選択権のない話
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俺の話を聞き終えた政宗は腕を組み、うーんと唸りそれっきりだ。普段は比較的友好的な表情を浮かべる男の眉間にはくっきりと深い溝が刻まれ、次に言う言葉を慎重に選んでいるようにも見える。侵入禁止の看板が吊るされた鎖は俺たちにとって都合のいいことに、俺たち以外の侵入をしっかり禁じてくれている。その鎖の奥に広がる屋上は俺らの溜まり場の1つであり、誰かに聞かれたくねえ話をするにはうってつけだった。退屈な授業を聞くより大切なことが、今の俺にはある。
「Ah……毛利弟の兄に対する恐れ方がfunny……尋常じゃないってのは、俺にも引っかかるところがあってな」
こいつは何だかんだと文句を言いつつダチの頼みは断らない、現に俺の告白の時にも、こうして相談するときにだってツラを貸してくれる情の厚い男だ。頭の悪い俺が1人で考えるより、こいつに相談した方がいいという俺の判断は決して間違っちゃいねえ。階段から落ちそうになっていた纏を助けたあの日、感謝するでもなく罵倒するでもなく、ただ震える声で「兄上に言わないで」と懇願したその顔は泣きそうと言うよりはもうほとんど泣いているような、とても俺1人でどうにかなるようなレベルの問題ではないように思えたからだ。ただの兄弟が、あんな顔をさせるはずがねえ。右手を顎に当て人差し指と親指で唇を挟む政宗は気が進まないといった目付きでこちらを見る。
「話を聞く限り、ただごとって訳じゃなさそうだな」
「ああ。見てるこっちが可哀想になるくらい震えてたからなァ……」
右足を庇うような素振りを見て、せめて保健室で湿布をもらってくると言った俺に対して纏は更に「湿布の臭いはすぐに知れるから」と、必死の形相で引き止めた。あれも言外に兄に怪我を知られるのを嫌ってのことだろう。怪我をしたことを兄に悟られたくないというのはどういうことなのか。弟に対し一見過保護にも見えた毛利が、纏と2人きりになる自宅で何を言い何をしているのか。俺には想像もつかないことだが、それでも身内にあんな顔をさせていいわけがねえ。
「毛利のスパルタは部活でも有名らしい。頬を張られるのを見たってヤツが、うちのclassにいたぜ」
こいつも独自に情報を集めていたらしい。両親を亡くしたという家庭環境に始まり、部活動でのこと、登下校のこと。いくつか聞いたという話を掻い摘んで俺に聞かせてくれたが、どれもこれも理不尽極まりねえ内容だった。もちろんそれのどこまでが真実かは当事者以外に分かりはしないが、それでも聞く限り、門限があるくらいならば可愛いもんだ。成績上位の維持に始まり学校での友好関係にまで口を出し、読む本までも指定するなどどうかしていやがる。時折纏の顔に腫れがあるというのも、この話を聞いてからだと悪い方にしか考えがいかねえ。もしもこれらの話が真実であるとするならば、毛利の指図はもっと多くのところにまでなされていることだろう。私生活の全てを兄のさじ加減で雁字搦めに縛られて、破れば仕置きが待っているなど、俺の生き方からは到底想像がつかねえ話である。そりゃあ、俺から必死に逃げるわけだ。毛利の天敵とも呼べる俺とつるむのを禁じられていれば、破ったあとのお冠など想像に容易いもんである。そこまで考えて、流石の俺もピンときた。
「ってこたァ、俺が纏に言い寄れば言い寄るほど、纏は追い詰められるってことか……?」
「まあ……早い話はそうなるだろうな」
だから纏はことごとく俺の言葉を聞かないように顔を伏せて走り去っていたのだろう。俺の話を聞かないように、というよりは、俺と関わりがあることを兄に知られないように懸命に取り繕っていたのかもしれない。可哀想なことをしたとは思う。だが今更、俺の胸に燃え上がった熱い炎を消火することは出来やしねえ。だからこそ政宗に相談し、野郎2人で雁首並べて纏が兄から解放される方法を画策しているのである。自販機で買った紙パックの牛乳をストローで飲みながら、政宗は反対の手で頭をかく。
「正直、外野の俺たちがどうこう出来るproblemじゃねえよ。虐待と呼べるほどあからさまに、物理的にいたぶってるって訳でもねえ。当の毛利弟も家でのことはまるっきり話さないと来た。こりゃあmindの問題だ。毛利の野郎は頭だけはいいからな……弟の性根までしっかり調教済みなんだろう」
諦めたような口調で吐き捨てる政宗は、しかし俺に「手を引け」とは言わなかった。こいつもこいつで舎弟がいる立場の人間なので毛利のやり方が気に食わねえというのはヒシヒシと伝わってくる。
纏はきっと、今も兄の圧力に耐えているに違いない。長く続いた日常が異常であると気付くこともなく、兄の指示に従い、兄の意に沿い、兄の駒の1つとして従順に弟を演じているのだろう。アイツのことを何も知らなかった俺は、纏のあどけない、それでいて品のある面立ちと、兄と違い憂いを帯びた丸い瞳が好きだった。だが纏の人となりを知った今は、アイツが笑う姿が見たい。兄の名を聞き萎縮して、兄の後ろで出しゃばらないようにと肩をすぼめて黙りこくる姿よりも、俺は纏が楽しそうに話をする姿が見たくなっちまった。
胡座をかき、膝の上に置いていた両の手で自分の顔をバチンと挟む。それを見た政宗は何を察したか、ハッと笑った。
「so good……いいぜ、その顔。戦いに行く覚悟は出来たか、soldier?」
「おう! 俺は言ったぜ、政宗……毛利の野郎をお兄さんと呼んでやるってなァ!」
毛利が俺を認めないってなら、認めさせてやろうじゃねえか。そうして纏を、あの野郎の手から奪い取ってやる。子供の頃に見たタイトルも覚えていない映画の中の海賊は、確かそうして姫と財宝を手に入れたはずだ。ならば俺もほしいものは力尽くで奪い取ってやる。空を見上げると、彼方から風に流された雲が日を輪を覆わんとしているところだった。午後には一雨くるだろう。
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190817