今日は洗濯物がよく乾きそうだなあ。

 雲ひとつない空はまさに快晴という言葉が相応しい。
 フィアは天気の良さに気分を良くして、鼻歌を歌いながら物干し竿に洗濯物を干していく。
 色とりどりの洗濯物が風に吹かれてなびいている様子はわりと壮観で見ていて気持ちがいい。
 爽快な気分でいくつかの洗濯物を干し終え、緑色のかかったシャツを籠から取り出したところで、その鮮やかな緑にとある少年のことを思い出した。
 森からやってきたという妖精を連れた少年。年が近かったおかげか、少年がふらりとこの村に立ち寄ったときにちょっとしたきっかけ――脱走したコッコを一緒に捕まえたり――で仲良くなった。
 それ以来、この村に立ち寄るたびに会いに来てくれていたのだが、ここ最近めっきり見かけなくなってしまった。
 今頃どうしているかなあ。
 調子外れの鼻歌交じりに緑色のシャツを干しながら思いを馳せていると、すっと背後から小さな人影が伸びて、フィアの身体を黒い影が覆った。
「ははっ、相変わらずへたくそな鼻歌だなあ」
 その笑いを含んだ声に、フィアはむっとして反射的に振り返った。
「へたくそで悪かったわねえ!」頬を膨らませて人の鼻歌を扱き下ろした声の主を睨み付けたが、相手が誰なのかを知ると目を丸くした。「って、あれ? リンクじゃない! 久しぶり!」
 噂をすれば影とはよく言ったものである。
「うん……久しぶり」
 フィアがぱっと顔を明るくして肩を叩くと、何故か先ほどのからかうような笑い声とは打って変わって、見ていて胸がずきりと痛むような顔でリンクが微笑んだ。
 その妙に大人びて切ない表情にフィアは戸惑う。
「……何かあったの……?」
「ないよ。何も……」
「そう言うわりに、顔、すっごく暗いんだけど……。嫌なことでもあったの?」
 いつもの――少なくともフィアの前では――元気で明るいリンクとはかけ離れている様子に心配げに顔を覗き込むが、リンクは何も答えない。
 無言のまま何かを堪えるかのように唇を噛み締めたかと思うと、いきなりフィアの身体をぎゅっと抱きしめた。
「ひゃっ」予想外の行動に短く悲鳴を上げる。抱きしめるというよりはまるで縋りつくような力強さに顔を顰める。フィアはほんの少しだけ高い位置にあるリンクの肩口に顔を埋めながら、おずおずと尋ねた。「ど、どうしたの……?」
「……俺、ずっとここにいたい」
 消え入るような声だった。
「でも"勇者の使命"とかいうのがあるんじゃなかったっけ?」
 出会ったばかりの頃、村に立ち寄ってはいつもバタバタと忙しく旅立っていくリンクに、何故旅をしているのと聞いたときに笑いながら冗談交じりに勇者の使命があるからと言われたのをフィアは覚えていた。茶化すような口調だったのでそのときは何よそれ、と思ったものだが、その眼差しがどこまでも真剣だったのを後から思い出し、本当なんだ、とひとり納得したものだった。
「うん。でも、俺……もう嫌だ……」
「リンク……」
「寂しい。とっても寂しいんだ……」
 抱きしめられているせいで顔は見えないが、震えている声にもしかして泣いているのかもしれないとフィアは思った。何とかして元気付けなければ、と必死になって考える。
「……じゃあ帰る場所を作るっていうのはどう?」言ってから、自分でも名案な気がしてフィアは顔を綻ばせた。「私、ここでリンクを待っててあげる。だからここをリンクの帰る場所にしてよ! ずっとずっと待ってるから。待っている人がいたら、ひとりじゃないって気がして、寂しくないでしょ」
「……そうだね」
 リンクが耳元でふっと笑うのが分かって、フィアはほっと胸を撫で下ろした。
 縋りつくようだった抱きしめる力も弱まって、きっと安心してくれたんだと幼い心は無邪気に喜ぶ。
 大丈夫だよ。そう教えるようにフィアもリンクの背中に腕を回し、そっと抱きしめ返して、その温もりに身を任せて目を閉じた。

 だからフィアは気付かなかった。

 リンクが今にも泣き出しそうな顔をして、笑ったことに。



 腕の中にあるフィアの温もりに、リンクは目の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じた。
 この温もりは、こんなにも小さかったんだ。
 大人になった身体を経験したリンクには、この温もりが脆く儚いもののように思えた。

 フィアはリンクにとっては初恋の、大切な女の子だった。
 旅の途中に村に立ち寄れば、いつも朗らかな笑顔で出迎えてくれる、荒みそうになる心をほっと癒してくれる。
 そんなフィアが大好きだった。

 でも。

 ずっと待っていてくると言うフィアは、7年後にはもういない。
 待ってくれる人なんてもういない。
 そんな真実を、リンクは知ってしまった。

 7年後の世界、気付けば大人になっていた自分の身体。時の流れにひとり残されたことに戸惑いながら、それでも旅を続けた。
 魔物との戦いに明け暮れる中、疲弊していく心。どうしても会いたくなって彼女の村へと向かい、そこにあったのは――。

『フィアなら数年前に亡くなったよ』
『魔物から小さい子供を庇ったんだ』

 まだ少し新しい墓石の下に彼女が眠っているだなんて、信じられなかった。
 リンクにしてみれば7年の歳月は一瞬のことだったのに。その僅かな間に彼女の命が失われているなんて。
 自分の感覚と周囲の時の流れの差異も、何とか自分なりに納得したつもりでいたのに、リンクはそれを知った瞬間、足元ががらりと崩れるような感覚に陥った。
 途方もない孤独感と絶望に打ちひしがれる中、子供の時代に戻れることを思い出して、ここまでやってきたのだ。

 過去の世界に、フィアはいた。
 いつものように調子外れの鼻歌を楽しそうに歌いながら。

 それを見た瞬間、リンクはもう未来になんて行きたくないと心の底から思ってしまった。

 ずっと過去の世界にいたい。
 フィアがいる、この時代に。

 そう思っても、世界を救うために未来へと戻らざるを得ない自分をリンクは知っている。世界の命運を彼女ひとりの命のためだけに投げ出すことは出来ないのだ。

 だからせめて、今だけは。

 この腕の温もりを忘れないように、彼女を抱きしめていたい。



 祈るように、リンクもそっと目を閉じた。



12/01/25


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