家康の話
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 夢に現れたのは清良であった。何も珍しいことではない。恋焦がれ手に入れたいと思った者が夢枕に立つなどよくある話だ。皆と話をする限り夜伽に及ぶ夢を見る者もいるので、何をするでもなく二人静かに抱き合って横たわるだけのわしの夢なぞは可愛い物だと思った。

 清良とはもう、ろくに会ってはいなかった。彼の父を殺め三成と対立してからは文を送るのすら難いことであったし、会うなどもっての他であろう。三成は豊臣秀吉という男を神と崇めている。そんな男がその忘れ形見とも言える清良に大層執心する姿は容易く目に浮かんだし、事実わしの聞き及ぶ話では、三成はまるで籠の鳥のように清良を浮世から遠ざけているという。彼は相変わらず融通の効かぬ男だった。
 未だぼんやり霞掛かったような頭を振り、寄りかかっていた柱から体を離した。話の最中に居眠りをして想い人の夢を見るとは我ながら図太い神経だ。側には忠勝が控えていて、わしの体を気遣って起こさなかったのだろうと思い至る。無口なこの友は、いつでもわしに優しかった。

「ああ……すまんな忠勝、寝てしまっていたか……」

 喉が渇いて声の出も悪い。何度か咳払いをしていると小間使いの少女が茶を運んできた。忠勝が指示を出してくれていたのだろうと推測する。優しい面立ちの少女はわしと忠勝に会釈をしてそっと盆に乗った湯飲みを差し出した。

「家康様、どうかご無理をなさらないで下さい……」

「うむ、分かっているさ。心配してくれてありがとう」

 色の白い少女は深々と頭を下げ早々に去っていく。不甲斐ないわしを心底心配し労わってくれるあの少女はよくよく出来た娘だ。世を収め、平和な時代を築き、よき男に嫁がせ、よき妻よき母としての人生を歩ませてやりたいと思う。それなのにあの少女の肌を、髪を見るとふと清良を思い出してしまうのだからいよいよ持ってわしも道楽者だとため息すら漏れた。清良は儚くもよく笑う清々しい男だ。傷付く者を目に止めれば声を掛け話を聞き励ましたし、喜び勇む者がいれば我がことのように顔を綻ばせる。人望もあり優しく賢い。体が丈夫であれば非の打ち所のない世継ぎだと陰で言われていたが、そうでなくともわしの目には十分すぎるほど魅力的に映っていた。病的な白い肌も黒い髪も丸い瞳も穏やかな声も柔軟な性格も、全てがわしを引き付けた。

 廊下の向こうへ消えた少女の体を見送って、黙ったまま佇む忠勝へ視線を戻す。色恋に現を抜かしている余裕などわしにはない。民のため、国のためにもやらねばならぬことが山とある。黙る忠勝が不意に手を伸ばし何かを渡してきたのでそれを受け取ると、結ばれた文がそこにあった。一度顔を見上げると忠勝が小さく顎を引いて、わしは言葉もなく文を広げそれを読む。数ヶ月振りに見るそれはいつもと変わらぬ出だしから始まり、他愛ないこと、陽光を浴びて悪化する体調のこと、そして僅かでも見ることの出来る宵の月への句で結ばれた簡素な物だ。これだけ送るのに、さぞや苦労して三成に交渉したことだろう。恐らくこの文も三成には既に読まれているに違いなかった。

「わしはな、忠勝。この国を収めたい。争いのない世にするために」

 もちろん全ての諍いをなくすなど不可能だ、それは理解している。それでもせめて大切な人たちが、愛する人たちが悲しまぬ世にしたいのだと、心の底からそう思ったのだ。

「誰も傷付かない、時代にしたいのだ……」

 そのために、わしは三成を殺めるだろう。必要があればその友を殺め、部下を斬り、徹底的に蹂躙するかもしれない。だがしかし、その時、清良は。清良はどちらに付くのだろうかと考える。亡き父の名を、そして三成を守るために死ぬのか、それとも生きるためにこちらへ降るのか。わしには分からないことであったし、わしの関与することではないということは重々承知していることだ。
 それでもこの手であの男を殺めたくはないと、そう思った。わしは清良が愛しい。好きだ。愛している。この腕に閉じ込め、髪を撫で、唇を吸い、抱きたいとすら思う。

「……待たせたな忠勝。さあ、話の続きをしよう」

 文を折り胸へしまい込み忠勝を仰ぐ。わしの望む未来を手に入れる日は、すぐそこまで来ていた。

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