悪魔の弟のお気に入り
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今週末に予定はなく、ともいえ部屋で大人しくくすぶっているという気分でもなかったし、そもそもそんな柄ではないということも分かっていた。大体暇な休日には表をフラついたり喧嘩したり月1くらいで美容院に行ったり(顔の可愛い女がいる店だ、当然)しているのだが、今日という日は本当に何も予定がない。いや予定どころかフラついたり喧嘩したりする気分がなかったのかもしれない。それでもほとんど義務のように服を着て財布と携帯をジーンズのポケットにねじ込んで外に繰り出した俺は、バカみたいに照り付ける太陽の眩しさに、サングラスの下の目を細めながら雑然と店の並ぶ通りを歩いていた。気温は高くないが、こうさんさんと日が出ていると体感温度は必然的に上がる。薄い上着にして正解だったと、そんなことを考えながら首元に触れる襟を指で払った。
俺は顔のいい女が好きだからすれ違う好みの顔にはとりあえず声を掛ける。男が横にいても無視だ。喧嘩になりゃあもちろん応戦してはやるが、重要なのは女のメアドを聞き出すことなので深追いもしない。そんな感じで今日も3人目の女を捕まえて、褒めちぎってやって、メアドを聞き出した。「メールくれるの?」「もちろんだよ、キミがよければ毎日でも」思ってもない言葉のオンパレード。こんな他愛もないよくあるやりとりで上機嫌になるのだから、女ってーのは容易いものだ。
「あーごんさーん!」
慣れに慣れた動作と勝手知ったる地元でのナンパだけに警戒が薄れていたのは確かだ。まさかこんな場所で遭遇するなどと夢にも思ってもなかったのに、しかしこうして一度この場所で声を聞いてしまえばとうとうここにまで来てしまったのかと思うのだから不思議なものだ。
俺の背後、長身の俺の陰に隠れるかのように静かに佇む1つ下の男が、顔を俯きがちに伏せてそこにいた。白いシャツと水色のジャケット、オリーブグレーのジーンズといった、こいつの兄とは正反対の派手な色合いの服。顔はテンガロンハットに近い形状の帽子と身長差のせいで窺えはしなかったが、その独特の存在感がこいつの思うところを物語っていた。
「えー、その子だれぇー? カノジョ?」
適当に引っ掛けた女が突然現れたそいつに気だるい声を出した。小柄で華奢な修二を、女だと思っているのだろう。この男は恐ろしく合理的に、かつ酷く優しく人の精神を蝕む人間だ。兄とは違った意味で人の扱いに長けていて、そんな修二からすれば性別の判断がしづらい自らの中性的な顔は実に有効なものなのだろう。服と持ち物の一部を女物にして髪型をそれっぽく変える。それだけで初対面の相手はこちらの性別を勝手に解釈してくれるのだと、ごく純粋な笑顔で話していたのはそう昔のことではなかったような気がした。
よく言えば変装、悪く言えば女装にも近い格好をしている修二の顔を女が身を屈めて覗き込む。ヒールを履いている分少し女の方がデカいのだろうが「邪魔しないでよね!」若干の不快さを滲ませながらの、女の言動にキレた。修二じゃない。俺がだ。
「……おい」
「え? な、」
「何ふざけたこと抜かしてんだテメェ! 邪魔はテメェだよブス! ぶち殺すぞ!」
「は? ちょ、なに、なんなわけ!?」
ついさっきまで褒めに褒めた女を罵り突き飛ばす。細いヒールじゃ体重を支えるには不十分で、女は何とも呆気なくその場に尻餅をついた。人通りは少ないわけではなかったが、他人の諍いに口を出すようなバカはいなかったので面倒ごとにはならなさそうだ。胸元を押されて崩れ落ちた女はまるで自分が何故俺の逆鱗に触れたのか分かっていないらしい。舌打ちを鳴らしながら女の足元へ近付くと、女はそれなりの顔を恐怖に引きつらせてジリジリと後退りする。地に落ちたカバンのストラップを手繰り寄せて、何かを言おうと口を開閉させながら、それでも何も言わずに慌てて走り去っていった。
「いいんですか? 折角アドレス、聞いてたのに」
女をみすみす逃がした俺の背後で穏やかな声がそう言った。体をそちらに向けて、俺はデカい帽子を少し後ろに傾けてやる。女と言われれば納得してしまいそうだが、知っていればどう見ても男にしか見えない修二は、いつもの人懐こい笑顔を浮かべている。 何と言葉を掛けるべきか、優秀すぎる頭を回転させても相応しいであろう言葉は出ない。これが雲子ちゃんならば「浮気を認め謝るべきだ」とか何とか言いそうなものだが、そもそも修二はそんなことでは怒らないし浮気でもないのでこれは違う。クソムカつくヒル魔の野郎なら普段通り振舞って何事もなかったかのようにスルーするかもしれないが、奴と同じリアクションは虫唾が走るのでこれも違う。一休なら支離滅裂に弁解しながら頭を下げまくるかもしれないが、これも柄ではないと分かっているので違う。
結局少し時間が流れたのち「うるせえよ」と答えた俺は、修二の顔を隠す帽子を取り払った。ムースでクセを付けた柔らかい髪からどことなくいい香りがして思わずそれに手で触れる。見下ろした顔は相変わらずの微笑だ。
「テメェがいるのに他の女と時間潰すわけねえだろ」
「でもナンパしてたんでしょ?」
「ちげーよ、メアド聞いてただけだ」
まるで浮気を咎められた男のような気分ではあったが、修二に変な誤解をされたままというのも腑に落ちないので仕方がない。適当に引っ掛けた顔だけのバカな女より、偶然この辺りに出没した(修二は劇的な方向音痴だ。恐らく今回もそれだろうが、仮に1人で、狙ってここに来れたのならそれは奇跡だろう)顔も頭もいい修二を選ぶのは当然のことだった。
「そうだったんだ。たまたま阿含さんを見かけたから追いかけたけど、僕、てっきりナンパしているんだと思いました」
「バカか。俺がテメェ以外を愛すわけねえだろが」
クスクスと笑うこいつの思うところはよく分からないが、それでも少しくらいは喜びの類いを感じているのだろうか。男にしてはくっきりとしたデカい目を細めて見せながら俺の腕に華奢な体をすり寄せてくる。強引に顎を掴んでこちらを向かせると、修二は唇に笑みを乗せながら俺の名を呼んだ。
「僕も、阿含さんのこと大好きです!」
「ほーお。テメェのことを殴ってもか?」
「はい」
「他の女とセックスしまくってても?」
「はい」
「テメェの兄ちゃんとデキててもか?」
「うーん、それはちょっとイヤです」
こっちから願い下げだがな。それだけで人を思い通りに動かすことが出来るであろう、困惑を含む微笑がむくれ顔に変わる。その言葉が指すものが果たして俺を愛するが故の兄に対する嫉妬か、兄を愛するが故の俺に対する嫉妬かは分かり得なかったが、前者でも後者でも大差などないように感じるのだから俺もこいつの毒牙にやられている1人のはずだ。
「ねえ阿含さん、用がないなら一緒に遊びましょう」
「俺の遊び場はホテルだけ、っつーのは知ってんだろ?」
「もちろん」
生まれてから愛されなかったことなど一瞬たりともない男が慈母のように笑みを作る。悪魔の弟はどれほど純粋であろうと、それもまた確かに、悪魔であった。
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