※単行本バレあり
※死ネタ・ご都合術式設定あります。



『なまえは、いつ僕のこと好きになってくれたの?』
『わたしのこと拾ってくれたときから、ずっとだよ』
『それは光栄だね』
『ゴジョーは、どうしてわたしを拾ってくれたの?』
『んー…一目惚れ、かな』
『…相手は猫なのに?』
『うん』

これは、人間になってすぐの頃の記憶。
生まれたばかりだったから捨てられる前の記憶はないけれど、ゴジョーに拾われた日のことはよく覚えている。
わたしに世界をくれた人。ゴジョーは、わたしの神様だから。


『なまえはなんで五条先生のことが好きなのよ?』
『え、なんでって…なにが?』
『私はアイツのことよく分かってないから、何が良いのか分かんないわ』
『んー…なんで……ゴジョーだから、好き』
『……動物の本能ってやつかしら』

これは、ノバラと”女子会”をしたときの記憶。
好きには理由が必要なんだってびっくりした。だってわたしは、無条件でゴジョーのことが大好きだ。
あれからどんなに考えても、好きの理由は見つかっていない。



どちらも幸せな記憶。
ふふ、と、笑った自分の声で意識が浮上した。
ぱちりと目を開けると、目の前にはトリコロール柄のビーチパラソル。その向こう側には眩しいくらいの青空。
慌てて身体を起こした私の目の前には、キラキラ光る青が一面に広がっていた。

「……うみ…!」

海だ。生まれて初めて本物の海を見た。
ザザ、ザザ、と波の音がする。画面で見るより綺麗で思わず見惚れてしまったけれど、すぐさま頭を振って思考を戻した。
…なんでわたし、こんなところで寝てたんだっけ?きょろきょろ辺りを見回していると、真後ろから穏やかな心地の良い声が響いた。

「お目覚めかな?お姫様」
「わっ……、…だれ?」

びっくりして振り返ると、海には似つかわしくない、和服を着て額に傷のある黒髪の男の人がわたしを見下ろしていた。
驚いたわたしを見て、クスクスと笑う。

「…今のなまえとは、初めましてだね」
「……?」
「真人が連れてきた時はびっくりしたよ」
「あ……」

徐々に記憶が整理されていく。
…わたし、高専でマヒトに不意をつかれて気を失ったんだ。
そのマヒトはここにはいなくて、わたしとこの男の人の他には、誰もいないみたいだった。
それよりも、”今の”というのは、どういう意味だろう。

「あなた、誰?」
「そうだな…私のことは、傑と呼んでほしいかな。昔みたいに」
「スグル…わたしとは、初めましてじゃないの?」
「…なまえは、そんな粗末なことを聞きに来たわけじゃないだろう?」

鋭い目がわたしをじっと見つめる。
全部を見透かされているような漆黒の瞳が、少し怖い。
まるで蛇にでも睨まれたみたいに、指先一つ動かせなくなる。ザザ、と後ろで響く波の音が場違いだった。

「…スグルは、ゴジョーが隠してること、知ってる…?」
「あぁ、知っているよ」
「教えてくれるの?」

なんとなく分かっている。きっとタダでは教えてもらえない。そしてきっと、今のわたしはスグルには勝てない。
ふと宿儺が残した傷口に視線を落としたけれど、残穢は何かに上書きされていた。…わたしが気を失っていた間に、スグルが何かしたんだろうか。

「上下関係を理解しているのはさすが動物…といったところかな。…私も教えてあげたいんだけどね、ひとつ縛りをかけさせてもらいたいんだ」
「縛り?」

そう、と言ってスグルは座り込んでいるわたしの前に腰を落として目線を合わせると、額にトン、と人差し指を突き立ててきた。

「私は高専関係者に見つかるわけにはいかないんだ。だから、きみには僕のことは忘れてもらう」
「えっ…」
「大丈夫、今から教えることは覚えていられるから」
「…………スグルは、悪い人なの?」

正直、もっと無理難題を突きつけられる覚悟をしていた。
最悪の場合死ぬとか、一生帰れないとか。スグルに命を握られている感覚だったんだけど。
それに、高専の人に見つかりたくないなんて、スグルは一体何者なんだろう。
思わず尋ねたわたしの質問に、スグルは楽しそうに笑いながら首を傾げる。

「さぁ、どうだろうね」
「…縛りってそれだけ?スグルを忘れたら、ゴジョーのところに帰ってもいいの?」
「なまえが帰りたいと思うなら、帰ればいいさ」

まるでわたしが帰りたくなくなるとでも言いたげな、何か引っかかるような言い方にムッとして思わずスグルを見つめたけれど、真っ黒な瞳にはわたしが映っているだけで、微動だにもしなかった。
だってわたしがゴジョーのところに帰りたくなくなるなんて、そんなことあるわけない。

「…わかった。条件をのむから、教えてほしい」
「ふふ、いいよ」

どこから話そうか。そう言ってスグルは、そのいやに心地いい音色で、わたしに昔話を始めた。


◆◆


なまえが、高専から消えた。
そして僕は今、宿儺の指が保管されていたはずの場所に立っている。

「…なんでこんなところに…なまえの残穢が残ってるのかな」
「もう一つは、恐らく以前七海と虎杖が遭遇した特級呪霊の残穢だ」
「夜蛾学長、さっき拘束したあの呪詛師に会わせてくれない?」
「……悟、一旦落ち着け」
「落ち着けなんて面白いこと言うね。笑えないんだけど」

なまえが部屋を出てすぐ、特級呪霊が現れた。
その時から嫌な予感がしていた。その予感が外れることだけを願って、僕は目の前の呪霊を祓っていった。
でも、全てを片付け終えたとき、高専のどこにもなまえの姿はなく、残っていたのは微かな残穢だけ。
僕は、なまえの異常なまでに高い索敵を見くびっていた。『僕から離れないで』と言った僕の言葉を守ってくれるだろうと、自惚れていた。

「……くそ…」
「悟!どこに行くんだ」
「なまえを探しに行く」
「っ待て、闇雲に探したところで、
「何かあってからじゃ遅いんだよ!」

学長の言いたいことも分かる。それでも。堪らずドン、と壁を殴る。
最悪の想像と最悪の記憶が脳内に交互に映し出されて、気分はこの上ないほど最悪だ。

「……悟」
「…なに」
「あの子は、なまえじゃない」
「………」
「このままじゃあの子が可哀想だろう」
「………うるさいよ」

久しぶりに入った結界の奥。変な造りの古びた建物の中。あの頃を思い出して、吐き気がする。



―――なまえは、僕の大事なだいじな、唯一無二の女の子だった。

僕、傑、硝子。
曲者が揃うなか、なまえはいつも元気で明るくて優しい、普通の女の子だった。だからこそ僕たちみんな、なまえと一緒にいる空間が心地よくて、よく取り合ってったっけ。
術師としての才能に恵まれ、仲間思いで優しくてちょっと抜けてて、表情豊かで可愛いなまえ。
けれどそんななまえを、呪術師界隈の上層部は異常なまでに忌み嫌っていた。

なまえが、猫又の器だったから。

なまえの家系は代々、直系の長女が器となる一族だった。
生存期間中に呪物が見つかれば取り込ませ、殺される。呪物を処分するためだけに生まれてきた一族。
言ってしまえばなまえは、この世に生まれた瞬間から秘匿死刑が決まった身だった。
生まれた瞬間から相伝だ天才だと祝福されてきた僕と、生まれた瞬間から呪いとして扱われてきたなまえ。
相反するはずの僕たちは、気付くと同級生としての仲を超えて、お互いがかけがえのない存在になっていた。…どちらかというと、擦れていた僕をなまえが受け入れてくれていた気がするけれど。

『猫又ってね、尻尾が2本しかないの。あと1本見つかったら、わたし、それを取り込んで死ぬんだ』
『は…?』
『宿儺って知ってる?呪物になってる指が20本もあるんだって!猫又の尻尾も20本あれば、もう少し長生きできそうなのになー。いいなぁ』
『いや…まだ見つかるって決まったわけじゃないだろ…?』
『…うん。でもね、こうしてる間も、尻尾のせいで悪いことがたくさん起きてるんだよ』

早く見つかると良いよね。
そう言ったなまえはひどく泣きそうな顔をしていたから、気が付くと僕は、初めてなまえの小さな体を抱きしめていた。

『わ。…五条?』
『……そんな顔すんな』
『ぇ……』
『俺はなまえに…俺と一緒に、生きてほしい。俺がどうにかするから、なまえを守るから、』
『………、』
『だから、生きたいって言えよ…!』

まだ幼かった僕は、無責任に思いの丈だけをぶつけた。なまえはなんて思ったのかな。
その日僕たちは二人してわんわん声をあげて泣いて、そのまま泣き疲れて、抱き合ったまま眠った。あんなに泣いたのは最初で最後だったから、よく覚えてる。

そしてその翌日、僕と傑は、星漿体の護衛及び抹殺の任務を言い渡された。

『五条、気をつけてね!』
『バーカ、誰に言ってんだよ』
『ふふ、そうだね。でも、傑を困らせちゃだめだよ』
『………なまえ』
『ん?なぁに』
『…帰ってきたら、ちゃんと伝えたいことがある。だから、待ってろ』
『…ん。行ってらっしゃい』

これが、なまえとの最後の記憶。僕がなまえに想いを伝えることは、もう、一生叶わない。
このときなまえは、近いうちに呪物が見つかることを予感していたんじゃないかとすら思う。最後、彼女は僕に、『待ってる』とは言ってくれなかった。
ただいつもどおり、ひだまりのような笑顔で笑って手を振ってくれた。


僕と傑が任務にあたっている間に、残り1本の猫又の尻尾が発見された。
一刻も早く処分したい上層部は、異例の速さで死刑を執行。
任務を終えて帰ってきたボロボロの僕と傑を待っていたのは、僕たちよりもボロボロになった硝子と、空っぽになったなまえの部屋だった。

それからしばらくの記憶は、正直あまりとても薄くて、無いに等しい。
僕たち三人は変わらず一緒に過ごしたけど、ぽっかり空いてしまった穴が埋まることはなかった。
僕は我を忘れたように呪霊を祓っているうちにいつの間にか単独任務が増え、傑が高専から消え、硝子は寝食を忘れて医療室に籠もるようになり、僕たちの距離は離れていった。


そしてとうとう傑が起こした百鬼夜行…12月24日が訪れた。
久しぶりに落ち着いて対峙した親友は自分の最期を悟ったのか、清々しいくらいいつもどおりの涼しげな顔で僕を迎えた。

『……悟』
『…なに』
『……最後にこれだけ、渡しておくよ』

傑が最期にに渡してきたものは、重々しい封印の巻かれた木箱。
どこか懐かしいその呪力に、死んでいたはずの心が再び、ざわりと波打った。

『……おい、傑、これ、』
『悟のそのバカでかい呪力と、その呪物、名前の縛り……あとは器さえ見つかれば、揃う…』

なまえを失った日から、猫又のことを調べていたのが自分だけではなかったと、僕はその時初めて知った。
猫又は宿儺とは違って不特定多数存在する特級呪霊。だから猫又の尻尾はこの世に2本だけではない。
そしてだからこそ、数多の特級呪物を抹消するために、なまえの一族が存在していた。
僕も傑も、その一族と猫又との因果を利用して、もう一度なまえに会うことを、諦めていなかった。
人間じゃなくてもいい。呪いでもいい。ただもう一度、なまえに会いたかった。

『……器は、多分、猫、だと思う』
『…うん』
『まっさらで、汚れていない、純粋な魂のかたちをした…』
『…うん』

あぁ、私ももう一度会いたかったな。そう言った傑の声はすぐに消えてしまったのに、今もまだ僕の耳に残っている。


◆◆


「その後悟が出会ったのが、きみだよ」

弧を描いた黒曜石みたいな黒い瞳が、私をまっすぐ見据える。

「生まれてすぐ、道端に捨てられていたきみだ」
「………わたし…」
「五条悟の折り紙つきの呪力に術式、名前の縛り。生まれ落ちてすぐのきみの魂は、この上ないくらい綺麗に型にはまってる。さすがは悟だね」
「……」

そう言ってにっこり笑ったスグルは、わたしの頭から首元までを輪郭をなぞるように撫でた。

「猫又の尻尾も取り込んだ今のきみは、悟と別れる直前のなまえの生き写しだ。外見も、声も、呪力も、何もかも」

…性格はすこしきみの方がおばかさんかな。
スグルの黒い瞳に映っているのは、わたしの姿。でもこれは、わたしであって、わたしでは、ない…?

「悟はきみを大事にしてくれただろう?」
「……うん…」
「可哀想に。…きみは本当に、悟のことが大好きなのにね」
「……す、スグ、ル、」
「でも、悟が大事なのも好きなのも、きみじゃない」
「スグル、やめて、」
「だってきみは、なまえじゃないんだから」

―――ねぇゴジョー。わたし、どうしたらいい?


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