女装症候群
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4月16日23時
初めて彼に遭遇したのは、夜道の路地裏で男どもに絡まれているときだった。
知人に会いたくない一心で人の少ない路地に入り、男たちの集団にデートと称した乱交パーティーへ加われと脅され囲まれたとき、その男は現れた。
「怪我はないか?」
自分より体格のいい男数人を手早く的確に伸し、この場を去るようにと追い払った男はしゃがみ込んでこちらを見ている。鼻筋の通った見事なイケメンだ……が、喋ることが出来ず頷くしかない。
それに気付いた男は更に顔を寄せてくる。
「大丈夫か? 何なら途中まで送ろう。立てるか?」
立ち上がった男が手を伸ばす。折れたヒールに気を付けながら手を取り腰を上げると、唐突に男が腰を抱き寄せ「うわっ、」思わず声が出た。さっと血の気が引いていく。
やっぱり、と男が呟いた。
「あんた、男だな。美人だから騙されたけど、手と声は隠しきれない」
ーーバレた。
昔、ちょっとした罰ゲームでやった女装にハマった。しかし知人には知られたくないからこそ夜間の短い時間だけこれに興ずると決めたというのに。
それも今宵の馬鹿な男どものせいでパーになった。
せめてもの救いはこれが見知らぬ、気のよさそうな男ということだけだ。
震えて力の入らない手で男の腕を握り締めて小さく首を振る。羞恥と絶望でまともに顔なんて見れなかった。
「い、言わないで……誰にも」
賢明の訴えが通じたのか、男は分かったと返事を返す。だが俺は、この男がとんでもないサディスト野郎ということを、まだ知らなかった。
4月17日7時
折れたヒールを気遣って、お姫様だっこという脅威の羞恥オプションと共に家まで送ってもらった俺だったが、翌朝ようやく、それは自宅の場所を教えるという愚行であったということに気付く。
待ち伏せていたのだ、あの男が。
「少し話がしたくてな……意味が分かるな?」
昨夜と同じく顔から血の気が引いていく。断ることなど出来るはずもなく、俺は男が用意したと思われる黒塗りの車、ガラスにスモークが張られた後部座席へ乗り込んだ。
最悪、最悪、最悪、最悪。頭の中でその言葉が延々繰り返される。
殺されるか犯されるか。想定したのはその二つで、どうも後者のようだった。
俺の腕を引いて膝の上に座らされる。男の腕っぷしの強さは昨夜しかと目撃したので恐ろしくて逆らうことも出来ない。
「頼む……やめてくれ……」
俺の口からはそんな弱った声が漏れた。もう泣きそうだ。昨日、バカみたいに女装遊びなどしなければ、こんなことには。
「大丈夫、痛いことはしない」
何が大丈夫なのか知らないが、男はそう言って俺の下腹を撫でた。正直気持ち悪いが、腰に回った腕の力が強すぎて腰も引けない。
男の手がベルトを外しパンツと下着の中に入り込む。俺は息を殺して無心にやり過ごすしか出来なかった。
4月16日23時〜翌日8時
昨夜悪漢に襲われている女性を助けたら、それは男だった。自前の金髪、しかし襟足だけがウィッグということには既に気付いていたが、路地の隅にへたり込んだ華奢な体では男とは気付かなかった。
抱き寄せた腰も細く、何より、誰にも言わないでと潤んだ瞳で見上げられて、その危うい色気に誘われ、俺は彼に恋をした。
彼を送り届けたあと自宅付近に車を回し朝まで仮眠を取ることにした。何時に出てくるのかは知らなかったが、住所とファミリーネームから調べた結果、この家には大学生になる息子がいるらしい。年は20歳前後といったところか。
念のため朝の7時に起きて様子を窺い、現れた男を車に連れ込んだ。頭のいいこの子はすぐに自分の不利を察し大人しくしていて、少し話をしたら解放してやるつもりだった。
にも関わらず、またあの目だ。泣きそうに潤んだ瞳で俺を見つめてやめてくれと懇願する。
何もせず解放するつもりだったが、気が変わり、つい体を弄ってしまったが……これは不可抗力だろう。俺はそう考えて納得した。
4月17日18時
大学へは男が送ってくれて、ほとんど泣きそうな俺は逃げるようにして車から飛び出してきた。真面目な俺が一限を遅刻するなんて珍しいことで、友人たちは顔色の悪さも相成って心配してくれる。それが逆につらい。
レイプ、とまでは行かなかった。車の中で抱き締められて、性器を扱かれ射精した。尻を掘られたわけでも写真を撮られたわけでもない。
しいて言えば男の手についたザーメンを、男自らが舐めとるところを見させられた苦痛があったくらいだ。
恐らく、これは俺の予感だが、あの男はこれをオカズに自慰でもするに違いない。そしてまた俺の家で待ち伏せし、やることもエスカレートするはずだ。
恐ろしい人間に目を付けられてしまった。人に言えば俺の女装癖まで露呈する。それは避けたい。だからあの男は付け上がるのだ。
大学での一日を不安と絶望に塗れて過ごした俺がようやく帰ろうと正門を出ると、見覚えのある黒塗りの車が目の前に停車した。見知った男が顎で乗れと指示をする。
友人たちは好奇の目でそれを眺めていたが、俺は彼が悩みの種ということも言えずに曖昧に笑って車へ乗り込んだ。「おかえり」イケメンが笑って声を掛ける。
目的地は知らない。何も告げずに、最初からエスカレートした男はまんまと俺を誘拐することに成功したのだ。
4月17日18時20分
「君のために借りたんだ。夜になったら家まで送るよ」
連れ込まれたのはマンションの一室だった。内側から鍵をかけ、更に俺を逃がさないためかナンバー式のチェーンロックまでかけるという親切心にもう言葉も出ない。
機嫌のよさそうな男に手を引かれ奥の部屋へ案内される。
「好きに使ってくれて構わない。欲しいものがあれば揃えよう」
示されたクローゼットを開けて、俺は心底言葉を失った。
「これ……」
服が入っている。
ブラウス、チュニック、ボレロ、スカート、ワンピース……女物ばかり。馬鹿にしやがってと頭に血が上ったが、殴りかかる前に体ごと抱き締められてそれも出来ずに終わる。せめて何か口汚く罵ってやろうと思ったが、争いごとは昔から苦手な人生だ。上手い侮蔑が思い付かずに結局俯くしか出来なかった。
「女装した君はとても可愛かった。また見たくてさ……写真は撮られたくないだろ?」
だからここで着ろと、そう言うのか。
確かに女装癖はあるが強要されるとそうでもないものだ。クローゼットから男が取り出したリボンの付いたブラウスと、赤いチェックのスカートがこちらに押し付けられる。無理だ。女装なんて。
「うう……パンツは、ないのか?」
「女装っぽくないだろ? 欲しいなら明日にでも」
とりあえず今日はこれで我慢してくれ、と渡されたのはキュロットだ。確かにパンツに近いが……つらい。
「……どこで着替えればいいんだ」
「ここで。ブラとショーツも用意した」
引き出しから取り出した下着に戦慄する。これをこの男が買いに行ったのか。俺でも出来ない。
冗談なんて切り返せず、渋々衣服を脱いでいく。流石に人の目の前で全裸になるのは恥ずかしいので後ろを向いてシャツを脱ぐと、ブラを持った男が背中へ張り付いてきた。
「これは?」
「そ、そこまで凝ってない……」
「そうなのか。似合うよ」
ストラップに腕を通させられ、背中で金具が留められる。女がするようにカップに肉を収めようと胸を撫で回され、更には緊張で硬く尖った乳首を捏ねられた。
「うあっ……」
「続きはあとで。まずは着てくれ」
耳元で男が笑う。
4月17日18時40分
ブラウスを着終わり、次は下だ。パンツを脱いで、躊躇っているとやはり男が俺の背後にくっ付いてくる。手にはショーツが握られている。
「大丈夫、ブラもショーツも男用だ」
男用のそんな下着をお前は買いに行ったのかと気にはなるがやはり聞けない。何も言えずに硬直する俺の下腹に手を下ろし、ゆっくりトランクスを引き下ろした。性器が露わになる。恥ずかしい。死にそうだ。
「随分薄いな……あとでこの毛も剃ってやろう。きっと可愛くなる」
優しい手付きで陰茎を撫で、袋を何度か揉まれる。羞恥で足が崩れそうだった。
渡されたショーツに足を通して腰まで上げると、男の手が性器を布の中に収める。本当に泣きたい。この男の方が俺よりよほど変態だ。
キュロットを履いて、用意されていた部分ウィッグを襟足と前髪に付け、コスメセットで顔に色を塗っていく。誰かに見られているせいで手が震えて上手く出来なかったが、男は微笑を浮かべてそれを見つめていた。
気味の悪い男だ。女装癖のある男をわざわざ部屋まで借りて誘拐し、ここで女装に興じろと服や道具を与えるなどと、正気の沙汰ではない。
鏡ごしに見る男は嬉しそうに笑っていて、俺はこのあと襲うであろう絶望に涙を堪えることしか出来なかった。
4月17日23時
やはり強姦された。女装したままベッドに押し倒され、ブラをずり上げて乳首を吸われた。そのあとキュロットの裾から手を入れられ、性器を揉まれ、今度こそ尻を掘られた。合体はしてないが、指で抉られながら散々恥ずかしいことを言わされて泣き喚きながら射精した。
解放されたのは夜だった。夕食には男が手配したピザを食べたが、味なんてとても分からない。体は重いわ泣いたせいで目は痛いわ、最低な気分だった。
「じゃあ、また明日」
疑問すら持たずに、俺を家まで送った男は明日の予定を取り付ける。恐らく明日の朝も車に連れ込まれ、大学が終わったあとにあの部屋で女装をさせられ犯されるのだ。
死んでしまいたいほどつらくて苦しいというのに、俺はどこかで女装が出来る状況を喜んでいる。大馬鹿野郎だ。だから痛い目を見るというのに。
帰りが遅いことを心配する父さんと母さんには先輩の家で勉強をしてきたと嘘をついて、その日はシャワーも浴びずに眠った。明日の朝、早く起きてシャワーを浴び、いつもより早く家を出よう。
そう思い、眠った。
4月18日7時
翌朝、やはり男は玄関の前にいた。朝日にアッシュブロンドの髪を輝かせながらサングラスを外して手を上げる。一緒に家を出た父さんは突然のイケメンに目を丸くしていた。
「……昨日言ってた先輩か?」
「ああ、えっと……」
適当に誤魔化そうとしたが、まずおれは名前すら知らない。口籠っていると男がニコッと笑って頷いた。
「レオン・S・ケネディです。よろしく」
この男はレオンというのか。初めて名前を聞いた。
頭の中で思ってもないような言葉をさんざん述べて父さんを上手く丸め込んだ男は、まんまとやり過ごし俺を車に詰め込んだ。
やはり体をまさぐられ、今日は首の後ろに吸い付かれる。痕は付いていないだろうが、じゅるじゅると音を立てながら肌を吸われて思わず腰が抜けた。
「じゃあ、また後で」
大学の前で止まった車から転がるようにして降りる。目的など分からないが、少なくとも要求らしい要求がない辺り、彼は愉快犯と言わざるをえなかった。
5月3日19時
あれから二週間、例のマンションの一室に着いた俺はやはり女装をさせられている。スカートもパンツもアウターもインナーも、ある程度の種類は揃ってささやかな衣料店を彷彿とさせた。
キャミソールの上に肩の開いたニットを着てチェックのフレアスカートを履く。下には黒いタイツを履いて、下着はもちろん男物の可愛らしいアレだ。
ウィッグを付けメイクをしたあと、レオンは俺をベッドに押し倒しひたすらキスを繰り返す。
はじめは苦痛でしかなかった行為も人間とは恐ろしいもので、すっかり慣れてしまっていた。俺はおかしいのだ。こんな異常な状況を受け入れ、女装をして、あまつさえそれを楽しんでいる。レオンを責めることすら忘れているくらいだ。
「よく似合っている。可愛い……」
熱に浮かされたような男の声が耳元で囁いた。この男は性癖こそ異常だが、それを除けばいい奴と言える。初対面で俺を助けたのも、その人格のよさが影響してのことだろう。……そう思うのも、きっと二週間という期間の中で俺がレオンに感化されてしまったということだろう。まさにストックホルム症候群だ。
「君は何を着ても可愛いな……愛してるよ」
耳をしゃぶられ、その唇が喉へ落ちる。服の中に手が侵入して、ブラの上から胸を撫でた。
またいつもの行為が始まる。悪夢の延長線上は甘いのだと知っている俺は、力を抜いて彼を受け入れることにした。
5月3日24時
彼の調教は終わった。
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