ゴジョーとウタヒメの号令で火蓋を切った京都校との団体戦は、序盤から生徒同士のぶつかり合いが始まっていた。
たくさん手合わせをしたからこそ東京のみんなの強さは分かっているつもりだけど、少し手に汗を握りながら見守る。…それにしても……、
「悠仁のところ、映像途切れ過ぎじゃない?」
わたしもずっと気になっていたことを、ゴジョーがぽつりと呟く。
ねー、と横から首を傾げてきたゴジョーに頷き返すと、メイさんが頬杖をつきながら答えた。
「動物は気まぐれだからね。視覚を共有するのは疲れるし」
この映像はメイさんの呪術によって映っているらしい。
それを聞いたゴジョーが、いくら積んだんだか!とわざとらしく声を上げる。どういう意味かは分からなかったけれど、確かに何かに邪魔されてるみたいだった。
「……でもわたし、ユウジのところ、もっと見たいな…」
「あ、悠仁映った〜」
わたしの言葉に応えるように、乱れていた映像が正常に戻る。こっそり後ろにいるメイさんを振り返ると、口元に人差し指を当ててうっすら笑みを浮かべていた。
その後も、相変わらず団体戦は生徒同士の攻防戦が続いた。まだ見たことがない京都の人たちの呪術をゴジョーに教えてもらったり、特にマキがたくさん誉められたりしていて、嬉しかった。
「………」
ただ、交流会が進むにつれて、テンゲン様の結界に対する違和感が大きくなっている。
掌の傷が痛む感覚も短くなっていて、何度もゴジョーに伝えようか迷ったけれど、言い出すことが出来なかった。
…でも、放っておいたらだめな気がする。わたしはぎゅっと掌を握り、意を決して口を開いた。
「………ご、ゴジョー」
「どうしたの?なまえ」
わたしが呼ぶと、パッとこちらを見て気遣ってくれるゴジョー。やっぱり大好き。きゅうっと胸がちぢこまる心地がする。
少し、離れるだけ。何もなければすぐに戻ってくる。……ゴジョーに嘘をつくのは、これで最後にするから。
「お手洗い行ってくる」
「ん、いってらっしゃい」
心臓がいつもより速い。するりと椅子を降りて扉に手をかけ、ひとつ息をついて部屋を出る。
扉を閉める直前、京都の学長がこちらを鋭い目で見た…気がした。
「……たぶんこっち」
廊下に出たわたしは、お手洗いではなく違和感の強い方向へ足を向け駆け出す。あまり時間をかけたくない。
校舎を出て山道を進んで行くと、いくつかの建物が並ぶ庭にたどり着いた。
この中のどこかで、何かが起きてる。
一旦足を止めて立ち止まった途端、地面が揺れるほどの大きな音が、みんなのいる交流戦のエリアから響いた。
驚いて辺りを見回すと、交流戦の舞台になっている辺りを大きな影がドーム型に覆っていくのが見える。
「……あれは…帳…?」
前にゴジョーに教えてもらった、帳だ。
実物を見るのは初めてだったけれど、すぐにわかった。
でも、なんで今帳がおりたんだろう。そしてあの帳、ゴジョーから教えられた帳と違って、少し違和感がある。幸いここは帳の外だし、確認しに行った方がいいかもしれない…。
きっとゴジョーが心配してるし、何なら既にわたしがいなくなったことに気付いたかもしれない。
「もどらなきゃ、」
想像よりも大きく変わってしまった展開に慌てて踵を返そうとしたとき、すぐ近くで別の結界が破られた衝撃を感じた。
しかも、そこには何かすごく大きなものがいる。……この膨大な呪力量は、なに。
「………、」
確信はないけれど、今起きている現象の原因はソレだと直感が告げる。
きっと呪霊だ。それも、とてつもなく強い。…これを見過ごして戻るなんて、できない。
ごめん、ゴジョー。
届かない謝罪を心のなかで呟いて、わたしは更に森多くへと走り出した。
『なまえの索敵は特級クラスだね〜!僕の目より見えてるかも』
修行中、ゴジョーが楽しそうに話してくれたことを思い出す。
でも、今回は今まで見てきたものの比じゃないくらい気配が大きすぎて探りづらい。結局お目当ての場所を探し出すのに、少し時間がかかってしまった。
当たりをつけた建物からは、ドロリとした気持ちの悪い呪力と一緒に、血のような生臭い匂いが鼻をついて、思わず顔をしかめる。
動物の本能が逃げろと警鐘を鳴らしている。
でも、それを無視して思い切って足を踏み入れたとき、森に降りていた帳が破壊された。振り返ると、帳があった上空に見えたのは、ゴジョーの姿。
「ゴジョー、…っ!?」
思わず一度建物を出ようとしたわたしの襟首を、奥から伸びてきた何かが掴んだ。
わたしは建物を出ることは叶わずそのまま中へと乱暴に連れ込まれ、奥へと投げ飛ばされる。その間に何枚か結界を超えたようで、完全に外の世界と分断された。
そして床に転がされたわたしが手をついた先には、数体のナニかが折り重なっている。
「………こ、れ…死体…?」
ぬるりと手に纏わりついたものは、血。
輪郭が…外見がぐちゃぐちゃでヒトには見えないけれど、心なしか暖かいけれど、ピクリとも動かない。
幸い夜目はきく。慌てて身体を起こして近づいてくる何かに目を凝らせば、次に見えたものは、人間のカタチをした……、
「呪霊…?」
「あれー、僕が触ったのに生きてる。…きみ、何者?」
現れたのは、水色の髪をした、全身つぎはぎの青年。
視認した途端、全身を悪寒が走った。…わたしが探していた膨大な呪力の根源は、彼だ。
震えそうになる身体を抑えているわたしとは正反対に、余裕のある態度で近づいてくる。
「女の子って初めてかも。きみ術師?可愛い顔して、魂がなんだか変だな」
「…こっち来ないで。あなた、何しにきたの」
「そう警戒しないでよ。もう用は済んだところだから」
これ、とにっこり笑って見せられたものは、切り取られた指…そこから放たれている身に覚えのある呪力に、思わず目を見開いた。
「宿儺…?」
「知ってるんだ?…ますますきみに興味湧いちゃうなあ」
コツリコツリと足音を立て、わたしの目の前に立った。
殺気はないのに、蛇に睨まれたみたいに動けない。息を細くしてじっと目を合わせていると、不意に強い力で手首を掴まれた。
「……やっぱり。僕が触って何も起きないのは、きみで二人目だ」
「…離してよ。宿儺の指、渡して」
「それは無理。…もう少し遊びたかったけど、五条悟が結界を解いちゃったし、君を殺して僕も退散しようかな」
「…!」
突如青年の姿形が変形し、鋭いナイフのようなものが眼前に突き立てられた。
咄嗟に手首を捻って、呪力で足元を弾いて逃れる。…速い。びっくりした。
青年は楽しそうに笑いながら、尖った両手を振り下ろしてくる。
どこから殴ろうかな。
ひとまず何も考えず突っ込もうとしたとき、青年を遥かに上回る殺気が、わたしたちの周囲を襲った。この感覚も、身に覚えがある。
「………なまえに手を出すとは。貴様、よほど死にたいらしい」
どこかで聞いたことのある低い声を響かせ、どこからともなくわたしと青年の間に現れたのは、ピンク色の髪の毛をした、わたしがよく知る男の子の姿だった。
「………ユウ、ジ?」
「…お前は本当に男を見る目がないな」
「すくな!」
呆れたようにわたしを振り返った彼は、ユウジではなく宿儺だった。
…人間の姿では会ったことがなかったから、許してほしい。見た目はユウジと瓜二つだけれど、よく見ると確かに少し表情筋が硬そうで、見たことのない和服を着ていた。
「宿儺、なんでここにいるの?」
「こいつらの侵入。お前ならば気付いて近付くと思った」
「…?」
「……どうせお前は策もなく飛び込むだろう。先ほどのように。だから今朝、噛み付いた傷口に俺の残穢を残した。猫又ほどの呪力を借りれば、姿を形作ることは造作も無い」
…仕組みは全然わからないけれど、とりあえずこの宿儺は今、わたしの呪力をつかってここにいるらしい。ありがとう、とお礼を伝えたけれど、無視されてしまった。
気を取り直して青年の方を見ると、宿儺を見て動きを止めていた彼は、突然わたしの名前を連呼しながら笑い始めた。
「なまえ…きみがなまえかぁ!殺す前でよかったー。宿儺に救われちゃった」
「……?」
「きみは殺さないよ。宿儺もいるし」
怖がらせてごめんねー、と、軽い口調で謝る彼は、すっかり人間のかたちに戻って笑っている。
情けないけれどほっと一息ついたわたしを見て、宿儺は舌打ちをして青年を見た。
「…癪ではあるが、この姿ではお前を殺すまではできん」
「あ、そうなんだ。じゃあ、今は一時休戦ってことでいいのかな」
「ただなまえを傷物にすれば、次対峙した瞬間、お前の命はないぞ」
「わ、こわーい」
仲が良いわけではないようだけれど、二人は知り合いのように話している。ただ、宿儺の方が立場は上みたい。
それよりも気になったのは、彼のまるで前からわたしのことを知っているみたいな口調。
「なんでわたしのこと知ってるの?」
「きみのことはたくさん聞いてるよ。こんなところに一人で来ちゃうなんて、五条悟は本当に何やってんの?」
「今は、わたしがあなたに聞いてるの」
「えー?もっと知りたいー?」
ゴジョーのことを悪く言われたみたいでイラッとして、少しきつい言い方になってしまった。
そんなことは気にしていないのか、腰をくねらせながら煽るように尋ねてくる彼に、大きく頷く。
「教えてあげてもいいよ。僕についてくる?」
「え…?」
「僕も早く帰らなくちゃ。ここでは教えてあげられないな」
「………」
ついていく、ということは、勝手に高専を離れるということ。
高専に来た初日、『僕から離れちゃだめだよ』と言ったゴジョーの言葉を思い出す。ただでさえ言いつけを破ってこんなところに来ているのに、どこかもわからない場所へついていったら、帰ってこれないかもしれない。
隣に立つ宿儺はケヒッと笑い、突然の提案に思わず言葉に詰まったわたしの顔を覗き込む。
「…真実を知りたいのではないのか?」
「宿儺…」
「五条悟は、お前を騙しているやもしれんからなぁ?」
「そんなことない!」
「何故言い切れる?先刻も誤魔化されていただろう」
「そ、れは、」
「目を背けるな」
ユウジと同じ、わたしの大好きな大きな手でぐっと顎を掴まれ、赤い目が至近距離でわたしを見下ろす。言い返せないことが悔しくて、少しだけ視界がぼやけた。そんなわたしを見て、宿儺は楽しそうに顔を歪める。
「ケヒッ…そんな唆る顔もできたのか、良いぞ、興が乗る」
「……っ」
ここでゴジョーのところに戻って、目を瞑って過ごせばいいのかもしれない。そうすれば、今まで通りゴジョーと一緒にいられる。…けれど、もう本当のことを知ることはできないかもしれない。
ふと、時折見えるゴジョーの悲しそうな、泣きそうな顔が目に浮かんだ。今のわたしでは、ゴジョーに何もしてあげられない。
「……一緒に、行く」
宿儺の目を見たまま、小さく呟いた。
顎に添えていた手を離し、宿儺は満足そうにわたしの後ろに下がる。
代わりにこちらをじっと見ていた青年が、ぴょんっと飛び跳ねて目の前に立った。
「やった〜決まり!僕は真人。よろしくね、なまえ」
「マヒト…よろしく、していいか分からないけど」
「あは、僕と握手するとか変なの〜」
手を出されたから握り返すと、なぜか笑われてしまった。
さっきから話を聞いていると、本来ならマヒトに触った人間はカタチを変えてしまうんだと思う。ちらりと脇に目線を向ければ、おおよそ人のカタチではない物体が転がっている。おぞましい想像をしてしまい、ふるふると頭を振った。
「じゃあ、悪いけどちょっと眠ってて。…宿儺、少し見逃してほしいな」
「え……、…ッ!」
ぐいっと引っ張られた直後、トン、と項に衝撃が走り、わたしの意識は真っ暗な闇に落ちていった。
ごめんなさい、ゴジョー。
意識を失う直前に思ったのは、今日何度目かわからない謝罪。わたし、ゴジョーに謝ってばっかりだ。
「宿儺が僕たちに協力的だなんて意外だな」
「俺には俺の予定がある」
「ふーん……」
「…貴様、なまえの身体を雑に運ぶな」
「わかった、わかったからその殺気しまってよ」
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