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PTSDの話
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※トラウマを掘り下げる薄暗い話

 最初にそれに気付いたのは俺たちが高校生だった頃だと思う。キスをするときに女の耳を塞ぐと音が響いて興奮する、などというありがちな話を聞いた俺は真っ先にトワッチの顔を思い浮かべ、帰ったあとそれを実行しようと目論んだ。エロい気分になるだとかそういうことを全く期待していなかったわけではない。俺も年相応にガキで男でヤリたい盛りだったし、好きな子とキスをすれば自然と頭に様々な欲求が渦巻いたりするものだ。しかしそれでもその時はただ純粋に未知へ対する好奇心が湧き、当時から肉体の接触を含めた付き合いをしていたトワッチにちょっとした面白話のネタとして提供するだけだったはずなのだが、当時の俺はそれを後悔することになる。
 人は瀕死の事態に直面するとその記憶が心の傷となり、恐怖という形で後々まで残るのだという。高校生の俺は学力こそはそれなりにあったものの何分テンションとノリを最重視しているがために考えなしだった。もちろんそれは今でもあまり変わっていないのだが、トワッチに仕掛けたイタズラが彼にとってPTSDを引き起こすきっかけとなるということに気付くことが出来なかったのだ。あの事件以降も隣の家に住む幼馴染として時間を共有していたというのに、今思えば随分マヌケで滑稽な話だと思う。
 豪雨や洪水、河川の氾濫は元より、それらを思わせる水の音や体が浸るほどの水量、例えばプールや風呂などを、事故のあとトワッチは過剰なほどに恐れていた。死の翌日以降も明るく振舞いオバケも気持ち悪い虫も平気な顔でやり過ごし怖いものなんて何1つなさそうな彼の胸には、そういう大きな闇が潜んでいたというわけだ。いくら本人の口から語られなかったとはいえ、考えれば分かることを俺は考えたことすらなかったのだ。とにかく帰宅してトワッチと合流した俺は、小学5年生のまま時間が止まってしまった彼の小さな耳を塞ぎキスをした。舌を入れるキス自体それほど回数を重ねたわけでもないため緊張は禁じ得なかったもののそれなりに慣れた行為だ、いつもと同じ手順で事を進め彼の口腔を舌先で混ぜたとき、少年は酷く怯えた面持ちで「やめてくれ」とか「こわい」とか、稀に見る取り乱した様子で泣きじゃくってしまった。明るく快活で俺と同じ程度にちょっとお調子者のトワッチからは想像がつかないような、痛ましく弱々しい姿に俺は衝撃を受けた。慌てて拭った涙の温度は今でも指に残っている。

 それから約15年、俺は未だにその行為を繰り返していた。耳を塞がれると頭蓋の中で唾液の絡み合う音が響きまるで水中にいるような錯覚に陥るのだと彼は遥か昔に話してくれたが、それを聞いてなお俺はこの行為をやめることが出来ないでいる。生命を脅かされ、否、実際に一度奪われたその追体験でPTSDを引き起こすのは必至であるともはや理解しているにも関わらず、俺はどうしてもトワッチの心に巣食うトラウマという名の死神を許せないでいる。俺からトワッチを奪い死へ誘うそいつが憎くてたまらなかった。引き金に指をかけているのは自分だというのに、俺は15年間、その恐怖にも似た怒りを何かで上書きしようと懲りずに何度も背徳的な口付けを繰り返した。
 トワッチ本人は当然耳を塞いでのキスを嫌い始めこそ無我夢中で抵抗していたが、数年経つうちに少しずつ慣れたのか近頃では泣くことはなくなった。泣き顔に欲情しなかったと言えばそれは嘘になる。信じたくはないが、嫌がる彼を強引に従える喜びがなかったと言えばそれも嘘になる。僅かながらも邪念を抱く罪悪感があったのは事実だ。しかし恐怖でしかなかったこの行為に慣れたトワッチが少しずつ少しずつ、頭の中に反響する唾液の音に俺との逢瀬を紐付けて、死の恐怖を快楽で上塗りしていると気付いたときほど昂ったことはなかったように思う。だからこそ俺はまたこの行為をやめられなくなってしまった。死神は俺の方だったのだ。

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161103