誘拐事件の話
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 克也が監禁されていると思わしき倉庫が建ち並ぶ町外れへ真島と大吾が到着する頃には、五人の男が部下によって羽交い締めにされていた。克也が暴行を受けたのも電話越しに聞いていた大吾は一番喧しい男を思い切り殴り倒していたが、真島は携帯電話を持つ男に近付いた。ほとんど泣いているような顔で震える男の手から携帯を攫い、そのストラップをまじまじと観察する。今日、彼がバッティングセンターで取り克也にあげたマスコットキャラクターがぶら下がっていた。

「なあ自分、この携帯持った高校生どの倉庫におるん?」

 いくつも並んで建てられている倉庫は一階と二階を合わせれば十を超える。それらを一つ一つ調べるのも面倒だったのでそれを聞くと、男は震えた声で四番倉庫の一階ですと囁いた。

「えらいおおきに」

 にぃと笑って、ついでに男の鼻面に拳を叩きつけ、真島は目的の倉庫へ向かった。倒れ込んで嘔吐する男の頭に踵を落としていた大吾も真島に倣ってそれに続く。
 建て付けの悪い鉄扉を押し開くと暗い倉庫内に月明かりが射し込んだ。一番奥の壁の辺りには学生鞄と、ぼろぼろになった人間が座り込んでいる。

「克也!!」

 止める間もなく走り出した大吾にやや呆れながら真島も続く。近くで見ると青年はより痛々しく傷付いており、白いシャツは血と埃と泥で黒く汚れていた。

「あにき……真島の、おっちゃん……」

「おう。生きてて何よりや」

「遅くなってすまない。酷い怪我だ、痛むだろう、頭からも血が出てる」

「あー……平気」

 膝をつき弟の頭を抱き寄せながら耳元で囁く姿はとても兄弟には見えないが、この二人にはよくあることなので真島は別段ツッコまない。ただこんな六代目を人に見られるのは風評的にまずかろうと配慮して、二人に立ち上がるよう促した。嫌がる克也の意見は聞かず兄は中世の姫がされるような横抱きで弟を抱えていたが、ひとまずこの場を離れ怪我の手当てをするのが先決だろう。二人の家よりも近い距離にある真島組事務所へ克也を運び、部下たちに用意させた救急箱で彼の怪我を手当てする。本来なら病院に連れていくべきなのだろうが、後頭部の明らかな殴打による傷を見られて警察に連絡されても面倒なので、とりあえず今日のところは応急処置を施して様子を見ることになった。気軽に公共施設を利用出来ないのは極道者の辛いところだ。
 酷く拘束されていたわけではないものの克也も多少疲弊していて口数は少ない。顔や腕などの腫れた部位に湿布と包帯で手当てを施す大吾の手付きはぎこちないものだったが、乱雑な真島がやるよりは幾分かマシだろう。

「せや、克也。携帯取られとったで」

 ふと思い出してポケットからキーホルダーのくっ付いた携帯電話を取り出した。克也はほうけた顔でそれを見ていたが自分のポケットにそれがないことを確認して、真島からそれを受け取る。それと同時に事務所のドアが開いて、幹部の男が「六代目、少々お話が」などと声をかけた。この面子にまで話がいってたのかと、東城会という巨大な組織における兄の地位に改めて弟は感心したような恐ろしいような複雑な表情を浮かべている。男が何を大吾に伝えたいのかはみなまで言わなくとも分かる、恐らく捕まえた連中の後始末と、彼らが吐いたであろう情報の報告だろう。

「すいません、少し席を外します。真島さん、克也をお願いします」

「おう」

「克也、すぐに戻る。終わったら一緒に帰ろうな」

「分かった」

 名残惜しそうに克也の肩と頭に触れて大吾は事務所を後にする。一秒でも早く弟と家に帰りたいだろうに、頭というのも大変なものだと思いながら真島は両腕を伸ばした。彼は人一倍面倒事が嫌いなので、大吾のように東城会を回すことは不可能だろうと自覚している。

「せやかて自分、よう電話なんぞ掛けられたのぉ。見つこうたら殺されとったかもしらんで?」

 うーんと唸って克也は苦笑いする。もちろんそんなこと分かっていたが、相手が武器、しかも厄介なスタンガンを持っていたのだから助力を求める以外になかったのだ。あるいは一人で逃げ出せたかもしれないが、男たちにも逃げられただろう。不本意に痛い思いをしたのに、それで逃げられたらそれこそもらい損である。

「もしバレても、少しくらいなら痛いのも我慢出来るし……おっちゃんみたいに暴れて刺されたりしないから、平気だ」

「ヒッヒッヒ、そりゃ言えとるわ! ま、無事で何よりやんなあ」

 真島の手が伸びて、青年の頭をわしわしと撫でる。傷に触れて痛そうに克也が顔を歪めたのですぐに手を離したが、ずり落ちるように克也の体がソファに沈み、真島の肩へと頭が乗った。いくら度胸が据わってるとはいえ克也はまだ高校生で、いくら慣れているとはいえ自ら極道の道を選んだ大吾と違い克也は一応堅気の人間で、愛されて育った克也は子供だった。六代目の弟として期待されるため周りに合わせて大丈夫だと、彼もまた堂島の男なのだと思わせてきたが、それがどれほど脆いことか。
 蓋を開ければただの少年なのだと知っているのは彼の兄と一握りの人間だけで、だからこそそれを知る真島は何も言わずにもう一度克也の頭を撫でてやった。血の臭いのこびり付く髪に鼻先を埋めて「自分はようやったで。あとはわしらに任せぇ」慣れない精一杯の慰めと労りを青年に向ける。てっきり克也は泣くかと思ったがそんなことはなく、兄が戻るまでの数十分あまりをそうして黙って真島にくっ付いていた。
 これが、堂島克也の人生で二回目の誘拐事件となった。

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