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PTSDの話
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 まだ外気も暑くなりきらない7月の終わり頃、台風がもたらす低気圧で外は風雨が吹き荒んでいた。バケツをひっくり返したようなという表現の相応しい豪雨は夕方から勢いを弱めることなく寝室の窓を殴り続け眠りを妨げるほどの音を伴い降りしきっている。この水音を聞くと小柄な恋人は普段の寝付きのよさはどこへやら、決まって夜中に目を覚ました。幼い頃濁流に飲まれもがき苦しみ、暗闇の中を溺れながら息絶えた恐怖が蘇るのだと、いつか酒を煽ったときに本人が話していたので今夜も恐らくそうなのだろう。トワッチは決してそれを怖いなどと発言することはなかったが、台風の季節になると少年はしばしば眠りが浅くなくなることがあった。怯えて震えるトワッチが掛け布団にくるまるような、そんな夜には何故か俺まで同じ頃に目を覚ましてしまう。雨の音に起こされるのかトワッチの恐怖が伝染しているのか、それは分からない。

「トワッチ……眠れねーの?」

 灯りのない部屋に微かな衣擦れの音を聞いて目を開いた俺は隣に横たわる少年へ顔を向けて声をかけた。横目に見えた時計は深夜の2時を指している。暗闇でも見える蛍光塗料で記された文字盤のそれはトワッチにねだられ買ったものだ。重宝している。
 どちらかと言えば眠りは深い方だというのにこういう時ばかりはきちんと人の気配を察知し眠りから覚めるのだから、人間とはつくづく不思議なものだ。人工光も自然光もない闇に包まれているはずの部屋で、しかしずっと目を瞑っていた俺のそれは闇夜に慣れ、こちらを見つめる少年の輪郭の中にある大きな瞳まで確認することが出来た。

「悪い、起こしたか?」

 子供特有の高い声が音域に似つかわしくない口調で呟く。その声には多少の申し訳なさと多大な不安が紛れていたが、俺と目が合うと柔らかそうな頬が緩み若干の安堵を得たようにも見えた。「いいや。雨の音がウルセェから」対する俺の言葉に嘘はないが真実でもなく、それを知ってか知らずか少年は何も言わずにすり寄ってくる。まるで猫だ。
 上昇し続ける湿度を下げるべく奮闘するエアコンのコンプレッサーが稼動音を響かせる中、少年の頭を撫でた俺はおもむろに上体を持ち上げて掛け布団を剥ぎとった。トワッチの体を跨ぎ膝立ちになると上体を屈めながら彼の体に覆い被り、俺の半分ほどしかない子供の体はすっぽりと影に隠れてしまう。唐突に替えた体勢にこれからされることを察したトワッチは目にありありと恐怖を滲ませて首を振った。窓の外では豪雨ががなり立て俺たちの声を掻き消さんばかりにガラスを揺らしている。雨音が窓にぶつかって弾ける度、トワッチの目蓋がひくりと戦慄いた。
 怯え震える彼の両耳に手を添えると小さなそれはすっぽりと覆うことが出来た。音を遮断されたトワッチの手が咄嗟にそれを引き剥がそうとするも当然子供の力ではヒーローたる俺を妨害することは適わず、結果はただ健気に手を握っただけだ。ビー玉をはめ込んだかのような大きな瞳が涙の膜に覆われるのを眺めながら唇を重ねると、薄い皮膚を通してほんのりと彼の温もりを感じた。どこか甘く感じるのは自分の脳が倒錯しているからだろうか。わざとらしく音を響かせながら何度も唇を重ねては離し、未だ窓の外へ意識を向けるトワッチをこちらに引き戻そうと躍起になる。顔を寄せて小振りな口唇を舌でなぞる。始めこそ舌の進入を拒みきつく引き結ばれていた唇だが、舌先で幾度となく往復してるうちやがて観念したように開かれた。差し込むとピチャリと音が鳴り、わざと音を立てて唾液を啜ると細い肩が大袈裟なほどに弾んだ。ベッドマットがほんの僅か揺れる。手の平で包む頬は熱かった。

「ひざし……いやだ、いや……こえー、から……いやだ……」

 俺の手を握る子供の腕が震えたかと思うと、記憶の中で溺れながら涙ぐむトワッチがうわ言のように拒絶の言葉を繰り返す。慣れたとはいえ抵抗も許されずに恐怖の追想をするのはまだつらいのだろう。俺の元から彼を奪おうとする死神をかき消したくて「大丈夫。トワッチ、アテンション。俺を見て。怖くねーから」と、根拠もない言葉を何度もリピートして言い聞かせる。どうにか涙を堪える少年の潤んだ目がこちらを見上げると、カーテンの隙間から差し込んだ微かな月明かりが、水の溜まったそれにきらりと反射したような気がした。

「Heyトワッチ。ルックアットミー」

「ひざし……」

「そ。怖くねーから。キモチイイことしようぜ」

「きもち、いい、こと……」

「ウン。ベロ出して」

 べ、と見せ付けるように舌を出すと手本を真似た少年が僅かに開いた唇の合間から舌を伸ばした。唾液に濡れたそれを舌先でくすぐりつつ時折音を立てて吸い付くと俺の手に重なるトワッチの手に力がこもる。唾液を啜りじゅぷりぐちゅりと音が鳴る度にトワッチはくぐもった、悲鳴にも似た嗚咽を漏らし、俺は飽きもせず「大丈夫、怖くねェから。キモチイイな、トワッチ」と暗示のように言い聞かせた。

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161104