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予兆
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「忘れられるのは嫌だ」

 昼下がりの太陽が差し込む室内に佇む藤原が、不意にぽつりとそう言った。藤原という人間は理屈に適っていない発言は少ない男で、そんな彼がそのような抽象的な発言をしたとは思えず、風呂上がり、俺は水の滴る髪を拭きながら思わず声のした方を振り返る。柔らかいタオル越しに聞こえた藤原の声は小さく掠れていて、聞き取られることなど望んでいないかのようにすら思えた。まるですすり泣きにも似た呟きを疑問に思い「藤原?」部屋の主人へ声をかけてみる。壁際に立ちこちらへ背を向けるひょろ長い青年の肩が一瞬ピクリと弾んだ。コンクリートの硬い壁を飾るコルクボードを凝視する姿はどことなく異様なものを感じさせて、普段とは違う様子に俺は若干の不安を抱き、そっとその顔を窺い見ようとした。几帳面な彼は常日頃から皺のない制服に身を包んでいたが、しかし今はその几帳面な彼にしては珍しく制服が少しよれている。微動だにしない背中から表情を窺うことは出来ないため一歩立ち位置をずらしてみる。僅かに垣間見える横顔から、感情を読み取ることは出来なかった。

「……誰も忘れないだろ、お前のこと。俺も、忘れられないだろうし」

 これ以上露骨に友人の顔色を伺うことを躊躇い、妙に重い空気を振り払うべく俺は乾いた笑いを漏らしながら添え付けの簡易キッチンへ足を向けた。床に置かれた小さな冷蔵庫から勝手に麦茶を拝借してフォローのつもりで「何か嫌なことでもあった?」などと言ってみる。悩みがあるならいつでも聞くという意思表示だったが、しかし藤原は何も答えなかった。時間を切り取ったかのように停止する背中を眺めつつ、冷えた麦茶を喉へと流し込む。こんな空気でも風呂上がりの一杯は美味く感じた。俺がそれを好むと知っている藤原は、飲みもしないくせに必ず麦茶を冷やしておいてくれる。ああ、と息を吐き出す。賢い男は微かに笑みを溢したかと思うと、何事もなさそうな表情でいつものように「オヤジか、お前は」と、振り返りざまに憎まれ口を叩いてみせた。何だ、思ったより元気そうではないか。抱いた不安が杞憂であったと安堵を抱きつつ目線を彼からずらすと視界に違和感を覚え、彼の元へ近寄ろうとした俺の足が止まる。「お前と同い年だろ」軽口を叩き、違和感の原因を探るべく視線を巡らせた。壁に磔にされたコルクボードへ貼ってあったはずの友人たちの写真が、いつの間にかなくなっていた。

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100509