるくせに突然その顔をする時がある。10代目の口から笹川の名前を聞くと、眉を下げながら笑う。俺には、この女がどんな顔をしようが、どんな感情があろうが関係ない。10代目に害をあたえなければそれでいい。


「あはは……。」


 おい、いつもより表情が悪くなってるぞ。そんなんじゃ、10代目が心配するだろうが。


「あ、私用事思い出しちゃった! やっぱり一人で先帰るね!!」


 そう言い放ち、少し俯きながら真っすぐ前に走り出した。


「え!! うん、また明日ね! 雫ちゃん!!」


 10代目は、女の表情には気づいていなかったようだ。


 どうして、あんな顔して10代目を見るんだよ。なんでそんなに辛そうなんだよ。辛そうな顔すんなら近づいてくるんじゃねぇよ…………俺、アホ女のこと考えすぎだろ……なんでだよ。

 本当は、気づいてた。女が近づいてくる理由もあんな顔をする理由も……そして、俺自身が何を思っているのかも。認めたくなかった、自分がこんな感情持つなんて思ってもいなかったし、ましてやアホ女に対してだなんて。今だって認めたくなくてこうやって気づかないふりをしてるんだ。


「獄寺君? どうしたの?」


 10代目に呼ばれたその声が隣ではなく、少し前から聞こえた。


「あ……」


 俺はいつの間にか、歩みを止め立ち止まっていたんだ。


「大丈夫?」


「10代目……すみません!! 俺、用事を思い出したので先に帰ります!!」


「えっ!?」


 心配して歩み寄ってきてくれていた10代目を通り過ぎ、女が走り去っていった方へと走り始めた。


 白い息を吐きながら、出せる限界の速さで追いかけた。しかし、どんなに走っても女の姿は見えず、違う道に来てしまったかと途方に暮れていた。乾いた喉が余計に呼吸を荒くする。


「クソッ、雫のヤツどこいったんだよ……」


 息を切らしながら、かすれた声が出る。


「私ならここにいるけど?」


「!!!??」


 そこにいるはずのない女の声が後ろから聞こえた。少しずつ呼吸を整えるように息をして、後ろを振り返ってみた。


「そんな走ってきて息切らして何してんのよ。」


 少し鼻にかかったような声になり、目元も赤くなったアホ女が立っていた。


「何で、テメェが……後ろにいんだよ。」


「そこの後ろの道に曲がって、少し立ち止まってたら私の名前を呼ぶ声がして、見てみたら獄寺だったから来たの。あなたが私を呼んだんじゃない!」


 潤んだ目から水がこぼれ落ちないように、少し偉そうに立っているその姿は、何だか美しく見えた。鼻をすすりながら、えへへと笑うそのアホな表情ですら今は、輝いて見えてしまう。


「テメェ……あんな顔で10代目を見るんじゃねぇ! 10代目が心配するだろうが! それに、辛そうにすんなら近づくんじゃねーよ!! 見てるこっちがおかしくなりそうだ!! ってか、おかしくなってるって―の!! あと、一人で泣くんじゃねーよ!」


 見て見ぬふりをしてきた自分の感情に歯止めが利かなくなり、怒鳴るような形で思っていたことをぶちまけてしまった。ポカーンと口を開けて、いつもに増してアホな顔をするもんだから俺は、更に止められなくなった。


「10代目を見てそんな顔するくらいなら、泣くぐらいなら!!! 俺のことを見ろよ!!!」


「ごくでらっ!!?」


 こんな日が来るなんて思ってなかった。日々、抑えていた感情を見ないふりをして積み上げてきた。あまりにも、大きくなり過ぎた山は脆くて少しの衝撃で崩れ去ってしまった。自分がこんなに熱くなって、何かに夢中になることなんてなかったから、全てをぶちまけてしまった今、怖くて少し震えてやがる。これから俺たちの関係はどうなってしまうんだろう、もっとひどい顔をさせてしまうんじゃないか、それだけが頭に残った。


「……なっ!」


 冷えた自分の手に微かな温かさと何かが触れる感触を感じた。そこには、俺よりも小さな手がかぶさっていた。


「獄寺……ありがとう。こんなに冷たくなりながらも追いかけてきてくれたんだね。心配かけちゃって私ダメだね、獄寺見習って強くならなきゃ!」


 ニコッと笑ったその表情は、一気に俺の体を熱くした。


「すぐには切り替えられないし、獄寺のことを利用したりして忘れようとも思わない。私は私の力で乗り越えて、前に進むわ。」


 笑った表情から、凛とした表情へと変わった。


「だけど、これからちゃんと獄寺のこと見るね。」


「!!!」


 この時俺は、次々に変わる雫の表情に魅了されてしまった。

 俺自身、ちゃんとした想いは告げていないし、彼女もまた深く聞こうとせず、返事の言葉も発しなかった。互いに、今ではないという判断をしたのか、自然とそういう雰囲気になったんだ。


「じゃっ、一緒に帰ろうか! 獄寺!!」


「テメェと二人で帰るかよ! 俺は10代目のところに戻る!!!」


「えええ!!! 待ってよー!」


 このあと、10代目のいるところまで戻って、いつものように3人で帰路へと向かった。

―END―
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