悪魔は天使の顔をする
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 部活動が終わって家に帰る途中にある公園で、俺と修二はブランコに座って黙りこくっていた。時刻は8時を回っていて辺りはほとんど暗闇に沈んでいる。明かりといえば等間隔に並んだ街灯と、遠く家々の窓から零れる室内灯くらいのものだ。それでも田舎のばあちゃんちの周りよりは断然明るいけど。
 修二は俺の質問に答えることはなかった。低すぎる位置にあるブランコをちょっと地面を蹴ることで揺らしてじっと自分の膝を見下ろしている。修二と付き合って半年くらいだけど、こんなに気まずい沈黙なんて初めてだった。

「……なあ、答えてくれよ」

 俺の予感と外れていてほしい。緊張と不安で舌が乾いて上手く喋れなかった。俺はいつも楽観的だからこんなことも初めてだ。どうすればいいか、分からない。
 ブランコを揺らしていた足が地面を擦り揺れが収まった頃、ずっと俯いていた修二がようやく顔をあげてこっちを見た。大概どんなときでもにこにこ笑ってる男にも女にも見える顔が今日は無表情で、それがまた、俺の不安を掻き立てる。どうか、違うと。疑うなんて酷いと、言ってほしかった。

「ーーそうだよ、水町くん。僕は水町くん以外の人とも付き合ってる。水町くんと付き合う、ずっと前からね」

 時間が止まったような、そんな気がした。
 夏でもないのに今夜は少し気温が高いように感じた。じわじわ額に汗が滲んで関節の内側も湿っているのが分かる。ここが部室とかだったら遠慮なく服を脱ぐけど流石にこんな公共の場で脱ぐと大変なことになってしまうのでそれは我慢する。俺の気付かないうちに修二の座るブランコはまた小さく前後に揺れていた。大きな目が今はまっすぐこっちを見て、俺のことを窺っているようだった。はて、何の話だったか。
 必死に現実逃避を企てる俺の頭ではとても感情を言葉になど出来そうにない。何でとかいつからとか何故黙ってたのかとかどうして俺の告白をオッケーしたのかとか、聞きたいことは山ほどある。でもそれと同じ分だけ聞きたくないこともあった。

「あ……修二、は……俺の、こと、好き、なのか……?」

 何を今更こんな質問。好きでなきゃ付き合うわけねーじゃん。自分で聞いた質問に自分で答えを出した。修二は「もちろん大好きだよ」と頷いてくれる。よかった、好きなんだ。俺をからかうためとかじゃなかったんだ。でも二の句をつげない俺を知ってか、修二は小さな声で現実を突き付けた。水町くんも、水町くんが見た、僕と手を繋いでいた彼も、同じくらい大好きだ、と。
 俺は修二にとって特別ではなかった。いや、ひょっとしたら修二にとってはみんな特別なのかもしれない。修二はいかにもみんな大好きというオーラを出しているし、筧と話しているときもスキンシップが多いし、大平とも大西とも妙なくらい近い位置で話したりするから、それは分かっていた。分かっていた、つもりだったんだ。

「なあ……なんでだよ……」

 意識せず出した声はカラカラで掠れていて舌がもつれるほどだ。一度、無理矢理唾液を飲み込んで唇を湿らせたあとブランコから腰を上げる。修二はその様子を黙ったまま見つめている。

「なんでだ? なんで俺と付き合ってんのに、他に男いんの? 俺ってなに? 恋人? 修二が暇なときに遊ぶだけ? なあ、教えてくれよ……教えてくれよ修二!!」

 堰を切ったように溢れ出した言葉を修二に叩きつけた。細い肩を両手で握り締めるとガチャンとブランコの鎖が鳴った。本当は殴ったっていい。俺も修二も男だし、喧嘩は苦手ってわけじゃない。でも俺に修二を殴ることなんて出来なかった。「……なんでなんも言わねーんだよ……そんな顔すんなよ、答えてくれよ……!」俺を見上げる修二の顔は悲しそうに歪んでいた。歪んで、苦しそうで、とても二股かけてるヤツとは思えない表情だ。泣きたいくらい悲しいのも、苦しいのも、俺の方だってのに。
 腹が立つというよりはどうしようもなく悲しくて、何度も何度も修二の肩を揺さぶった。ひょっとしたら修二はあの見知らぬ男に脅されて付き合ってるんじゃないか、なんて。そんな妄想じみた可能性をも探ってまで、俺は修二を信じていたのに。

「別れようか」

 水町くん、と優しい声で修二が囁いてきて、俺は一瞬、これは夢なんじゃないかと思った。悪夢だ。俺が見た男は修二の前の恋人か何かで、強引に言い寄られていただけ。もうあいつと会うこともないし、修二の1番は俺。そんなハッピーエンドの悪夢。

「水町くん。別れよう」

 修二は静かな声で繰り返す。見下ろした顔は悲しそうで苦しそうで辛そうで、それでも唇だけ微笑みを浮かべて俺に別れようと繰り返した。

 別れる。俺が、修二と? どうして? 修二は俺のことが好きなのに?

「あ……あ、う……」

「ね? 別れよう、水町くん。明日から友達。水町くんが嫌だったら、メールも電話もしない。なるべく水町くんの前に姿を見せないように、」

「なんでだよ! なんで俺が修二と別れんだよ! あの男と別れろよ! 修二は俺のものなんだよ、俺は修二と別れるなんてイヤだ!!」

「ごめんね。僕も水町くんのこと大好きだし別れたくないんだ」

「じゃあなんで、」

「僕は昔からみんなが大好きなんだ。1番なんて決められない。僕が彼と別れるって言ったら、きっと彼は今の水町くんみたいに傷付いてしまう。だから僕も、彼も、そんなこと言わない」

 ようやく俺は理解した。修二が誰かと話しているときに見せる筧や大平や大西が見せる寂しそうな表情の意味を。修二は誰よりも、圧倒的に他人を愛しているんだ。自分のことを愛する人間を愛して、自分を嫌う人間をも愛する。そこに差なんてなくて、修二にとってはみんながみんな大切で、それを分かっているからこそみんなは何も言わないんだ。俺たちの特別と修二の特別は決定的に違っていた。頭の悪い俺にも、それだけははっきりと分かることだった。

「水町くん。だから、」

「修二は……」

「え?」

「修二は、俺のこと、嫌いになるのか……? みんなみたいにしてたら、俺は修二の特別でいられる……?」

「水町くん……」

 本当にバカだと思う。てめえなんて死んじまえと叫んで一発ぶん殴れれば俺はまた普通に戻れるチャンスがあったかもしれないのに。

「……何言ってるんだよ。水町くんは、ずっと僕の特別だよ」

 そんなことも出来ないくらいに俺は修二に魅了されてしまっていたんだ。好きとかそんなのを越えた、修二の存在が必要だというレベルに。
 ブランコの揺れが止まって、俺は泣きそうになりながら地面に膝を付いた。修二の体を抱き締めるとひょろひょろの腕が背中と頭を優しく撫でてくれて、大好きだよ、愛してるよ、水町くんは特別な存在なんだよ、と、まるで暗示のように小さく優しく繰り返す。
 修二と他の誰かが一緒にいるなんて辛い。俺なんて存在しないみたいに誰かと笑うなんて、辛い。でも修二が俺から離れていくのはもっと辛かった。苦しかった。想像しただけで、涙が出てくるくらいに。

「……ごめんね、水町くん」

「泣いて、なんか、ない、からな……!」

「うん……」

 決してそれ以上探ろうとはしない修二の制服が濡れていく。意を決して俺が最後の質問を投げかけると、修二はやっぱり静かな声で、囁くような音でこう答えた。

「……うん。筧くんとも付き合ってる。大平くんと大西くんは、まだだけど。みんな大切な、特別な存在だよ」

 俺の悪夢は終わらない。きっと、これからも、ずっと。俺は悪魔に魅入られてしまったのだから。

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