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海馬とショタ
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 夢を見た。思い出すことも忌々しい、けれど今を俺を形成した全ての元凶である、悪夢だ。金を食い荒らす大人たちの笑い声。世話を焼き恩を着せ取り入ろうとする女ども。何をするでもなくただ哀れみの目を投げるばかりの傍観者。じっとりと湿るシャツが背中に張り付いている。夜の冷気が肌を冷やして、俺は自分が汗ばんでいることを悟った。普段付いているはずの空調を確認すれば何故か入電を示すランプが不満気に点滅していて、そこでようやく空調の機能が停止していることに気付いた。仮眠を取っている間にシステムトラブルでもあったのかもしれない。「クソッ……忌々しい……」吐き捨て、濡れたシャツを脱ぎ捨てた。空調についてはあとで磯野にでも連絡すればいいだろう。着替えるのも億劫だったが流石に真冬のこの季節、何も着ずに過ごすことは得策でないため、椅子の背に掛けてある上着を羽織った。ボタンを留めて椅子に座り直す。

 夢にまで現れる俺の憎しみは、憤りは、誰かを犠牲にしても拭い去ることは出来ないようだ。書類上の父を蹴落とし突き進んだ道はまるで終わりの見えない道で、目的地を無くした俺は尚も頂点を目指す。この道が誰かと交えることも、そして誰かの道に並ぶこともありえない。そう信じていた。そうして、モクバと共に歩んできた。

『瀬人様、ご友人からお電話です』

 小さく電話の電子音が鳴りボタンを押すと男の声が言った。時計を見ると今は夜の9時過ぎで、このような時間に電話をしてくる、友人などと名乗る人間は1人しか心当たりがない。仕事の邪魔になるからと普段から電話も滅多にしない麻人の顔が脳裏によぎる。こんな時間に電話をしたこと、それに加え俺の携帯ではなく会社に掛けたということも腑に落ちず、受話を繋げるようにと指示をした。ついでに空調システムの点検についても言及しておく。
 数回の呼び出しのあとに聞こえた声は相変わらずで、俺は僅かに受話器から耳を離し第一声を待った。

「もしもし社長ですかー?」

「ああ……何の用だ」

「あ! 社長だ! こんばんは、遅くにごめん!」

 頭の悪い質問に頭の悪い応答。いつもなら愛おしさを感じるその愚かさも、夢見の悪く気分の優れない今は煩わしいくてたまらない。舌打ちをすれば「怒んないで!」と即座に言葉が返された。

「あのね、携帯に電話したけど繋がんなくてさー!」

 デスクに置いたままの携帯を手に取ると確かにそれは電源が切れていた。空調といい携帯といい一体今日は何なのだ。再び舌打ちをする。麻人は気にせず続ける。

「社長、この間俺の家に忘れ物したよー! いつ渡せばいいかなーって思って!」

「この俺が忘れ物だと? 何を忘れたというのだ」

「あー、えっと……あー……はは、な、なんだったかなー……」

 どうも様子がおかしい。まずそんなことをいちいち電話で、しかもこんな時間に知らせるわけがあるまい。メールで十分過ぎる内容だが、しかしそれ以前に俺は忘れ物などしない。不自然に歯切れの悪い麻人は口ごもって、やがて小さく声を漏らした。泣く寸前のような鼻声が「あのね」と言葉を繋ぐ。

「嘘、だよ、声聞きたくて、電話しただけで……仕事の邪魔してごめんなさい」

 受話器越しの声は先ほどとは大違いに落胆していて、代わりに俺は知らず知らず口角が上がっていた。普段物分かりのいい麻人が俺の声聞きたさに会社まで電話をするなどかつての奴ならばあり得ない。俺がいなくてはいけないのだと言わんばかりの脆さ儚さに、支配欲に胃が燃え上がるのを感じた。

「ふぅん、まぁ構わん……」

 最初に感じていた煩わしさはどこかになりを潜めたらしい。今すぐ抱き締めたいほどの愛しさに、泣きそうな愚かな恋人を慰めてやろうとしたとき、不意に通話にノイズが雑ざった。まるで自動車が横を走るような音は明らかに壁や物を通したものではなく、冷たい機械に耳を澄ませる。

「答えろ麻人、今どこにいる?」

「え? えっと……外にいるよ」

「大まかに類しすぎだ馬鹿者。場所は?」

「……海馬コーポレーションの前」

 叩きつけるように受話器を置いたあと俺はコートを掴んで走りだした。エレベーターを使うのもまどろっこしく階段を駆け降りていくと、途中、社員が目を見開いて道を譲る。こんな時間まで苦労なことだ。俺もだが。コートに袖を通しながら外に出ると思った以上にそこは気温が低く絶句した。この季節のこの時間に外に出るとは、あの馬鹿者は一体何を考えているというのか。
 白む息を吐き出して外気を吸えば冷たい酸素に鼻と肺とがツンと痛む。それでもコートを留め辺りを見回すと、階段の側に小さな影があった。美しき碧眼の白龍のオブジェクトに保たれるように座る横顔は恐ろしく血色が悪くて、俺は半ば飛び降りるように階段を下る。

「麻人、貴様……」

 こちらに気付き見上げる麻人は酷く嬉しそうに笑った。唇は紫色に変色してる上、体も震えている。風邪でも引いたらどうするつもりだと怒鳴ろうとしたが、声が出なかった。膝の力が抜けて麻人の前で身を屈める。小さな体を包むように抱きすくめると、まるで氷でも抱いているのではと疑うほどにそれは冷たかった。

「……馬鹿か貴様は」

「えと……ごめんなさい」

「この寒いのに薄着で来おって」

「社長だってコートと上着の下は裸だよ」

「口答えなど100年早いわ」

 息が白い。麻人の体は冷えきっていて、俺の手も冷え始めている。吹き抜ける風は切り裂くように冷たく痛みを伴って、俺はそれらから守るように掻き抱く腕に力を込める。

「会いたかっただけなんだよ……」

「分かっている」

「ごめんなさい、社長」

「黙れ、怒ってなどいない。……貴様は俺の家に泊まらせる。文句は言わせん」

 今なら、歩くことが出来るのだろうか。遠い昔、まだ俺に力も富も名声もなかった頃、思い描いた道を。俺の選び進んだ道は果てしなく続いていて、それでも麻人と歩めばその終わりのない混沌とした未来に、青白く輝く光を見出だせるような気すらして。
 俺は震える小さな体を抱えて立ち上がった。過去に囚われ進むことを恐れるわけにはいかないのだ。未来へ至る道は既に歩みはじめていて、この愚かで健気な麻人は恐らくもう先に進んでいる。寒空の下静かに佇む白き龍は、物悲しそうに俺と麻人を見つめていた。

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