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初夏ノ日蝕
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 結局のところ、僕はあの後しっかりと貧血を起こした。僕がいた時代では体の丈夫さだけが取り柄だったはずなのに、どうやらかつての人類は僕よりももっと健康で、僕のような"健康優良児"と評価されてきた人間は、古き時代で逞しく生きる人々と比較すると体力も免疫も基礎数値が低いようだった。自分を健康優良児だと信じていたのはこの本丸に於いては自分だけで、周りから見れば痩せ細った野良猫同様に見えているのかもしれない。これもきっと遺伝子操作の弊害だ。僕のいた時代ではこれが当たり前で、健康を維持するため投薬することも珍しくなかった。もっとも、それはお金のかかることなので僕には縁がなかったけれど。とどのつまり、僕は時代の流れに沿って退化した人類ということだ。
 少し休憩し、気分が良くなった僕は自室の前の縁側に腰を掛け空を眺めていた。ホログラムなのかプロジェクションマッピングなのか奇怪な力の類いなのかは分からないが、ランダムに変動する空模様は青く、緩やかに雲が流れている。申請すればこうした本丸を形成する環境要素を自在に操作することも出来るらしいがあまり興味もないため政府の仕様に任せている。どこかに存在する本丸と同じ空には太陽が輝き、時折吹く風が髪を揺らして視界を遮る。
「主、そこにいたのか」
 不意に呼ばれて振り返った。渡り廊下を歩く膝丸と目が合う。夏の若葉のような鮮やかな髪をした青年は大股でこちらに近付いてくる。
「膝丸。どうかした?」
「いや、用というほどでは……体調はもういいのか? まだ休んでいた方がいいのではないか?」
 ぶっきらぼうで冷たい印象を与える刀だが、触れ合えば存外気さくで、こう見えてたまには冗談を言ったりもする。人も付喪神も見た目によらないとは言ったものだ。そんな彼は、どうやら貧血を起こした僕を心配してくれているようだった。それもそうだ、ここまで僕を背負って来てくれたのは彼なのだから。内番を終えたばかりだったのか顔には土がついたままの彼は、僕の隣に立つと膝をついて覗き込むように視線を合わせてくる。兄刀と同じ琥珀色の目が特徴的で、じっと見ていると吸い込まれそうな不思議な魅力がある瞳だ。
「うん。サプリも飲んだし、全然平気だよ。心配してくれてありがとう」
「サプリ……? ああ、たまに服用しているあれか。手入れが必要とは、人間も難儀なものだな……まあ問題がないならいいが」
 本体に魂を宿す彼らにとっては薬を飲む僕の姿は不思議なものに見えるのかもしれない。僕から見れば、刀本体の手入れで傷が治る彼らの方がよほど不思議だ。頭から足先までを順に眺めた膝丸は「それにしても」とため息をつく。
「兄者は一体どこへ行ってしまったのだ……」
「髭切? いないの?」
「ああ。兄者はあの性格なのでな……少々自由なところがあるのだが、気付いたらまたいなくなっていたのだ」
 それをサボった、と称さないのはこの刀の良いところである。僕は頷く。
「てっきり主を案じ、共にいるかと思ったのだが。主は兄者を見てはいないか?」
「うーん……ちょっと前に顔を出したけど、それ以来見てないや。ごめんね」
 謝れば膝丸は首を横に振った。垂れ下がる前髪が緩やかに揺れる。
「いや、いいのだ。主に迷惑をかけていなければそれでいい。では俺は戻る。何かあったら呼んでくれ」
 そう言って、膝丸は席を立った。渡り廊下を進み元来た方へと歩く彼の背中を見送って、その姿が完全に視界からなくなったあと、僕は板張りの通路を指でトントンと叩いた。
「探されてるよ、髭切」
 声をかけると背後にある僕の部屋からくすくすと笑い声が聞こえて来る。自分を探す弟をやり過ごし悪戯が成功したような気持ちになっているのかもしれない。静かに開く障子の向こうから、膝丸と同じ琥珀色の瞳がこちらを窺い見る。
「そそっかしい子だねぇ。ずっとここにいたんだけれど」
 膝丸もまさか審神者の部屋に兄が潜伏しているとも思っていなかったのだろう。開けた襖からにじり出て、僕の隣に移動した男がふわあと大きなあくびをしながら両腕を伸ばす。
「うーん、よく寝たなぁ……」
「貧血を起こした人間の布団で眠る刀は髭切くらいだよ、きっと」
「そうかい? だってせっかく布団を敷いたのに、主は寝ないっていうからさ。可哀想じゃない。同じ道具としては、使われたいだろうし」
「そんなものかな?」
「そんなものだよ」
 あはは、と笑い髭切は僕の頭に手を乗せた。しっかりと働き土にまみれた弟刀と違い、たっぷり休んだ兄刀は清々しい表情だった。手の平が頬に滑ったかと思えば親指が下瞼を押し下げる。
「うんうん。顔色もいいね。よかったよかった。それじゃあ僕も戻ろうかな。弟の……えーっと……まあ、弟が探しているから行かなくちゃ」
「うん。心配してくれてありがとう、髭切」
 立ち上がり、微笑んだ刀は白妙を揺らしながら弟の向かった方へと歩いていく。きっとまた弟に嘆かれたり、あるいは他の刀にサボったことを注意されたり、賑やかに過ごすのだろう。体調もすっかり戻った僕もそうして賑わう場に顔を出したくなってしまって、仲間たちがいるであろう大広間へと移動するのだった。

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220325