甲斐性のない牙琉響也の話
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隣室から聞こえた小さな電子音で、僕は数時間ぶりに時計を確認した。7を示した短針がカチリと音を鳴らす。徹夜してしまったのか、と内心で思う。
早く寝よう早く寝ようと思っていたのは12時を回った頃までで、気が付けばもう朝日が昇っているようだった。室内光だけの部屋では時間の感覚は乏しく、窓を開けていれば鳥のさえずりでも聞こえたのだろうが、残念ながら窓の閉まった今、防音の家に外部の音は響かない。
「響也くん……?」
ドアの開く微かな金属音と共に細い声が僕を呼んだ。振り返ると、眠たげな目を指で擦りながら僕を捉えて首を傾げる恋人がこちらを見ていた。まだ眠いのだろう。
「おはよう。よく眠れたかな?」
「うん……響也くん、寝てないの?」
普段より緩慢な動きで近寄る彼女がソファの横、僕の隣まで寄ってくる。テーブルの上に広がる資料を一瞥するとその目を僕に向け、慈しむような優しげな眼差しで微笑みかけた。華奢な腰に腕を回すと彼女は僕の頭に手をやり優しくそこを撫でてくる。
「体おかしくなっちゃうよ?」
「ああ……次は気を付けるさ」
もう何度も言った言葉だが、相変わらず徹夜を繰り返す僕を責めるでもなく、彼女は緩やかな動きで身を屈めた。僕も顔をあげ、その小さな唇にキスをする。
「午後から裁判だよね? 響也くん、少し寝た方がいいよ」
まるで聞き分けのない子供をあやすような言い方でくすぐったい。僕と彼女は同い年だが、やはり男は女に弱い生き物なのだろう。心配そうな目を向ける彼女に笑いかけて柔らかい頬を撫でると、彼女は嬉しそうに目を細めた。
「僕が寝て、寂しくないかい? ここ最近、全然紫と話せてないよ」
「平気だよ。私は響也くんの寝顔が見れて嬉しいもの」
「僕は寂しいな……紫の可愛い寝顔もいいけど、もっとキミを感じたい」
「わがまま言っちゃやだよ……心配させないで」
細い親指が僕の目元をそっと撫ぜる。徹夜明けだし、隈でも出来ているのかもしれない。
僕が寝室に行かないと知っている彼女に優しい力で肩を押され、促されるままソファに横になった。僕の体に合わせて大きめなソファを買ってよかったと思うのは、残念なことにこうして仕事に忙殺されたとき、ベッドまで行かずに眠れる、ということくらいである。
紫が自分の肩に掛けていた上着を僕の腹と胸に被せ笑いかける。出会ったときと同じように、ああ、彼女は天使だ、と。そう思った。
「予定の2時間前に起こすね」
「うん。……すまないね、紫」
「気にしないで。響也くんが側にいてくれるだけで、私は嬉しいの」
横になると急激に襲い来る睡魔に負けないよう意識を保っていたはずなのに、僕の体はもう言うことを聞かなかった。昔は徹夜したって普通に朝からバンド練習も出来たのに、十代と二十代の壁は厚い。
まぶたが落ちる寸前、紫が泣きそうな顔をしたような気がして手を伸ばそうと思ったのに、その手が彼女に触れたのか、触れる前に落ちたのか、僕にはもう分からなかった。
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131109