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ピトーとの話
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 何となく嫌な予感はしていた、なんていうのは今だから言えることで、情報取引のためNGLで合流したいという言葉を鵜呑みにしてノコノコとここに来たのは間違いだったと、最悪の事態を前にしてまざまざと思い知らされる。早い話がしくじった。機械文明に頼らず自給自足の生活を営む特殊な地区、ネオグリーンライフ自治国。閉鎖された環境故に内部の状況が分からないというのは、つまるところ予期せぬ事態が既に起きていたっておかしくないのだ。遠路はるばる来たというのに、肝心の取引相手はまるでノラ犬か何かのようにボロ雑巾よろしく道端に捨てられ死んでいた。四肢が千切れ、蒔かれた内臓の一部が元々の形状を保っていない辺り、どう考えたって自然死じゃない。背中に伝う嫌な汗には気付かないフリをして、誰にも見られぬよう気配を殺し窺った村は、もはや全てが死んでいた。人間も、家畜も、野生の動物すらその生態系を破壊されていた。キメラ=アント。同業者の間でまことしやかに飛び交う噂程度にしか耳にしたことのない生物が実際に眼下に蔓延っている。なんてことだ。よく考えなくたってこの異常事態だ、逃げないとまずいということははっきりと分かる。大気中の成分を多少操作出来るという俺の能力でうっかり殺されるなんてことはないかもしれないが、だからといって無限かのようにどこからともなく現れては消えるあの蟻どもを蹴散らせるほど、その力は戦闘に向いていない。でも、と思い直したのは、情報屋としてのプライドだとか、好奇心だとか、そういった猫をも殺すものがムクムクと顔を持ち上げたからに違いなかった。問題の中枢までとはいうつもりはない。これを知って取引をするなどと、国家を揺るがすような無謀な大仕事だってするつもりはない。だけどこれらの事態を招いた原因だけでも知りたくて、俺は自ら危険地帯に足を踏み入れてしまった。その体たらくが、現在に至る。

「キミって意外に強いんだね。ボクの攻撃を避けるなんて、思ってなかったニャ」

 対峙した子供が、さも面白いとでも言うかのごとく声で笑う。遠目に見る性別は明確には分からない。女の子のような可愛らしい顔立ちをしているものの、目が大きくて可愛いからといって女の子とは限らないし、やや高い声だって変声期を迎える前の少年のものだと言われれば納得してしまうだろう。だが重要なのは性別ではない。緩くうねった銀髪の隙間から覗く猫の耳と、昆虫の関節肢を思わせる剥き出しの膝から見るに、どうやら彼女は人間ではないようだった。一番遭遇してはならない生き物に、遭遇してしまった。にんまりと笑う彼女の表情に不気味な何かを感じ呼吸がうまく出来ず胸が苦しい。
 どこからともなく発生した衝撃波は俺の頬をかすめ、背後の木の幹を抉っていた。猫がじゃれるかのような遊びのような気軽さを感じさせる攻撃だが、猫パンチなんて可愛いものじゃない。咄嗟に軌道をずらすことが出来たから運良く俺の首は未だ胴体に繋がっていられるが、あと数秒禍々しい気配に気付くのが遅れれば俺は今頃、草原に捨てられた取引相手と同じく雑草の肥料となっていたことだろう。そう思うと冷や汗が止まらなくて、早鐘のように打ち鳴らす心臓を落ち着かせるため唾液を飲み込んだ。彼女の細腕の先を飾る爪が巻き起こした風圧で引き裂かれた傷口がピリピリと鋭く痛む。流れる血を自分の拳で拭った。大した傷じゃないけれど、不意打ちとはいえ大気を操りあらゆる攻撃をいなすことが出来る俺に、こうして怪我を負わせたのだ。その辺でせっせと働いているようなただの蟻とはレベルが違う。

「ボクはね、ネフェルピトー。ピトーでいいよ。キミは?」

 彼女を取り巻く暗いオーラが、草原を踏み締める足を伝って俺の元へと侵食するのが恐ろしい。この威圧感に飲まれたら俺は死ぬ。殺されてしまう。皮膚に突き刺さるプレッシャーを掻い潜りこの場から逃走することは出来るだろうか。多少の怪我に目を瞑れば可能かもしれないけれど、非常に骨が折れそうである。首なんて突っ込むもんじゃなかった。ヤバイと感じたあの瞬間に、この異常な国を離れていればこんなことには。

「……俺は、ウーノ」

 後悔を奥歯で噛み締めながら、質問には偽名を告げた。今のところ明確な殺意を向けられてはいないとはいえ、明確な殺意を向けなくても俺を殺せるだけの力がある相手である。下手な真似をして逆上させるより取引に持ち込む方が利口と判断してのことだ。幸いにも多少話が通じそうな知性が見られる相手だったのが救いかもしれない。

「ふーん、ウーノか。いい名前だね。うん。響きが好きかも」

 ネフェルピトーは笑った。目を丸くさせ口角を吊り上げながら、顎に手を当て首を傾げている。この重い空気に似つかわしくない陽気な口振りと仕草が逆に不気味で、鳥肌が立つようなじっとりとした恐怖を感じる。一歩一歩確実に俺との距離を詰める彼女がとうとう俺の目の前に立ち、その白い手を差し伸ばした。握手を求められているのは分かる。だが無用心にこの手を握っていいものか? 握った瞬間腕を引きちぎられない保証なんてどこにもないのだ。人間の文化を真似ているのか、自身の記憶にある風習をなぞっているだけなのか、それは定かではない。いざとなったらこの腕を破壊する。俺も無事では済まないだろうがかろうじて息ある状態での逃走くらいは適うはず。警戒心を解くことなく伸ばした俺の手は、しかし握り返されることはなかった。代わりに手首の辺りを握られたかと思うと力一杯引き寄せられる。「うわっ、!」たったそれだけのことなのに、俺の肩の関節は悲鳴をあげた。力の差が違いすぎる。本当にこの生物から逃げることが出来るのか? 俺の判断はまた誤っているのではないだろうか。俺の体を引き寄せた腕が背中に周り肺を、背骨を締め付ける。ミシ、と骨が嫌な音を立てる。

「うんうん、抱き心地もいいニャ。人間ってすぐボロボロになっちゃうからニャぁ」

 念で服の下に二酸化炭素の膜を張って圧迫と骨折は免れたものの、あのまま抱き潰されていたら、俺は今頃内臓を曝していただろう。抵抗する余地がない。逃げる隙もない。意識を集中させ、今を乗り切る以外に活路がない。

「これからウーノは僕のオモチャだよ。死ぬまで可愛がってあげるニャ」

「あはは……困ったな……」

 これは自分の判断ミスだ。まずいだとか危険だとか、そんなことはとっくに分かっていたことなのに好奇心と欲に負けて虎穴ならぬ蟻の巣に自ら入った俺自身のミスだ。誰かの協力や救助も見込めないこの現状で、それでもまだキメラ=アントの貴重な情報を欲している自分の強欲さに呆れてしまう。自分の体一つで情報を集めるだなんて、情報屋を開いた初期の頃のようで、妙な高揚を得ているのも確かだ。結局俺は職業病なのだ。知りたくて知りたくて仕方ない。こいつらの生態や繁殖方法、念能力の会得の仕方がどうしても知りたくてたまらなくて、俺は服の下を覆う二酸化炭素の層を膨らませながら、この猫耳キメラに取り入る術について頭を巡らせるのだった。

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