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初夏ノ日蝕
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「貴殿には、本日から正式に美濃国本丸KW-119432の審神者として任を果たして頂きます。別途お渡しした資料にもあります通り、以降任期中の本丸外への外出は公務の一環と特例を除き一切を禁じます。つきましては、政府より餞別がございます。初期刀を一振り、選択して下さい」

 機械を通した人間の声なのか、はたまた人間を模して作られた機械の声なのか、どちらともつかない耳障りなノイズ混じりの音声が、応接室とは敬称し難い無機質な部屋に響く。淡々と書類を読み上げるようなその声は、僕の故郷ではありふれてよく聞くものだ。人口が減り、労働者も減り、しかし仕事は増える一方で、工数削減のため遥か昔に考案、導入された音声案内は今やファストフードのみならず、医療関係は元より、政府関連の公的機関での使用にまで漕ぎ着けているようだ。人間の温かみがない、なんて意見はとうの昔に消え去ったらしいが、2000年も200年あまりが過ぎたこのご時世、そんなことを言うのは巷で一番の偏屈じいさんくらいだった。そういえばあのじいさん、2日前に腰を悪くして病院に運ばれたんだっけ。一世紀を生きたもはや化石だというのに、まだ腰しか悪くなった部位がないというのは逆に驚きだ。殺しても死なない、なんて言葉は多分、あのじいさんのためにある言葉なのだ。真っ白な天井と真っ白な床に反射する照明の白い光に目を瞬かせ、白髪の薄くなった頭とシワだらけの顔の老人を思い出す。偏屈で変わり者だけど、街の名物じいさんだ。やっぱりここに来る前に顔を見納めておけばよかったかな、などと微かな感傷に浸りつつ、真っ白な壁にぐるりと一周を囲まれた、清潔感を突き詰めた成れの果てのような、生物の温もりを感じさせない部屋の中で、僕は小さく鼻をすすった。今頃妹は何をしているだろうか。昨日の夕方には少し咳が出ていたのであまり体調は芳しくなさそうだったが、今朝も天気が悪かったので、体の弱い彼女は今日も大人しくベッドの上で曇天を眺めているのかもしれない。いつものように頬を膨らませ悪態をついているのやも。気に入らないことがあるとすぐ「お兄の心配なんていらないし!」と叫ぶ彼女のことだ。口煩く寝てろ、大人しくしてろと言う兄がいなくてむしろ清々しているだろうか。想像の中の妹はきちんとフルボイスで僕を罵倒し、思わず笑ってしまった。これから先、妹の笑顔を拝むことは、恐らくもうないのだろう。いつ終わるかも知れない歴史修正主義者との戦いの日々において、任期という言葉はあまりにも遠く果てしなく、それこそ永遠を意味する言葉だった。
 壁にかかる薄いモニターが流す動画はほとんど流し見していたが、流石にこちらの選択を問われれば僕も動かなければならない。初期刀というのは僕が審神者として力を振るうため、その最初の右腕として行使する刀……否、九十九神だ。モニターに映る五振りの刀はどれもみな似たような形をしていて、素人の僕にはどれがどうだとか何が優れているだとかいう判別はまるでつきそうにない。そもそも刀にもこの国にも僕は興味がないのだから、その辺に関しては目を瞑ってもらいたい。未成年の僕に選び取れる選択肢なんてものはほとんどなかった。ただ政府からの要請があって、ただ相応の素質があって、ただ給与が魅力的だった。ただ、それだけのことだった。ホログラムのように隣に表示された刀剣男士の映像にも、これといって抱く感情はない。刀の由来がどうだとか、刀剣男士の人格がどうだとか、そんなことは僕の目的を遂げるための手段の一つだった。それでも紅色の鞘に収まったそれを選んだのは多分、妹が好きな色だったからだ。天気のいい日には決まって赤い口紅を引く彼女の笑顔が脳裏に過ぎる。幼い顔に不釣り合いな背伸びをした鮮烈な赤が、彼女は大好きだったから。帰れなくてもいい。会えなくてもいい。妹の体から病巣を取り除くことが出来るのなら、他の事柄は些細なことだった。僕にとって何よりも重要なことは、僕が長い人生と命を政府に預ける莫大な対価が、妹の治療費にあてがわれるということに尽きる。



 刀を選択し眩い光の中に包まれたかと思うと、気付けば僕は時代劇にも出てきそうな日本家屋の前に立っていた。大きいというよりは広い。高さのない、昔ながらの平屋とでもいうのだろうか。歴史に詳しいわけでもないから具体的な数字は出ないけれど、それこそ鎧を着て刀を振り回して戦っていた時代にありそうな、立派な瓦屋根のお屋敷がそこにあった。見上げた空は今朝僕が見たものとは違い青く遠く澄んでいる。この空は本物なのだろうか? 最初にまずそんなことを思った。映像みたいにとってつけたような清々しい晴天と、春の生温い風が運ぶ水の匂いは、あまりにもリアルすぎていっそ信憑性がない。どこまでが本物でどこまでが奇怪な技術でどこまでが科学の力なのか、到底判別がつかない場所だ。僕は今日付けでこの本丸の審神者となるわけだが、事前説明によると、この本丸にもかつては他の審神者が刀剣男士とが苦楽を共にしていたというのだから不思議なものだ。所謂社員寮の豪華版みたいなものだろうか。僕も今日からここで生活し、戦い、いずれは過去の審神者たちと同じように朽ちていく。あるいはたまに聞く、神隠しにでも遭うのかもしれない。九十九神は神の中でも等級の低いものではあるが、とはいえ腐っても神だ。決して心を砕いてはならないと耳にタコが出来るほど講習で聞かされたので、それだけは笑えない冗談である。早い話、現実味がなかった。この時代に刀を持って、血に塗れながら戦うだなんて未だに信じられそうにない。それをやるのは僕の役目ではないけれど、それを目の当たりにするだなんて想像だに出来ないのだ。嘘みたいな世界観に圧倒され半笑いのまま後ろを振り返れば、そこには僕の背丈の3倍ほどもあろうかという立派な門構えが、外からの訪問者を拒むかのように重く鎮座していた。これには結界という名の認証センサーが張られていて、僕たち審神者はもちろんのこと、刀剣男士たちもこの門の外へは自由に行き来することが出来ないのだという。詳細は後日、追って政府から連絡が来るそうなので、嘘か真か、それはまた今度の機会に検証してみよう。そう思いひとまず自身の根城となる本丸の中を探索してみようと、お屋敷に向けて足を一本踏み出そうとした時だった。じゃり、と地面を踏み締める音がした。僕のものではないその音を認識し背後を向いていた顔を正面に向けた瞬間、僕の前には人がいた。いつから、どこから。まるで手品のイリュージョンマジックみたいに、そいつは唐突に僕の目の前に現れたかと思うと、親しみやすさの中に妙なよそよそしさのある落ち着いた声で言った。

「あー……川の下の子です。加州清光。扱いづらいけど、性能はいい感じってね。可愛くしてるから、大事にしてね。あるじ」

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200308