誘拐事件の話
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克也がその男たちに声をかけられたのは真島組事務所を出てしばらくした頃だった。駅までは少し歩くためショートカットのつもりで大通りから路地へ逸れたのだが、結果としては普通に行くより時間を食ってしまっている。声をかけた男は明らかに胡散臭い上に嗅いだことのある薬物の臭いまで漂わせていて、克也はすぐにそれが真島の言っていた薬をばら撒いている連中だと推測した。手柄を立てようと思ったわけではなかったが、折角こうして町を騒がせる張本人に遭遇したのだから何か手がかりになりそうな情報くらいは手に入れてやろうと思ったのが間違いだったのかもしれない。
油断もしていなかったし、むしろ彼は気配には気を配っていた。ついて来ればいい物をやるとにやつく男に従って今は使われていない倉庫まで足を向けたのだが、いつからいたのか、背後から頭を殴り付けられ克也は昏倒した。それでも抵抗しようと暴れたのは見事としか言えないが、それもスタンガンの電撃を食らうまでの出来事で、気を失って一時間ほど経った現在、彼は目を開けずに辺りの気配を窺っている。ほんの少し先では複数の男たちが会話しており、まだ克也が意識を取り戻したことには気付いていないようだった。
「……どうすんだよ。あのガキ、例の……」
「知られたら殺される……でも受け渡しちまえば……」
「顔は割れてねえ、逃げるってのも……」
彼らの中の誰かが、克也のことを知っていたのかもしれない。東城会会長の弟を抱え込んでしまった恐怖に慌てふためく男たちを薄く目を開いて確認した。数は五人。二人は倉庫の入り口で何か話していて、三人は携帯を弄りながら互いに顔を見合わせている。気付かれないようにゆっくりと、手をズボンのポケットに入れ携帯を取り出した。鞄は奪われていたが身体検査まではされていなかったようで幸運だったと克也は安堵する。腕も足も縛られていないところを見ると、人を拉致するのは初めてなのかもしれなかった。
後ろ手に携帯を操作して、音の出る部分を背中に押し付けて電話をかけた。ショートカットの一番に登録されているのが兄の大吾の番号であったが、恐らく彼は居場所の分からない自分のせいで冷静ではないだろう。迷った挙句二番に登録された真島に発信したのだが、こちらはこちらで賭けだった。
「なあ、ここどこだよ」
目を開いてそう声を出すと男たちの目が全て克也へ集中した。気取られないよう不自然でないようそろりと体を起こすと「動くな!」男の一人が金切り声をあげた。
「お前名前は?」
少し逡巡してから克也は堂島だと返す。やっぱりとかどうすんだとか、怯えたような面持ちの男が他の男に助言を求めていた。
「倉庫で取引なんて今時古いだろ……サツに見つかってもおかしくねーよ」
「黙れガキ!」
「薬撒いてんのはどっかの差し金か?」
「黙れっつってんだろ!!」
まるで慣れているかのような、拉致されても冷静に状況を見据える高校生に畏怖して男たちは黙り込んだが、そのうちの一人は突如咆哮して克也の顔を殴りつけた。起きたばかりで今ひとつ動きの鈍い体は応戦することも出来ずに勢いのまま後ろへと叩きつけられる。手から弾かれた携帯電話がガシャンと床を滑った音で男たちは無言になる。克也は内心舌打ちをした。
「……おいお前、携帯どこにしまってたんだ」
「さあな」
「舐めやがって! この! クソガキ!」
再び男に殴られた。腹の上に乗り、顔を何度も殴られては床に叩きつけられる。口の中が切れて血の味がしたが、それよりも鼻血が喉に流れ込むせいで呼吸がうまく出来なくて辛かった。怯えていた男が駆け寄って携帯電話を拾い上げる。
「つ、通話中だ……ま、ま、真島に電話してやがる……!!」
硬直する五人の男を見ていた克也は黙ってそのまま目を閉じた。きちんと通話していたようだったので、あと数分もすれば誰かしらがここまで来るだろう。慌てて倉庫から逃げ出す男を追うほどの気力もない克也は這うようにして壁際まで移動して、誰もいなくなった倉庫内で大きなため息を吐き出した。
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