月と土3

「政宗様は賢い人だ」

いつもと変わらない午後のひと時。
一仕事終えた私と小十郎様は川のほとりで疲れた足を冷やしていた。
季節はもう夏間近。風はまだ気持ち良く感じられる温度ではあるけど、日差しはもう夏なんじゃないかと感じるほど痛い。
こうやって足を冷やすだけでなく、もうこのまま川へ全身浸かりたい。そうすれば土埃も何もかも全部落ちて、きっと気持ちいいしさっぱりするだろう。……それに、頭を冷やせば小十郎様もとんちんかんな発言をしなくなるに違いない。

「それ、身内だからそう思うだけなんじゃないですか?」
「そんな事はねえよ。ああ見えて城の書物はすべて読み尽されている。蔵書数はお前が思っているより遥かに多いぞ?それに、南蛮の言葉や文化も積極的に学んでいる」

伊達軍の方々はたまに意味のわからない言葉を使っている。きっとあれが南蛮とやらの言葉なんだろう。
最初あれを聞いた時は、気でも狂っているのかと思ったけれど、それなら納得がいく。……でも、そんな事情を知らない人達は伊達軍は気狂い揃いだと勘違いしているんだろうな、きっと。

「その南蛮の言葉って、例えばどんなものがあるんですか?」
「ん?興味あるのか」

教えて下さい。そう言うと、ふむ、と顎に手を宛がいながら考え込まれてしまった。
空を見ながら、そうだな…と呟く横顔はそれは真剣なもので、普段では滅多にお目に叶わぬもの。今日は良い日になりそうだ。

なんだかんだで小十郎様は容姿がいい。といっても、この場合美男子とかそういう類の意味ではない。彼の容姿を表現するとしたら、きっと“男前”という方が合っている。
頬の傷は女子からすれば怖いし、眉間には常に皺が存在してるから一見怒っているようにも見えるけど、これぞ武将!と言える武骨さ満載な顔が破顔すると案外爽やかで、それでいて極稀に色気を帯びた目つきをする事もある。
確かに美男子と言われるような御方もいいかもしれない。でも、私はどちらかと言えば小十郎様のような男臭い殿方の方が魅力を感じる。こう、つい頼ってしまいたくなるような、そんな要素がある男性の方が好みだ。

――と、自分の好みに気づいてしまった御蔭で、小十郎様に対してちょくちょくこういった現象が起こる。普段あまり見せてくれない笑顔を見た時とか、肩が触れた時とか、今みたいな真剣な顔を見せられた時とか。
自分では顔に出さないように努めているつもりだけど、小十郎様は気づいているかもしれない。こういう時は決まって声が上擦ってしまうし、身体も身構えてしまうから。
こんなんじゃ、いくら顔に出さないようにしていても直ぐに分かってしまうでしょう?もしこれで気づいていないとすれば、彼は豪く鈍感な人だという事になってしまう。
彼はあの政宗公の腹心。気取るのが上手くなければきっと彼の右目は務まらない。……だから、きっと少しは気づいているに違いない。

けれど勘違いはしないでほしい。これは恋愛感情じゃない。
強く優しく、そして自分にはない学があって、農民である私に対して普通に接して下さるから、だからそこに憧れているだけ。たまたま私の好みの人が小十郎様のような人だというだけで、小十郎様自身に恋をしている訳ではない。
――そうであってくれないと、困る。

「そうだな、例えばこの水。これはwaterだ」
「う、おう……?」
「water」

とてもゆっくりと言ってくれているのは解る。けど、その通りに復唱しているのに私の口からは全く違う言葉しか出てこない。

「ぅおぁう」
「違う――」

不意に彼が私の頬に両手を添えた。そしてゆっくりと口を動かし、その通りに動かしてみろ、と告げられた。
その通りに動かしてみろ、って今の私に言ってるの?この状況の私に?無茶振り過ぎる。
触れられているというだけでも恥ずかしいのに、それに加えて小十郎様の視線が私の口元をしっかりと見据えている……なんて、このまま倒れてしまっても可笑しくない状況の私に言っているんですか。
なんて鈍感な人。私は彼の事を買い被っていたみたい。信じられない。

「どうした?」

頬が熱い。呼ばれても小十郎様を直視できない。
かと言って無理に離れることも出来そうにない。動揺して頬に添えられた手をたたき落とす可能性大だ。そんな事をしたら幾ら優しい小十郎様でも目尻をギュっと上げて怒りそう。……というか、恐らく怒る。

「おい、○○?」
「あ、の……」
「ああ?」
「流石に……これは宜しくないと、思い……ます」

今まで経験した事ない高鳴る胸。いつ喉から心臓が飛び出してくるかわからない状況でたどたどしくそう言うと、やっと私の言いたい事に気付いたのか頬の添えられた手が離された。
まるで金縛りにでも遇ったかのように固まっていた身体がやっと解放された。これで緊張ともおさらば、一件落着!……という事にはならず、予想とは反して緊張感は更に増えた。胸の高鳴りも落ち着く気配がなく、飛び出してこないように……と自然と胸を手で押さえていた。

「――なんだ、意外と女らしいじゃねえか」
「意外とって……失礼です。確かにいつも土塗れだし可愛げだってないですが、私だって……一応女です」
「おいおい、そんなに卑下するな。冗談だ、許せ」

彼には俯いている私が怒っている様にでも見えたのか、若干責任を感じた様子で私の肩を叩く。でもそれは彼の勘違いで、私はただ落ち着かない頬の熱を見られたくなくて俯いていただけ。

「そうだな。お前も年頃の娘か」
「……年寄り臭いですよ、それ」
「否定は出来ねえな。実際、俺はお前よりも随分上だ」
「え?小十郎様ってそんなに御年を召されているんですか?そうは見えないけど」

どこをどう見てもそんな風には見えない。そりゃあ趣味は年寄り臭いけれど……。

「……お前今、相当年寄りなんじゃねえかって考えただろ?」
「い、いえいえ。そーんな事ありませんよ」
「ほお――……まあ、そうやってお前が頬を赤くさせてくれるような歳じゃねえって事だ」

年齢の事に驚いて俯いて隠していた顔を上げていた。自分の顔がどんな状況なのかも忘れて。
指摘されて更に赤くなってしまった頬を隠すように両手を宛がったけど、隣の彼はくっくっ、と低く喉を鳴らしていた。いっその事豪快に笑ってくれればまだマシなのに、彼は“良いものを見た”と嬉しげに優しく笑うもんだから、こっちは恥ずかしくて堪らない。

「もうっ、酷い」
「悪かった。ほら、これをやるから機嫌を直せ」

そう言って懐から取り出したのは小さな巾着で、その中から出てきたのは小さな小さな塊だった。
初めて見るそれがなんなのか私にはさっぱり分からず、ただただ首を傾げていると、食べてみろ、と促された。そこで初めてそれが食べ物だと知る。

「政宗様から頂いたんだか、○○に全部やろう」
「え、――ええ!?いいんですか、そんな大層なものを頂いて」
「なんだ、いらねえのか?」
「いえ、欲しいです!……でも、いいんでしょうか?」
「いいんだ。やろうって言ってる物は素直に受け取っとけ」
「……はいっ!ありがとうございます」

手渡された小さな塊はとても良い香りがした。暫くそれを観察して口にそれを放り投げると、途端に甘い香りと味が鼻を抜けた。
それは今まで味わったことのないもので、世の中にはこんな美味しいものがあるのだとある意味衝撃を受けた。農民には絶対に味わえないこの味。自然と頬の筋肉も緩んでしまう。

「美味いだろう」
「物凄く。こんなものが世の中に存在してるんですね」
「それは金平糖と言ってな、疲れた時に食べるといい」
「ええ、大事に食べますね。本当にありがとうございます」

金平糖。覚えておこう。
そう思いながら握りしめた巾着。大層綺麗な刺繍のされたもので、またそれがこの金平糖の価値の高さを物語っていた。これは金平糖だけでなく、この巾着自体も私なんかが持っていて良い物じゃない。
やけに女物臭の漂うその巾着を気にしていると、隣から“今日は思っていたよりも多くのものを得た”という声が聞こえた。
なんだ?と顔を向けると、そこには本当に満足そうな顔で微笑む小十郎様がいて、何をそんなに嬉しそうにしているのかが分からない私は首を傾げるばかり。
けど、その顔は今まで見たどの笑顔よりも彼の素顔らしい表情で。
僅かに紅潮し始めた頬と緩む口元を金平糖の所為にして、今日は自分を抑える事無く素の彼を堪能した。



2010.09.08

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