冬の日
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冬になると寒い。それはどこでも似たようなものだが、バクラにとっては必ずしもそうでもなかった。
まだ冬も始めの11月の終わり頃。日差しは暖かく風は冷たいものの、校門へ抜けていく高校生たちに目立った防寒着は見受けられない。
「さみぃ……」
しかしバクラはといえば、恐らく勝手に引っ張り出した宿主のジャケットを制服の上に羽織り、その下には更にセーターやら何やらを着込んでいる。対して麻人は、他の生徒同様白いパーカーを制服の下に着るのみで、特に寒がる面持ちではなかった。冷えた空気の中、ポケットに手を突っ込んだまま不機嫌そうに眉を寄せるバクラと、そんな彼を興味深そうに覗き込む麻人が校門を抜けて歩いている。
「意外。バクラって超寒がりだね!」
「あー……場所にもよるが、エジプトは大概冬でもこっちよりはあったけぇからな……」
唸るような低い声で、いかにも喋るのが億劫だと言わんばかりにバクラが呟く。面白いことを知った麻人は元気発剌を絵に描いたようにはしゃいでいるが、対するバクラの返答はテンポも遅い。夏場によく見せていたハイテンションな言動はここ最近、もっぱら暖かい室内でのみだった。
「じゃあエジプトって冬は暑くないの?」
寒さに肩をすくめ早足になる男の背中を、少年が追う。その急ぎ足に気付いた男はまた歩く速度を落として、自分を見上げる視線を横目に確認したあと頷いた。
「あぁ……その気になりゃあ、全裸でだって過ごせるぜ」
「マジで!? 凄いねバクラ!!」
「…………チッ。もういい、めんどくせぇ……」
もちろん皆がセーターを着て過ごす中、全裸で過ごす輩はいなかろうが、無理をすれば不可能ではないという話だ。ちょっとからかうつもりだったのだが冗談だと訂正するのも面倒になったバクラは一瞬背を正しただけで、彼の顔に吹き付けた冷たい風に舌打ちすると再び口を閉ざした。眉間にいつも以上の皺を刻むバクラは気だるそうにため息を吐くと、逃げた体温に肩を震わせて地面に視線を落とした。
昇降口までの数百メートルが果てしなく遠い上、可愛い恋人は好奇心の赴くままに明後日の方向へと話を進めるので頭が痛い。もういっそ、この小さな体を担ぎ上げて教室まで全力疾走してやろうかと目論んだ矢先、突然麻人があっと声を上げた。細くて小さい手がバクラのジャケットの裾を掴んで、歩く勢いを止められ仕方なく振り返る。
「な……っ」
バクラの横で、麻人はきつく目をつむり顔を上げていた。まるでキスを待つような体勢にバクラも一瞬固まって、どうしたものかと目を泳がせる。幼稚で多少言葉の意図が伝わりにくいこの恋人にはキスをするのも一苦労で、もちろんおいしいチャンスを逃す気はないのだが、しかしここは外である。
友人知人ならまだしも、赤の他人にこんな麻人の姿を見られるのは腹が立つ……バクラには羞恥心というものが人よりも欠けていたが、その代わりに、独占欲は強かった。こうなれば草陰に引きずり込んで一発青姦でも、と思い至ったとき、痺れを切らしたように麻人が目を開いた。
「何してんの? 早く触ってよ!」
ココ、と示した先は、柔らかそうな頬。何をちんたらしているのだ言わんばかりの表情に、バクラの額にも青筋が走る。
「テメェ……紛らわしい真似すんじゃねぇよ!!」
「え、何がー!?」
「口で言え! 黙って目ェ閉じんな! オレ様の期待を返しやがれ!!」
「えー!? よくわかんないけどごめん!!
だってバクラの手冷たそうだったからさー!」
とりあえずバクラは一度大きく息を吐き出した。自分の勘違いと現状を正しく把握すべく、眼前の小さな体を見下ろして言う。
「つまり、顔を触れと」
「うん」
「オレ様の手が冷たいと思ったから目ェつむって心の準備をしていたと」
「そうそう!」
「バカか!!」
「だから何でー!?」
随分な言い草だが、バクラは再びため息をついたあとジャケットのポケットからすっかり冷えている手を抜き出した。先ほどと同じように目を伏せる麻人の頬へ、舌打ちしつつも指先よりは冷えていない手の平を押し当てる。
「お……」
小さな頬は、外気に晒されていたというのに暖かかった。触れた手からじんわりと熱が伝わり、僅かばかりの熱をバクラに伝えてくる。
「暖かいだろ? 俺さー、体温超高いんだ! 40度くらいあるよ!」
「死んじまうじゃねぇかよ、バァカ」
ケラケラと明るく笑い飛ばす麻人にバクラは三度ため息をつく。子供のように突飛な言動に度肝を抜かされることは多くあるが、それはバクラを決して飽きさせなかった。柔らかい髪をぐしゃぐしゃに撫でてやると、少年はまた嬉しそうに笑いだす。退屈しのぎに丁度いい。バクラはそう思う。
「だからさバクラ、手繋ごうよ! 俺暖かいからホッカイロになれるよ!」
あっけらかんと言ってのける姿に、恥じらいってものはないのかなどと感じはしたが、しかし彼にもまたそれが欠如しているので所詮似た者同士だろう。やれやれとわざとらしくリアクションを取りながらも伸ばされた手を握ると、それは柔らかくて暖かくて、とても自分と同じ男とは思いがたい。満足気に笑みを浮かべる少年に思い付いたようににーっと笑ったバクラは、おもむろに彼の体に手を回して、まるで担ぐように軽々と抱き上げた。
「わああああ!? なになに!?」
「うっせぇこんな寒ィとこでカイロもクソもあるか! 教室まで走るぜぇえええええ!!」
「すげぇええバクラちょぉお早ぇええ!!」
「ヒャハハハハハハ、最高の気分だろうがァ!!」
「さいこぉおお!! バクラ大好き!!」
「安心しなァ、オレ様もだぜぇ!!」
可愛い恋人の顔は見れなかったが、それでもどんな表情をしているのかは手に取るように分かるものだ。バクラは先ほど考えた教室までの全力疾走を決め込んで、初冬の風の中を走り抜ける。冷たい風が顔に当たっていたが、恋人の体が触れる胸は、暖かかった。
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