月と土

「小十郎様は変な人ですねえ」
「変?――どこがだ」

城の重鎮が毎日わざわざ城下に降りてきて農作業するのは変だ。しかもこうやって農民と肩を並べて白湯を飲むなんて、変過ぎる。

私は他の領土がどんな暮らしなのか知らない。けれど、侍ってのがどんなものかは大体分かる。

本来なら侍が畑仕事をするなんて事はありえない。そんなもの農民に任せておけばいい事だ、とか言って、感謝も何もせずに農民が作った米や野菜を食べる。それが普通だと思ってた。


けど、私の隣で静かに薄い白湯を啜る彼は違う。

いきなり訪ねてきたかと思えば、少しだけ場所を貸してくれないかと言ってきて、そこで野菜を育て始めた。

始めはただの興味本位だろうなんて思っていたけれど、そんなことはなかった。彼は恥ずかしげもなく野菜の育て方を私達に訊ね、そして根気強く作物を愛で始めた。

毎朝必ず城下に降りてきて、一通り作業をこなし、そしてまた城へ戻り雑務をこなし、そして昼にはまた畑へ降りてきて一通り作業し、そして私達と共に休憩をする。こんな人を変と言わずにいられるか。

「畑仕事は趣味だとしても、普通、小十郎様のような身分の方は、農民と肩を並べて白湯を飲んだりしないでしょう」
「まあ、そうかもしれねえな」
「だから変だって言うんです」

ずずっ、と啜る音をさせると、彼は小さく笑った。

「そういうお前だって変だろう」
「何がですか?」
「俺に対して、変だときっぱり言うじゃないか」

確かに。

今の私の態度は、斬って下さいと言っているようなものだ。

「政宗様に知れたら斬首ものですかね」
「阿呆。あのお方がそんな事するわけがないだろう」

あのお方はそんな馬鹿げた事しやしねえよ。と低く喉を鳴らして笑った。

政宗様は一度だけここに来たことがある。来た、というか、無理矢理小十郎様が引っ張ってきて、野菜を育てるというのは如何に大変かという説法を永遠と行った。その間、私は地べたに座り、そしてこれでもかというほど頭を地面にこすりつけた状態のままだ。長時間あの体制ってのはきつかった…。

……きつかったのはきつかったけど、政宗様は最後まできちんと訊き、そして帰り際に私に向かって「お前ん所の野菜は美味い。頭下げる暇があったら野菜を育てろ」と声を掛けていった。あれには驚いた。だって仮にも城主なのに、私のような百姓に声を掛けるなんて、そんなのあっていい事じゃない。そりゃあ小十郎様とこうやって話をする事だってあっていい事じゃないんだけど彼は特殊というかなんというか……。

あの時の事を考えると、今言ったことは嘘ではないんだろう。私は良い城主の下で暮らしているらしい。年貢は軽い方だと思うし、ここの長は、なんでもかんでも自分の思う通りじゃないと済まない、という傲慢な性格ではなさそうだ。まあそんな性格の主人だったら、小十郎様がここに居る訳もないか。

「ここは常に静かで良い」
「はあ……そりゃあ市や庄屋がある通りから離れてますし」
「城下町もそうだが、城の中も結構騒がしいもんだぞ?なんせ血気盛んな若い野郎達がウロウロしているからな。落ち着けるのは寝る頃だけだ」
「へえ、楽しそうですねえ」
「そりゃあ退屈はしねえ。けどな、どうも最近それが煩わしく感じてならねえ。ここの静けさが心地良い」

随分と贅沢な人だ。

毎日毎日、一人で畑仕事をして寝るだけの生活を送っている私からしてみたら、本当に贅沢に感じた。

私は着る物だって汚いし、簪なんて一度も差したことがない。食事だって芋と少量の米だけだし、字だって読めない。

でも彼は逆で、綺麗な着物を着て、食べたことのないような物を食べ、読み書きも出来る。

そんな良い環境にいながら、私の暮らすこの粗末な環境が居心地がいいなんて、そんなの唯の無い物強請りじゃないか。

「私は、小十郎様のような生活に憧れます」
「……そんなにいいもんじゃないぞ」
「なんで?良い着物着られて、美味しいご飯を毎日食べられて、周りにはいつも誰かが居て――」
「重要なものはしていただけるからまだいいが、他の雑務は全て俺任せ。お蔭で今も山のような責務が俺を待っている。それに、そろそろ世継ぎの事も考えなけりゃならねえってのに、肝心の君主はそんなことより戦いの方が面白いと言って訊きゃしねえ……こんな苦悩だらけの生活が楽しい訳がないだろう」
「……ご苦労様です」

そうか。政宗様はやっぱり我が儘なのか。……いや、聞く限り、我が儘というよりも子供、と表現した方がいいのだろうか。人がよさそうには見えたけれど、やっぱり城主は城主か。

まあ身分に関係無く人に接する事が出来るという部分では尊敬出来る人なんだろうけど……変わり者だと訊くし、色々と大変そうだ。

でも、例えそんな苦労があったとしても、やっぱり城での生活は憧れる。

両親は早くに他界したし、育ててくれた祖母も数年前に他界した。周りには畑ばかりで家なんて殆どないから、人と会話することも少ない。だから、誰かしらが居る生活というものに憧れる。

ここの生活は、女一人では寂しいし怖い。けど、城で生活していればそんな気分になることなんてないでしょう?


ずずっ、と白湯を啜りながら、ぼうっとそんな夢物語を想像していると、ふと視線を感じて小十郎様の方へ視線だけをやった。すると、そこにはいつもとは違う侍の顔をした彼が私を凝視していた。

元から厳つい顔だけど、今そこにある顔はそれに真剣さが混ざったものだ。……若干怖い。

ほんの少しでこれなのだから、戦中に彼と対峙する人はもっと怖い思いをするんだろうな。私がその相手だったら、即刻白旗上げて命乞いをするわ。


暫く見つめ合った。

けれど、彼は私に目を向けてはいるけど私を見ていない。何故かと言うと、私が視線をずらしても彼の視線は微動だもしなかったからだ。どうやら頭の中で難しい何かを考えている様子。

正直、こんな怖い顔に見つめられるのは居心地悪いし、今すぐにでも眼前で手を叩いて彼を思考から覚ましてやりたかった。でもそんな事してみろ。叩いたと同時に、驚いた彼に殴られてしまいそうだ。

それもそれで勘弁願いたいので、仕方なくそのまま見つめ合っていたけれど、私の方が先に飽きて視線を外した。そして白湯を啜りながら待っていると、漸く隣から「……無理だな」と自分に諦めを付けさせるような低い声が上がった。

「お前が城で働くのを想像してみたが、それは駄目だ。気持ちはわからんでもないが、俺が困る」

まさか、さっきの間はそれを考えていたんだろうか?あんな怖い顔で?

あれは戯言だし、叶うとも思っていないからいいのに。……そんなに真剣に考えてくれなくてもいいのに。

もしかしたら、私が寂しい思いをしていると気付いているんだろうか?……それはない。確かに彼は毎日ここに来るけど、それは畑の為であって私の為じゃない。今の発言からしてもそう取れる。


けれど、あんなたわいもない戯言一つで真剣に考えてくれたのが嬉しかった。厳つい顔をしながら、少しでも私が城で暮らした場合を考えてくれたというなら……それだけでも幸せだ。

だって、城に奉公に行っているんだから、今よりも小綺麗な格好をした私が彼の想像の中に居たということでしょう?現状では絶対に見せる事の出来ない姿を想像してくれたという事でしょう?

百姓とはいえど、私だって女だから綺麗な姿になりたい。地味でもいい。土埃のついていない綺麗な着物を着て、髪だって綺麗に結って、それなりに整った姿で小十郎様とお話がしたい。……いや、これは小十郎様に対して好意を持っているからではなくて、女としての意地というかなんいうか……。
とにかく、例え想像の中だけだとしても、そんな姿になれたのなら……それで満足だ。

「そうですね。もしそうなったら、小十郎様が戦に出られたときに代わりに畑を見る人間が居なくなりますし」
「ああ?……ああ、まあそれもそうだが……」
「?」

他意のありそうな言葉に首を傾げて続きを待った。

けど、彼は一息間を置くと自嘲気味にフッ――と笑い、私の頭を撫でた。

「いや、なんでもない。気にするな」

嫌だな。

急に女扱いなんてするから、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ胸が疼いたじゃないか。

これまで、そんなに思った事はなかったけれど、

少しだけ。

ほんの少しだけ、百姓出の自分が憎い。



[2009/05/20]

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