気がつくと、わたしは一人で見慣れた山道に立っていた。辺りは夕焼けに染まっている。

「あれ…?」

ここは、高専の正門に続く山道だ。すぐそこに見慣れた正門が建っているけど、人の気配はない。
突然高専が襲われて、マヒトに会って、どこかに連れて行かれて……それから、どうしてここにいるんだっけ。
状況がまったく飲み込めない。ひとまず右手に握っていたスマホを見ると、団体戦の日から日付は変わっていなかった。

「ぁ…」

見たことがない数の着信履歴とメッセージが残っている。
履歴を開くと、ゴジョーの名前がたくさん…ユウジやメグミ、ノバラ、マキ、知らない番号がずらり。
次に周囲を見回すと、カーブミラーに映った自分の姿が視界に入った。

「………わたし…」

意識が戻る前に聞いた話だけは、はっきりと覚えている。誰から聞いたのかも、誰と会っていたかも、どこにいたのかも、思い出せないけど。
…ここにいるわたしは一体、誰なんだろう。いや、誰、とも呼べないものかもしれない。

「…どうしよう」

ゴジョーの名前が並んだ履歴画面をそっと撫でる。
ゴジョーに、連絡をしていいのかわからない。
どんな顔をして、何を話せばいいんだろう。そもそも今のわたしは、ゴジョーのもとに帰っていいんだろうか。
…わたしは、帰りたいんだろうか。

「…!」

帰りたいにきまってる。
帰りたくないなんて、そんなこと思うわけない。まだ動揺してるだけだ。
ぶんぶんと頭を振ってドキドキとうるさい胸を抑えて、冷静になろうと息を整える。

―――、

『悟が大事なのも好きなのも、きみじゃない』
『だってきみは、なまえじゃないんだから』

「……っ!ち、ちがう…!」

わたしの意思に反して、突然頭の中に聞こえてきた知らない男の人の声。
聞きたくない、止めて、両手で耳をふさいで、ぎゅっと頭を抱えてその場にしゃがみ込む。
でも、いくら身体を小さくしても意地悪な言葉は頭の中から消えてくれない。
そんなことない、ゴジョーはわたしに大切だって言ってくれた。たくさん優しくしてくれた。わたしのこと、一番大事にしてくれた。
暗闇に引きずり込もうとする声を振り払うように、一生懸命ゴジョーのことを思い出そうとぎゅっと目を閉じる。

ゴジョーはわたしのこと、好きじゃなかった?にせものなんて、いらない?
ぽたり、とアスファルトに大粒の水滴が零れ落ちた。

「………ご、じょ……」
「……、…!……なまえ!!!!」

助けを求めて無意識に漏れた声に答えるように、背後から、大きな足音と一緒に名前を呼ぶ声が聞こえた。
顔を上げて振り返ると、目に映ったのは、息を切らして走ってくるゴジョーの姿。
道端にしゃがみこんでいる私に駆け寄って、硬い地面に膝をついた。
荒々しい動作にズルズルと目隠しがずり落ちて、ぱさりと前髪が降り、透き通った海みたいに綺麗な青色がわたしを覗く。

「なまえ…!どこにいたの?!怪我は!?どこか苦しい!?誰かに、何かされた…!?急に気配が戻ったと思ったら、どうしてこんなところに…っ、」
「ごじょー…」
「怪我はないみたいだけど…おかしなところは?どうして泣いてるの?……っなんですぐに、連絡返さなかったかな…」

なぜだか泣きそうな顔をしてわたしの両肩を掴み、怪我はないかと手取り足取り確認しながらひたすら私に言葉をかける。
いつもは飄々としているゴジョーの余裕が無さそうな姿はなんだか新鮮で、思わず目を丸くしてしまった。
そして同時に、たった数時間ぶりなのにとても懐かしい感覚にホッとして、また、自然と目から暖かいものが流れてくる。

「なまえ!?やっぱりどこか痛い?!早く硝子のところに、」
「ち…ちが……」
「変なところがあったら僕に全部教えて。隠さないで、」
「ご、ごじょ、ちが………ふふっ…」
「……なまえ?…なに笑ってるの?」
「……っ…やっぱりゴジョーのこと、好きだなって…」

ポタポタ零れてくる涙に構わずゴジョーの両手を握って見つめれば、今度はゴジョーが目を丸くしたあと、むっとした顔でわたしを見た。

「……僕が、どんな気持ちで…」
「うん…ごめんなさい」
「……僕から離れないでって、言ったよね」
「うん…」
「……これでも僕、怒ってるんだよ。何があったか、全部話して」

掴まれた手首が、ぎり、と少し軋んだ。
私の言葉なのか記憶にない男の声なのかわからないけれど、どこから話そうか、なんて言葉が頭に浮かぶ。

「………ゴジョーの、昔の話を聞いたの」
「…え……?」
「なまえっていう人のことも、聞いた」
「…誰、に、」
「…わたしがこうなったのは、全部、ゴジョーが望んだことなんだよね」
「…………」

すぅっと、ゴジョーの体温が引いていく。
掴まれていた手首は力なく離され、ゴジョーは黙って少しだけ、わたしから離れた。
まるでおばけでも見たような顔をしてる。

「なまえ、どこまで知って……」
「…聞いたとき、すごく、悲しかった。…ゴジョーは…わたしのこと、見てはいなかったんだよね。……わたしは、代わりだから…」

わたしが全部知っていることを察したのか、ゴジョーの顔が苦しそうに歪む。
…聞いた話は、全部本当なんだ。少しだけ、嘘だったらいいのにって思ってたけど。
でも、ちがうよゴジョー。わたしはゴジョーに、そんな顔をさせたいんじゃない。

「……でも、ゴジョーの願いが叶ったならそれでいいやって思ったの」
「え…」
「最初はびっくりしたよ。…でもゴジョーはわたしのこと、本当に大事にしてくれた。今だってたくさん心配して、わたしのこと、見つけてくれた」
「それは、」
「わかってるよ。ゴジョーが大事なのは、なまえさん」

わたしじゃない。
そう付け足すと、また、ゴジョーが傷ついたような顔をする。
ゴジョーらしくない。こうさせているのも、わたしじゃなくて、なまえさん。
そのことだけが、やっぱりまだ少しだけ寂しく感じられた。

「なまえさんの代わりでもよかったの。そうだとしても、わたしはゴジョーにいっぱい大切にしてもらったと思ってるから。それで幸せ」

心の底から思った、素直な気持ちだった。
ゴジョーと一緒にいた記憶は全部、わたしにはもったいないくらい心地の良いもので。ゴジョーと過ごした時間は全部ぜんぶ本当で、大事な宝物だから。
少なくともわたしには、もらったものを嘘になんてできなかった。

「………でも、ゴジョーは?ゴジョーは、”代わり”でよかった?わたしと一緒にいて、苦しくなかった?」

一番知りたくて、一番聞くのが怖かった。
それでも両手を握り締めて絞り出すように尋ねると、ゴジョーは弾かれたようにわたしを見て、大きく首を振って声を荒げた。

「……苦しかったわけ、ない…!」

ゴジョーは、今まで聞いたことのない、苦しそうな、震えた声で話し始める。

「苦しいことなんてひとつもなかった。僕はきみが思ってるほど高尚な奴じゃない…自分勝手なただの人間だ。僕はなまえが……きみが現れたとき…夢みたいだと思った。きみといられて、また守ることが許されて……本当に、ただひたすら、幸せだった。…ただきみと、これからもずっと一緒にいられれば、僕は…それで…、」
「……そっか…。ふふ、よかった」

これまで過ごした時間を、ゴジョーも同じように幸せだと思ってくれていたことが嬉しい。
思わず頬を緩めたわたしとは反対に、それを見たゴジョーは眉をひそめて詰め寄ってきた。

「…何、言ってんの…何も良くないでしょ。きみは利用されたんだ、命を弄ぶようなことをされたんだよ。…僕のこと、軽蔑してよ……罵れよ…!」
「大好きなゴジョーも幸せだったなら、怒ることなんてないよ」
「だから、きみが僕を好きなのは、」
「縛りのせいでも、優しくされたからでもない!…だってわたしは、名前をもらう前から…ひと目見たときから、ゴジョーのことが好きだから」
「……っ、」
「全部を知った今でも、わたしは、ゴジョーのこと、嫌いになんてなれないよ…」

わたしが思いを伝えるほど、ゴジョーが苦しそうな顔をする。
その理由も、どうすれば笑ってもらえるのかもわからなくて、まるで迷子にでもなったような気持ちだった。

「…わたし……ゴジョーのこと、好きでいちゃだめ…?」
「…………なまえは、ばかだよ…」
「ゴジョー…?」
「僕のこと、好きすぎるでしょ……育て方、間違えたかなぁ…」

力なく、まるで子どもみたいにくしゃりと笑ったゴジョーの綺麗な瞳から、キラリと一粒の宝石が落ちた。
思わずそっと手を伸ばせば、わたしの人差し指にじゅわりと溶けて消える。

……ゴジョーも、泣くんだ。
びっくりして、気付くとわたしの涙は引っ込んでいた。

どちらからともなく、お互いの手をのばして、ぎゅっと抱き合う。いつもと同じ、大好きなゴジョーの香り。肩口に顔を埋めて、目を閉じた。

「……ゴジョー、これからもまた、一緒にいてもいい?」
「…もちろんだよ。寧ろ僕からも、お願いしたいな」
「ゴジョー、だいすき」
「……僕も。なまえ、大好きだよ」
「…ぇ……」

ゴジョーが、初めて、好きって言ってくれた。

せっかく止まっていた涙が、またじわりとにじむ。
固まってしまったわたしを見て 小さく笑ったゴジョーは、ただただ優しく、わたしの背中をぽん、ぽん、とゆっくりと撫でる。
やっと言えた、と、殊更消えそうな声が、私の耳にはいつまでも残っていた。


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