微温湯

任務帰りのカカシとアカデミー前で雑談していて、明日は久し振りに二人で宅飲みしようよ。なんて約束取り付けている最中、見知らぬ女性が物凄い勢いで一直線に私へと歩み寄ってきて腕を振り上げた。
バチーン。なんて軽快な音を自分の頬が鳴らす日が来るとは思わなかった。

「なにこれ?」
「…俺に聞かないでちょうだいよ」



微温湯



「お疲れ様」
「お疲れー」

どう見ても腫れてる頬で教壇に立てば、子供達にも他の先生方にも色々言われる。
それを嘘の説明をしてかわすのも面倒臭いものだ。
こんな日はさっさと帰って寝るに限る。そう感じて、友人の誘いも適当にかわして家路を辿った。

「おかえり」
「――っ!」

流石に腫れた頬晒して歩くのは気が引けて、屋根の上を逃げるように飛んで帰ってきたまでは良かったけど、いざ鍵を開けようとした時に真後ろから声を掛けられ思わず鍵を落とした。
昨日のあれが思ったよりも精神面で効いていたのか、過剰な反応に自分でも吃驚した。普段ならこんなことありえないのに。
振り向いて声を掛けてきた人物を見上げれば、相手も私の反応に驚いている様子。それでも目はやる気がなさそうなものだったけれど。

「吃驚したー?」
「するよ、もう!」
「悪い悪い」

若干哀れんでいるような、呆れているような目線が私の頬へとチラッと動く。そしてカカシは何とも言い難いといった表情で笑った。

「見事に腫れたねェ」
「まあね。あんだけ思いっきりやられれば、ね」

仕方が無いよ。と言いながら鍵を拾おうと屈むと、私よりも先にカカシがそれを拾い、何も言わずにそれを使って玄関を開けた。
遠慮がないなとも思いつつ、何も言わずに私も続けて入っていく。そして二人揃って真っ先に向かったのは冷蔵庫だった。

「大丈夫。見た目ほどじゃないよ」
「あーそう。で、吹っ切れた?」

私は冷蔵庫を。カカシは下の冷凍室の方をと、それぞれ別の物を見ていた。
私が真っ先に手を伸ばしたのはアルコール。こんな面倒な事があった日に飲まずに居られようか。そう思っての行動だったけれど、カカシが何故冷凍室を覗いていたのかは解らなかった。というよりも、普段うちの冷蔵庫なんて触らないカカシが何故今そうしているのかが解らなかった。
何か必要な物があったかだろうか?これと言って思いつく物はなかったように思うけれど、氷でも欲しかったんだろうか?

「多分ねー。カカシもビール飲むー?」
「んー。でもお前は先にこっちね」

はい、と頬に宛てられたのは、つい数秒前まで冷蔵庫に入っていた保冷材で、突然キンキンに凍った物を宛てられて吃驚した私は反動で身をずらして冷蔵庫の角で額をぶつけた。
ガツッ、なんて良い音がして、流石にカカシも罰が悪そうな顔をしながら私を覗き込んでいる。

「悪い、そんなに驚いた?」
「…んで」
「んー?」
「なんで昨日からこんなに痛い思いしないといけないの?もうやだー!」

泣きたくなんてないのに勝手にボロボロと涙が流れてきて、終いには子供みたいに声まで上げながら泣き出した。
唐突に出てきた涙にも言葉に自分でも驚きだった。カカシも多少驚いているようにみえるけれど、なんとなくこうなるだろうと解っていたのか直ぐに苦笑いに切り替わっていた。
悔しい。知らなかったとはいえ、これが代償かと思うと惨めで滑稽すぎる――そんな事を口走ったけれど、あまりちゃんとした言葉になっていなかったかもしれない。

「仕方ないんじゃない?結果的には浮気相手になってたんだから、それくらいされて当然。って昨日自分で言ってたでしょうが」
「わかってるけどさ、半年も完璧に隠されて実は本命がいるなんて展開有り得る?おまけに彼女には平手打ちって最悪すぎるでしょ?」
「お前だって別に大してその男を想ってたわけじゃないでしょうが」
「そうだけど……だけど、なんで私が悪者みたいにならなきゃいけないの?腹を立てないでいられるかー!」
「あー、はいはいはい」

まあ今回は諦めなさい。そうカカシに言われたけど納得が出来なかった。
男は私と縁を切って彼女に全部話したことで重荷から解放された。彼女は平手打ちと罵詈雑言を私にぶつけた事で少しは気が晴れた。 じゃあ私は?
幾らそんなに好きじゃなかった相手だとしても、多少の感情はあった、多分。なけりゃこんな複雑な気持ちにならないだろうから多少はあったように思う。
この気持ちはどうすればいい?微妙過ぎて一人で解決出来そうにない。

「ま、愚痴るだけ愚痴って、明日からは無かった事にすればいいでしょ」
「じゃあ全部言うまで付き合ってくれる?」
「…あー……多分?」
「カカシ全然優しくないー!今日くらい優しくしてしてよー!」

少しでも誰かに優しくされたい。そう望むのはいけない事じゃない筈。
そうでもされなきゃ、煮え繰り返ったこの腹は治まりそうにないし、訳の解らない寂しさも解消されない。解消されないどころか、どんどんドン底まで落ちていってしまいそうで怖い。
それをカカシに求めるのは可笑しいだろうか?本音が簡単に吐けて一番落ち着く相手が目の前に居て、その人に少しだけ甘える事で自分を立て直せるなら、今くらい縋ってもいいんじゃないだろうか。

「わかったわかった。取り敢えずこれあてときなさい」
「…それはいや。冷蔵庫の中に湿布があるから出して」
「はいはい」

開けっ放しだった冷蔵庫から湿布とビールを取り出して、そのまま一人奥へと行ってしまった。と思っていたら、ドアの向こうから目尻垂らした笑顔でチョイチョイっと手招きをしている。
今日は思いっきり甘えたい。ただ誰かの傍に居て落ち着きたい。そう思ってるのが解っているのか、何時ものパーソナルスペースをはるかに超えた距離に座っても、カカシは拒否を示さなかった。あまりにも近すぎて「狭い」と笑ってはいたけど、本を開くだけで押し返す事はなかった。

それに安心したのか、私はその後ゆったりとした気分で思っていることを話していった。それに対してのカカシの返答は「うん」と言うだけ。
でも、それが私にとっては心地よかった。無理に言葉を搾り出して答えました、なんて上辺だけの返答されていたら、もっと落ち込んで話にならなかっただろう。

「休日とかさ、変に時間が有り余ってる時にね、たまーにすーっごい寂しいなって思わない?」
「思わない。お前みたいに病んでないから」
「いや、病んでるとかじゃなくて!ほら、なんて言うか……満足してないわけじゃないんだけど、このままでいいのかなーってさ」
「今が寂しいだけだって。少し経てば無駄に元気になるんじゃない?」
「うーん……別にさ、あの男と別れたから寂しいって訳じゃないのよ。正直、あいつはもうどうでもいいんだけどさ」

私だって誰か一人と落ち着きたい。誰かに一人に必要とされたり、自分だけを大事に想ってくれる人が居ればいいのにな、と考えてしまう。
そうすれば一人でボーっと天井見つめる事もないだろうし、友人の幸福談を聞いて密かに羨んだり、この先ずっと一人だったらどうしようって怖くなる事もない。
……十年後、二十年後には気ままに猫か犬と同居、なんて想像しただけで寂し過ぎる結果が最近チラついて仕方がない、なんて今言ったらカカシはありえないほど爆笑しそうだから言わないでおこう。それはそれで見てみたい気もするけど、自爆して得た爆笑姿なんて面白くなさそうだし。

「カカシもさ、いつかは誰かと一緒になる?」
「さあね。どうかな」
「……そうなったら、カカシに頼れなくなるから…やだな」

やだな、なんて言ったのはいいけど、言った直後に子供みたいな事を言ってしまったと少し羞恥がわいた。
そう思いながらもカカシの肩に額くっ付けていると、上から「甘ったれないの」と低い声が聞こえてきて、顔を上げればカカシは困ったように笑っていた。それを見て、また頭の中は“やだな”と切なくなる。

「無理。私カカシ居ないとやってけない」
「あのねェ、ちょっとは自立してちょうだいよ」

この際無恥になってしまおうか。カカシからすれば私の馬鹿さ加減や子供っぽさ、我が儘さなんて今更だろう。
微温湯のように適温で心地が良い。そんな相手が傍に居るなら敢えてそれにどっぷり浸かってみたい。

「カカシー……抱っこ」
「は?」
「ハグだよハグ。ギューッと熱いやついっちょ頼む!」
「いっちょ頼むって、そんなビール注文するように言われても。……まあそれは、次の男にでも」
「やだ。カカシにしてもらいたい」

今すぐ必要。だからしてもらうまで動かない。少し口先尖らせながらそう言った頃には、もう自分の中では完全に開き直っていた。もうどうにでもなれ、と。この勢いにまかせればなんとかなるだろうと。
カカシの表情にはほんの少しだけ躊躇が見られた。その表情をじっとみつめると自分の中で焦りが出てくるのが解っていたからか、私はそれをみないフリして只管繕った笑顔を向けて、カカシが動いてくれるのを両手を広げて待っていた。
けれど、それはせいぜい数秒の事で、閉じた本をその辺に投げられるとカカシは直ぐに動いた。

でも、たったの一本。
私に与えられたのは腕一本だけ。両手を広げて両腕で、と強請ったのに、首を振るだけでそれ以上はしてくれなかった。
片腕だけとは、なんて中途半端な対応なんだろう。これでは寂しさ倍増。物足りなさ大爆発。といった感想しか湧いてこず、とどのつまり全然満足出来ていない。
今だけでいいから、大切な彼女にするようにして欲しい。ただ抱きしめられるだけじゃない、満足感と安心感が与えられる抱きしめられ方がされたい。
これじゃ、全然足りない。

「それじゃ逆効果だよ。余計寂しくなる」
「…」

何の反応も見せないカカシの反応に、やっぱり甘えなんて見せるんじゃなかったと段々苦い気持ちになった。
カカシは幼い頃からの友人で兄妹のようなものなのに、私は何を勘違いしてたんだろうか。彼はきっと呆れてるに違いない。寂しい女、ガキ。こういったことを思っていそうだ。
そう気づくと、自分の今やっている行動が途轍もなく馬鹿げたことのように思えてきて、恥ずかしくて足の先から頭の鉄片までの体温が一気に上昇する。きっと今の自分は耳の先まで真っ赤になっている事だろう。

「あー、えーっと、やっぱり今のナシ」
「なんで?」
「なんでって、ほら…カカシひいてるし。自分でも言う相手を間違えたって思うしさ」
「間違えた?」
「そうそう。うん、ごめん!無かったことにして!ね?」

しがみ付く様に回していた腕を解き、繕った笑顔を向けると、カカシは案の定困った顔をしていた。それに私を見ようともせず床一点のみを凝視していた。凝視、という表現は少し語弊がありそうだけれど、とにかく何かを考えている風に止まっていた。

「カカシ?」
「…ん?」
「……そんなに嫌だった?」
「いや?そんなことは、ない、かな。多分」
「はっきりしないなあ。何なのもう」

何なの、と笑いながらも内心泣きそうだった。
これはかなり傷ついた。何でもとはいかなくても、ある程度の事は受け入れてくれるだろうと思っていたから、この結果は全く考えていなかった。
ただの幼馴染みに拒否されるだけでもこんなにも辛いものなのか。いや、そこらの人よりも繋がりが濃いからこそ辛いのかもしれない。
こんな結果になるなら頼むんじゃなかった。これじゃあ余りにも自分が惨めで遣り切れない。

そう後悔していると、その間黙っていたカカシが立った。
その瞬間、私は更に後悔が増し、そしてそれ以上に不安が頭一杯に広がった。嫌な展開だ。

「悪い。全部聞いてやれそうにないや」
「…帰るの?」
「うん」

まるで私なんて眼中に無いかのように、一切こちらを見ることも無く目の前を通り過ぎていく。
驚くほどあっさりとした態度に更に傷つきながらも、このままじゃいけないと慌てて後を追った。その際、腕が当たってコップが倒れたのは解っていたけれど、そんな事よりもカカシだった。

「お願い、待って」

唯一無二の存在を失くしてしまうなんて、そんな事嫌だ。しかも厚意に甘えた馬鹿な行為のせいでなんて絶対に嫌だ。
ドアに手を掛けようとしたその腕にしがみついて、それに近い事を半ば捲し立てるように言うと、頭の上から馬鹿だよねェという声が落ちてきた。

「そんなに俺が大事?」
「うん。嫌われたって考えたら一瞬で怖くなった。本当にゴメン。もうあんな事頼まないし、もう弱音も言わないから、お願いだからいなくならないで」
「ふうん……ま、実際逃げてるみたいなものかもしれないけど」

お前が思ってるような事にはならないよ。
そうは言われたけれど、納得がいかなかった。実際に今そうなりかけてるのに何故ならないと言うんだろうか?言ってる事とやってる事が違って訳がわからない。
こちらへと向き直したカカシの顔は案外平然としたもので、それを見た私は拍子抜けして顔の力が抜けた。
その顔が相当間抜けていたのか、私の表情を見たカカシは笑っていたけれど、それを突っ込む事も出来ない。

「○○がそんなに必死になるような事、俺言った?」
「……ううん、言ってないかも。でもあのタイミングで帰るなんて言われるとそう取っちゃうよ」
「説明不足だった。すまん」

ほら。と玄関のドアを開けて指した先には上忍召集用の鳥が飛んでいて、私は更に力が抜けた。
そして在らぬ勘違いをしたと気づき、頭の先から足先まで火が吹いているかのようにカアッと暑くなった。

「だから馬鹿だよねェって言った、のね」
「うん、まあね」
「……私、今どうなってる?」
「まるで茹蛸」
「もうやだ……穴があったら入りたい」

両手で顔を覆いながら、段々と小さくなる声に合わせて蹲った。そうやってカカシを一切視界に入れないようにしたというのに、あろうことかカカシは半ば強引に顔から手を剥いだ。
バタン、と開かれたドアが重く閉じる音が聞こえ、それに反応した腕がビックリするくらい跳ね上がる。
上から覗き込んできていたカカシは、その跳ねた腕を掴んで私を立たせると厭らしく左目を弓状に曲げて笑いながら言った。

「ということで、俺はこれから行くけどさ、多分直ぐに帰ってくるから」
「なんで?上忍会議でしょ?どっか任務に出るんじゃないの?」
「俺が出ないといけないような任務なら、直接呼び出しくらうでしょ」
「――あ、ああ…そっか。……や、今日はもういいよ。ほんともう結構です」
「いやいや、そんな遠慮せずに。どういった意味で唯一無二なのか是非教えて貰いたいな」
「はあ!?無理無理無理無理!私だって何でそんな風に思ったのか解ってない、…のに」

解っていない…なんて事、あるわけがない。
今日の数時間だけでどれだけカカシの存在が自分の中で大きなものだと実感したことか。まさかあれだけ色々と思っておいて、カカシが必要なのは自分に都合がいいからです。何てことあるわけがない。
何故フラれた男を即効で忘れられたか。そんなもの決まってる。そいつよりも大事だと思っている人が居たからだ。
何故抱きしめられたいと思ったか。そんなの好きだからに決まってる。きっと、今までだって心のどこかでそう思ってた。
何故追いかけたか。そんなの、何よりも失くしたくない人だからに決まってる。今までそうだったように、これからだってそうだ。
変な理屈捏ねてカカシを幼馴染みだと思い込もうとしたのは、あまりにも昔から知りすぎてる人だったからだろう。きっと友人としての私じゃなくて、女の私の部分を見られるのが恥ずかしかったんだ。
なのに行動だけは女丸出し。軽いノリと勢いでカカシを試したのは、傷つくのが怖かったからだ。
ほんと何をやってるんだろう。

「――わかった。色々整理して待っときます」
「そーだねえ。そうしてもらえると嬉しいかな」

カカシがそう坦々と答えてドアに再び手を掛けた時、試しに一つ聞いてみた。
これの答えによっては、私も気持ちの整理の仕方が変わってくる。

「ねえ、カカシは私のことどう思ってるの?」
「……さあ?」
「さあ、って……」
「俺自身よく分かってないからねえ。そういう特別な感情を持つのは避けてたし。――でも」

「○○の口から他の男の名前が出てくるのは……ま、あまり良い気分はしなかったかな」
「……」
「んじゃ、またあとでね」

これからどうなるかなんて事はまだわからない。
カカシだってあの通りの反応だし、今以上の関係になることはないかもしれない。
けれど、少なくとも今よりも悪くなることはなさそうだと思ったら、さっきまでの不安や寂しさなんてどこかに吹っ飛んでいった。

これからもあの微温湯にどっぷり浸かれる。
それだけで、この先の私の人生は安定しかないように思えた。


20130212

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