転生
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「隣いいかい?」

 放課後、僕がカフェでコーヒーを飲みながら参考書をめくっていると、不意にそう声を掛けられた。奥まった路地にあるこのカフェはこの時間帯はあまり人がいなくて、自分が占領しているような僅かな優越感を感じていた。だから僕は、そう聞かれたとき思わず辺りを見回していた。

「あ、えっと……ハイ……」

 店内はガラガラとは言えないまでも、客はまばらで、テーブルもイスも十分過ぎるほどに空いている。それなのに何故わざわざ相席を望むのかとチラリと声の主を窺うと、その青年は目を細めて笑顔を浮かべた。

「どうもありがとう」

 一目で分かる、教科書通りの作り笑いだ。気が弱い僕は相席の理由も問えず参考書を自分の側へ引き寄せる。同い年くらいの、学生服を着た青年がテーブルにコーヒーを置いた。

「週に三回、ここに来てるよね。ここはお気に入りの店?」

 相席では済まず彼は逃げる間も与えずすかさず僕に話し掛けてきた。しかも当然のようにタメ口だ。更には僕の一週間の来店数まで知っている。人見知りの僕からしたらこんな状況はありえない。この人は恐らく普通ではない。少し怖かった。

「あの……え、と……」

「ん? ああ、もしかして、覚えてない? ボクとキミ、初対面じゃないんだけど」

 初対面ではないと言われて僕は咄嗟に記憶を辿った。しかし彼の顔に、声に、心当たりはない。僕の記憶力のなさか、はたまた彼の人違いのどちらかで、比較的記憶力のいい僕は後者ではないかと思うわけだ。
 とはいえそうは切り込めないため、僕は「すみません……」そう謝った。
 彼はまた笑う。今度は先程よりもほんの少し自然な、だが寂しそうな笑みだった。申し訳ないことを言ってしまったと、僕は殊更恐縮する。

「いいんだ、ボクって特徴ない顔だから」

 そんなことないよとフォローを入れようとしたが、彼はそれよりも早く「そんなことより、」と切り出した。失礼ながら、空気を読めない人だと思った。

「キミって結構ここに来るよね? ボクもこれから来ていいかな。キミと話をしたくて」

「えっと……いいんじゃ、ないかな……?」

 随分意地の悪い質問だ。僕の店でもないのだから、ダメだと言えるわけがない。

「ありがとう。そうだ、春日くんのメールアドレスと番号、教えてよ。ハイ」

 ハイ、と彼が自分の携帯電話を出した。ごく自然に名前を呼ばれて驚いたが、前回会ったときに僕は名乗ったのだろうか。だとしたらなおのこと忘れるはずはないのだが、何はともあれ突然のことに慌てていると参考書の横に出しっ放しだった僕のスマートフォンを奪われて、彼は興味深そうにまじまじとそれを見つめていた。

「ボクもスマホにしようかな。周りもみんなスマホで、ガラケーを持ってるのってボクくらいなんだ。使いやすいから気に入ってるんだけど」

 僕のスマートフォンに電話番号とアドレスを打ち込んで、メールを送り電話をかけ、彼はちゃっかり僕の個人情報を抜き取ったようだった。返されたそれの電話帳データを確認すると、サ行の欄に「サイ」という見慣れない名前が載っている。珍しい名前だと思って彼の学生服の胸元にある名札を見ようとしたら、それよりも早く彼の手が名札を覆った。

「キミにはサイって呼んで欲しいんだ。昔みたいに」

 そう言って彼はまた笑顔を貼り付けたが、僕には彼の言う「昔」が、思い出せそうになかった。

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130110