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転生
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 予備校が終わるとどうしても夜遅くなる。社会人の帰宅ラッシュも過ぎ人影まばらになる夜道を歩く僕は、予備校を出た時点で既に何となく嫌な予感がしていた。胸がざわつくというか、誰かにじっと見つめられて落ち着かないような、そんな感覚。一刻も早く家に帰りたくて両親に迎えを頼もうと思ったくらいだったが、こういう日に限って父母共に残業で仕事を抜けられなかったりするのである。
 仕方なく近道を通ることにして大通りから一本隣の道へ進んだ僕だったが、この判断こそが間違いだったのだと、すぐに気が付くことになった。

「お〜、ねえお兄さん、ぼくたち家に帰る電車代落としちゃってさぁ」

 それは見るからに不良だった。派手に染めた金髪の青年と、スキンヘッドの強面な青年、そして耳と口にいくつものピアスを付けた黒髪の青年。高校生くらいの年頃とは思うが、上下ともにスウェットのため年齢の判断がしづらい。イイモノを見つけたと言わんばかりの薄ら笑いを向けられて背中が寒くなる。

「おれたちにさぁ、電車代くんない?」

「バァカ。痛い目見たくなけりゃサイフ出しなァ」

 茶化すような談笑をしながら地面にしゃがみ込んでいた三人が腰を上げてそう言った。この道の裏側にはゲームセンターがある、彼らはそこで金銭を使い果たしたのだろう。吸いかけのタバコを地面に捨て、踏み潰して僕に近付く。緊張と恐怖で手が震える。僕は昔から争いごとの類いが苦手で、自慢ではないが、ろくに喧嘩をしたことすらない。

「あ……あの、お金は……」

「あァ? 聞こえねーよ」

 予備校に行く日は小銭程度しか持ち歩かないのだが、彼らが望んでいるのはこんなはした金ではないはずだ。サイフを渡したところで痛い目とやらに遭うのは確実で、しかし逃げようにも、僕の足は竦んで動かない。声まで震えている。こういうことは、苦手なのに、どうしてこんなことに。

 にじり寄る三人が距離を詰める。硬直したままの僕の、学生服の襟に金髪の青年の手が伸びた。

「いいからさっさとーーあがッ!?」

 一瞬視界を黒い影が過ぎったと思った瞬間、バキ、と凄い音がした。反射的に僕は一本後ずさる。手を伸ばしていた青年が、今まで僕がいた場所に転がっている。誰もみな無言のまま彼に視線が向く。ざり、とコンクリートを撫ぜる足音が響いた。

「あはは、すみません。勢い余っちゃいました」

 それは、ここ最近で聞き慣れた声だった。不良たちの背後、ほんの数メートル離れた位置に、サイが立っている。人工光を受け青白く光る顔と手以外は全て真っ黒で、笑い声とは真逆に顔は一切笑っていない。まるで悪魔でも見るような心地だ。チラついた黒い影は彼だったのだろうか。困惑する僕をよそに、憤った二人の不良が、怒りを矛先をサイに向ける。

「てンめェ……! 何しやがる!!」

「ブッ殺すぞクソガキ!!」

 弾けたように二人が飛び出した。制止するよりも早く、危機を知らせるよりも早く、二人の不良がサイに飛び掛かる。学生服の胸倉を掴み振り上げた不良の拳がサイに当たった、と思ったのは瞬間的だった。

 繰り出した拳が、学生服に包まれた腕に横へといなされた。全てがスローモーションに見えるほど、流れるようなスムーズな動きだ。軌道を変えた拳は宙を殴って、目測を誤った黒髪の青年はその勢いのままにたたらを踏む。学生服の胸倉を掴む腕を、サイはもう片方の腕でひねりあげる。関節がギチリと軋みそうな奇妙な体勢を強いられた不良の口からは苦痛の呻きが漏れた。腕をねじり、後頭部を掴み、体をひねったサイはその反動で不良の体を突き飛ばす。ついでと言わんばかりに背中を蹴り飛ばすと、その先には、スキンヘッドの青年が目を瞠って立っていた。

「走って!」

 大柄な男が正面衝突する鈍い音が鳴るのと僕の腕がサイに掴まれ引かれたのは同時だったはずだ。走り出した僕たちの後を、不良の怒号が追い掛ける。怖くて腰が抜けそうなのにも関わらず、僕は先導するサイに遅れないため懸命に走った。息が切れ、呼吸が苦しい。薄暗い路地に断続的な呼吸音が響く。足は早い方なのに、彼は僕よりも更に早い。距離が開きそうになる度に僕の腕を握るサイの手に力がこもった。

「隠れて、黙って」

 公園の生垣に飛び込むようにして僕たちは身を潜めた。地面に這い、走ったばかりで荒い呼吸を整える暇もなくサイの手に口を塞がれる。ろくに息を吐き出すことも出来ず苦しくて死にそうだったが、やや遅れて不良の怒声が追ってきたため僕はヒュッと喉を鳴らし息を殺した。

「どこ行きやがったあの野郎!!」

 戻ってきた恐怖に肩が弾む。すぐ目の前にあるサイの顔が近付いてきて、僕を守るように覆い被さった。「静かに。多分すぐ行く」耳元で囁く。寄せられた胸に顔を押し付けるような体勢になったが、聞こえてくる彼の心音は至って平常だ。あれだけ走り、緊迫した空気の中、よくも平然としていられるものだと感心する。鼻先に押し付けられたシャツから洗剤のいい匂いがすると気付く程度に、僕も平常心というものが多少戻ってきたようだった。



 数分と経たぬうちに不良が何事かを喚きながら公園を去って、しばらく生垣の合間から様子を窺っていたサイがようやく体を起こした。差し出された手を掴み僕も立ち上がる。呼吸を整え、互いに無言で、学生服に付着した土を叩き落とした。

「ケガは?」

 先に口を開いたサイに、僕は首を横に振る。

「あの、ありがとう。……助かったよ」

「いいよ。そのつもりで春日のこと監視してたんだし」

「…………」

 もしや、予備校を出てから感じていた違和感は彼の視線だったのだろうか。だとしたらはた迷惑な話ではあったが、彼の驚異的な神経の太さと身体能力でことなきを得たのだから言及はせずにおく。
 改めてお礼を述べようとサイの顔を見直して、僕はハッと息を飲んだ。

「うん? ……ああ。ごめん。葉っぱで切れたのかな」

 僕の視線を辿り頬を指でなぞったサイが顔を背ける。隠した頬からは血が滲んでいた。暗闇というのに血の赤だけが妙に際立って網膜に焼き付く。頭からサッと血の気が引いていくのが分かった。

「やっぱり治ってなかったんだ、血液恐怖症」

「は……話したこと、あったっけ……」

 足から力が抜けてその場にしゃがみ込む僕を追ってサイも身を屈める。鞄の中にしまってあるハンカチを震える手で差し出すと、彼は目を丸くしてそれを受け取った。

「ハンカチ持ち歩く人なんて、とっくに絶滅したかと思ってたよ」

 ハンカチにも僕にも失礼な言い草だ。
 躊躇うこともなくハンカチを頬にあてがう彼を確認して僕は大きく深呼吸をした。ほんの少しだけ気分が落ち着く。
 僕は幼い頃から血液恐怖症だったが、それを知っている者は多くない。自ら率先していざこざを避けて通るのもそのためだ。嘔吐するほど酷くはないものの、血を見る度に貧血を起こしてフラフラするのが情けなくて、今まで大半の人間にはひた隠しにしていたはず、である。

「春日は昔からそうだったよ。ボクもナルトもサクラも、血が出たらキミに会わないようにしてたし」

 また昔の話だ。知らない人物名もある。知り得ない情報を知り、人間離れした動きを見せる彼は、もしかしたら本当に、僕の知らない記憶を持っているのかもしれない。先程は悪魔のように見えた冷たい顔が、今はいつも通りにこにこ笑っている。その顔を見て少しばかり安心したのだから、僕はどうしようもない小心者なのだろう。

「帰ろう。送るよ」

 サイの肩を借りて再び僕は立った。彼は鞄を持ってくれて、切れた頬を見せないよう右側に回って背中を支えてくれた。我ながら何ともみっともない姿だったが、この宵闇にはそれを見る者はなく、まさに不幸中の幸い、といったところだった。

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130118