彼と彼女の行き先について

彼女は考えた。きっとこれは分かれ道なんだろうと。真田忍び隊にとってのではなく、自分にとっての最大の分かれ道なんだろうと。

背後から聞こえる足音は十数人。それから逃げるこちらはたったの二人。今の状況に至るまでの経緯から、このままでは確実に追い付かれるのが目に見えていた。

だがそれは彼女に限っての事だった。彼女の前を走る真田忍び隊を率いる彼には目立った損傷も体力の消耗もない。いま彼が速度を落として走っているのは、手傷を負った彼女に合わせて走っているからであって、けして彼の限界がみえているからではなかった。

「そろそろ待機してる忍びにかち合える」

彼の言葉に励ましが含まれているのは彼女にも伝わった。けれど今の励ましで彼女の考えは一掃強くなった。それならば尚更彼だけを先に行かせたほうが確実に密書を大将に届けられるだろう、と。

今のペースのままでは自軍の忍びと合流する前に追い付かれてしまう。それでは意味がない。それだけは避けたい。

「佐助、速度を上げていいぞ。御蔭でもう血も止まりかけてる。これなら大丈夫だから」

だから早く行こう。そう彼女が言うと、彼は頭だけ振り返り彼女の腹を見て眉を寄せた。腹から流れる血は彼女の言葉を否定していた。動く度にどくどくと溢れてくる液体は、そこを押さえている手を越えて足を伝い、地面に跡を作っている。

たとえ嘘だとばれても、彼ならその通りに動くだろうと思っての発言だった。与えられた仕事はどんなものだろうと冷徹に熟す彼なら、何を意味しているかなんて直ぐに気づくだろうと。きっと彼も選択肢の一つとして既に考えていただろう。

いつだったか、彼と彼女ともう一人で遠く離れた地へと密書を届けに行った時のこと、彼は傷ついたもう一人を置いて行く決断を易々とした。

「ちょっと待て、彼は――」
「あのさ、お前何か勘違いしてない?俺らの基本でしょうが」
「でも……まだ生きてる」
「だから?」
「……だから、一緒に」
「あっそ。つれて帰りたいなら帰れば?悪いけど俺は先に行かせてもらうよ」

その時の何とも言い難い彼の冷たい視線にゾッとした。普段の彼と役目を与えられスイッチの入った彼は別人のように違った。当時の彼女はそれを怖いと思うと同時に、これが彼なりの忠義の尽くし方なんだろうと尊敬もした。自分には到底出来ない切り替え方だったからだ。

結局彼女はもう一人の仲間に肩を貸して走ったけれど、帰る途中でその仲間は事切れてしまった。そして、追いかけてきた敵に追いつかれ随分と痛い目をみた。結局は彼が仲間を切ったのは正解だったという事だ。彼には仲間がもう死んでしまうとわかっていたんだろう。

今の状況は、あの時と同じだった。彼の目はその時のものと同じで今の自分が彼にとって如何に邪魔な存在かを物語っていた。彼女はそれが耐えられなかった。だからこそ、自分の人生の終わりを選択した。自分にとって大将は雇い主ではあったが、結局は大将への忠義よりも彼への忠義の方が大きかったのだ。

「ほら、はやく」

しっしっと手を振り促すと、予想通りに彼は動いた。疾走感を増した彼は驚くほど速く駆けていき、あっという間に見えなくなった。

「――なんの躊躇もなしか。凄いな」

解ってはいたが、あまりの躊躇のなさにえもいわれぬ感情が込み上げてきた。自分はやはりただの隊の人間の一人で、あの時の死んだ仲間と変わりない存在なのかと思うと悔しかった。今更ながらに彼に何か期待していた自分に気が付いた。

――もしかしたら自分は置いていかないんじゃないか

唯の独り善がりの感情だった。そういった期待をしていた自分が恥ずかしくて、無意識に彼を試していた自分が鬱陶しくて彼女の足は負けじと踏ん張っていたが、次第に進みを緩めると草木の陰に隠れて息を潜めた。そして、追いかけてきているであろう敵へと顔を向けながら、悔しくて泣いた。

まだ死にたくない。彼のあんな目を思い出しながら死ぬなんてしたくない。恐怖心にガチガチと歯が音を鳴らす。ブルッと大きく身体が震え、その震えに合わせて呼吸が震える。
このままじゃ駄目だと判断し、狂いかけた頭を落ち着かせようと一度大きく息を吸ってみた。きっと深呼吸らしい深呼吸になんてなってなかったんだろうけれど、吸った息をすべて吐き出すと不思議と気が抜けた。

それからは歯が勝手に音を鳴らすこともなく、手が震えることもなかった。押さえていた腹から手を離し脈打つ毎にごぷごぷと溢れてくる液体に視線を持っていくけどもう恐怖心が膨れる事はなかった。逆に暖かい感覚に見舞われた。

――これが流れている間は生きていられる

そう思うと自分の命が消えていく証拠にもなる血液が流れる様も綺麗なものにみえた。目の端に映る軽くはみ出した自分の臓物なんてどうでもよかった。

「はっ……はぁっ…」

段々とかすんできた視界に、寒さに、恐怖心ではない生理的な震えが一回大きく起こった。彼女はこれでもう終わりだなと確信した。けれど、不思議な事にまた一回、大きく身体が揺れる。

その揺れの不自然さに眉を寄せて閉じた目を開くと、霞んだ視界の中に颯爽と走っていった彼がぼんやり映っていた。

「は――」
「○○、起きろって!」
「佐助…?」
「よーし、起きた起きた」
「いぁーーっ!!」
「あ、痛かったー?ごめんねー、ちょいと我慢してよ」

そう言いながら彼は彼女の腹に酒をぶちまくとサラシを巻いていった。飛び出かけた臓物を無理に押し込む事はせず、そのまま巻きつけていく。

「お前運がいいねえ、腹に掠っただけで。もしこれが太腿貫通だったら即効でショック死してるぜー?」
「…いまも、しにそうだけ、ど」
「何言ってんのー。太腿はデカイ血管やら何やら集中してっから即効お陀仏。オサラバ〜になってたって。お前はまだ生きてるだろうが。ま、死にそうっちゃー死にそうなんだけどさ」

ハハッと彼が笑う。その笑顔に、彼女はやっと状況が理解出来た。

「戻ってきた」
「ま、近かったから出来たことなんだけど」
「……」
「何?俺様が戻ってこないとでも思った?」
「…うん」
「あ、ひっどいな。そんな事するわけないでしょー」
「だって、前は…」
「――ああ、あれね。あの時はもっと条件が悪かった。今回は直ぐに味方と合流出来たし、何よりお前の怪我もまだ耐えられるもんだったから。それに――」

彼は何かを思い出すかのように左下へと視線を持っていき続きの言葉を詰まらせたが、頭を一掻きしながら続けた。

「すっげー怖くて堪らない癖に俺様を行かせようと一人残る…なんて、意地らしくて可愛いじゃないの。即行で戻ってやんないと男が廃る!…ってね」

にんまりと笑うその顔に、彼女はふっ――と息を漏らした。というよりも、笑おうとしても息しか出せなかった。それを見て流石にこんなことしている場合じゃないと気づいたのか、彼は頭をぐしゃっと撫でて彼女を背負った。そして人一人を背負っていると感じさせない速度で領地目指して駆けてゆく。

背後で金物のぶつかる音が聴こえてきたが、もうそちらへと顔を向けることも出来ない。ただ彼の肩へと頬を寄せて、静かに目を瞑りながら身が切れそうだと感じるほどの冷たい風で髪を靡かせた。

「佐助、ごめん」
「なにが?」
「さっき、あんたのこと、怖いっておもった」
「ああー、いいっていいって。それより一人になってから何思ったか話してよ」
「なんで」
「お前さー、今黙ったらそのまま死にそうだし」
「無茶、言う」
「言うぜー?死んでもらっちゃ困るし」

俺様これでも焦ってんのよ。と彼は笑っていた。確かに仕事中の冷徹さも普段のふざけた態度も今の彼から感じられなかった。貼り付けた笑顔で、自分に当たる木の枝も葉も気にせず一目散に領地内へと向かっているその様は、去り際のあの冷徹な目を帳消しにするくらいの焦り様で、彼女は静かに微笑んだ。

――今なら死んでもいいや



[ 2009/12/13 ]

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